気付けばてっぺんを越えて19年目の日。
劇団が旗揚げして、もう19年。最後の未成年だ。
10月10日は、不思議な縁で結ばれている。
音楽の吉田トオルさんも参加するコンドルズの結成記念日も同じだったり。
(ちなみに、おいらと誕生日も同じ方がいたりしてとっても不思議な縁です)
退団した仲間からの、出産の報告があった日もあった。
去年は劇団ロゴをデザインしてくださった恩人の訃報が届いて。
前日に、男性陣は映画に向けての最後の稽古を終えたりもした。
なんというか、10月10日はいつも節目のような気がする。
まるで、人生の全てが、詰まっているような日だ。
今年は、劇団員が客演する舞台のチケット発売日らしいし。
おいらと、織田さんは、去年と同じように、最後の稽古を終えたばかりだ。ライブリハだけど。
ああ、あと、衆院選の公示日でもあるか。
自分を取り巻く様々な環境の中で。
新しい何かが生まれたり。
悲しい知らせが届いたり。
そういうことを繰り返して。
信じられないほどの、幸せを知って。
抱えきれないほどの、痛みと一緒に生きることを知って。
そうやって繰り返してきた。
一概に19年なんて言えない。
この19年は、そんな自分の環境の話じゃないからだ。
今まで劇団に関わってくださった全てのスタッフさんにとっての19年であり。
今はもう劇団を去った仲間たちにとっての歴史であり。
応援してくれた皆様にとっての記憶であり。
今はもう亡くなった人たちの思いでもあり。
それから、劇団員たちの家族の物語でもあるからだ。
過去を振り返ってどうする?とも思う。
未来をどうやって見ていくのか?
未来をどうやって思い描いていくのか?
実際にはいつだって、そればかり考えてきたのだから。
でも、忘れるなんてできっこない。
どんな知らせも、どんな思いも、全部、抱えて。
体が動かなくなるまで、未来に向かうしかないさ。
時間が経てば、繰り返しを続けていれば、荷物が増えていく。
捨てたくなる時もあるけれど、重すぎて時にはうめき声だって漏れるけれど。
全部抱えて、それでも、歩けなくなった時まで。
金曜日のライブ前最後のバンドリハをしてきた。
ああ、喉が仕上がったなと感じた。
狭い狭いリハーサルスタジオで、バカでかいドラムと電気を通したギターやベースが鳴り響く中。
歌いながら、自分の声を自分の耳で聴くことが出来た。
全身の骨が自分の声に共鳴して、頭蓋骨が痺れる感覚があった。
高音低音、今まで開かなかった所が開いた感覚があった。
後は、ライブすることだ。
そこで生きればいい。
リハが終わって、呑む時間はないけれど、少し話す時間があった。
駅までの帰り道も、ずっと話していた。
こんなことばっかりやってる。
ふざけて笑いながらでも、人にどう思われようとも、実は真剣勝負をしている。
なめんなよってどっか思ってる。
滑稽かもしれない。
でも、滑稽で良い。
こうやってずっとやってきたんだぁと、改めて思ったからだ。
ずっとドラムのカズマクンに預けていた、おいらのアコギが帰ってきた。
19久々に開けたハードケースに入っていた、小さめのギターは。
まるで、呼吸をもう一度始めたかのように、驚くほど鳴った。
ふつうこれだけ長く放置していたら、トラブルがありそうなものなのに。
それはまるで。
ほれほれ。
まだまだ。
歩け歩け!
と、笑っているような音だった。
織田さんは、古くからの友人であるベースの南場さんの言葉にご機嫌だった。
19年か。
へへへ。
面白きこともなき世を面白くしてるじゃないか。
19年前の自分に、一切、恥じることのない道だぜ。