2017年10月07日

把握している世界

今回映画製作の中で学んだことがたくさんある。
驚くほど、様々なことを自分の中に蓄積していると、はっと気付く。
例えば、それまで思っていた写真や映像に対する認識そのものも変わった。

撮影した素材を編集していって、何度かの編集を終えた後に色調整に入った。
撮影した映像は可能な限り、画質やホワイトバランスなど、調整してあるけれど。
当然、撮影時間による自然光であるとか、登場人物の衣装であるとか。
或いは、Aカメ、Bカメの差異であるとか。
それを揃えていくだけじゃなくて、白飛びを直して、黒の締まり、全体の色味を合わせていく。
普通の目じゃわからないような部分も、目視で調整したりしていた。
もちろん、今はデジタルで、白飛びしていればゼブラが出たりもするのだけれど・・・。
慣れている人は、ゼブラにしなくても、すぐに気づいている。
当然、撮影をする人は、目視である程度のことまでは把握できる。

例えば、宣伝材料写真と言うのがある。
タレントが、オーディションやキャスティングで送るプロフィール写真。
その写真を判断する人たちは、当然、映像や写真のプロの人たちだ。
この人たちの目は、つまり、そういう目だという事だ。
WEBなどでタレントのプロフィール写真を観ることがあるけれど。
おいらの目から見ても、明らかに加工していればわかるものも散見する。
或いは、白飛びさせて、細かいしわが見えないようにしているのもあったりする。
けれど、あれは、プロの目で見たら一発でわかる。
他のプロフィール写真と並べたら、それこそ、すぐにばれて弾かれる。
少しでも良い顔で・・・と思って、加工したり、飛んでいる写真なんか提出したらダメなのだ。
ちょっとリアルすぎて、自分では嫌だなぁと感じるぐらいの写真の方がよりプロフィールになる。
そういうことを、感覚的に知ったなぁと、おいら的に思う。
話では聞いていたけれど、頭での理解と感覚の理解では大きな差がある。
素材と完成品の行き来を知らなければ、持てなかった感覚じゃないだろうか?

例えば、音楽制作をしている人は、有線やラジオで曲が流れただけで、ピッチ調整してるかわかるらしい。
ピッチ調整というのは歌の加工で、音が多少外れていても後から、メロディに当てていくことが出来る。
どんなに手練れの人がアナログに近づけても、打ち込みのドラムだと、すぐに判別する。
つまり、そこで生きている人にとってはそれは、当たり前の耳だという事だ。
映像の現場の人の目というのは、そこに生きる人にとっては当たり前の目かもしれないけれど。
普通に生きている人から見れば、まったく違うものを観ていると言ってもいい。
絵になる顔というのは、美しさと言う基準だけではない。
もっと、肌の質感や、その下の血の流れを感じるような、息遣いがわかるような、そういう基準もある。
そういう、今まで自分の中になかった基準を知ることが出来たというのは本当に収穫だと思う。

今週は珍しくテレビが生番組であふれていた。
朝、おはよう!たけしですみません、ではじまり。
さっきやっていた山田孝之の元気を送る番組まで。
どっちも、後からちょっと伝説的に語られそうな内容だった。
とても、わくわくしながら楽しめた。
でも、この2つの番組も、今までとは、また少し違う視点でも楽しめたなぁと思っている。

そういえば、たけしさんが、朝の生放送で、ハリウッド進出について話していた。
すでに、ハリウッド製作での映画も作っているし、俳優としても出演しているけれど。
ハリウッドには進出する気はないのだそうだ。
あれほど、世界的な巨匠であれば、話はいくつも来るはずなのだけれど。
理由は、例えば、撮影するにもアングル一つ映画監督には決める権利がないのだそうだ。
撮影は撮影監督がアングルでもなんでもどんどん決めていくもので口出しできない。
編集も編集スタッフが分業でやるもので、出来上がりに、何か言うしかできない。
映画監督がやれることは、撮影中の演出だけなんだよ!なんて言っていた。
これも、それまでには違った感覚で話を聞いていたと思う。
だって、テレビタレント出身なんだから、たけしさんは。
テレビなんか、それこそ、完全分業なわけで、慣れているはずだって思っちゃう。
でも、違うんだな。きっと。
映画の撮影現場で、モニター越しに、色もアングルも芝居も全部、たけしさんには見えている。
そこに口出しできないんじゃ、自分の映画とは言えないという意味が分かる。
それまでだってわかったかもしれないけれど、今しかわからない部分が確実にある。

まぁ、逆にうちの監督はハリウッドのような分業も合っているかもしれないけれど。
作家であり、演出家であるという下地だから・・・。
逆にそれを楽しめるような人だなぁと思う。

まったくもって感覚的なものだ。
監督の感覚、撮影部の感覚、そして今であればプロデューサーの感覚。
それぞれが、まったく違う。
それを肌で知っていくという事。
自分の基準にしていくこと。
役者だから、演じるように、それぞれの感覚のようなものを、感じ取っていく。
だから役者ってのは便利なんだ。

自分にはない感覚を知ることは、世界を広げることだ。
それまで見えていた世界を、別の形で観ている人がいたことを知るのだから。
そして、そういうものが繋がっていくからこそ、自信を持てる。
自分の感覚と言うものをより強く出来る。

いつの間にか、そういうものが見えているんだなぁと、今、感じている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 06:14| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする