稽古日。
先週、稽古が終わってからの参加だったけれど。
今週は芝居に触れ続けていた感覚が残っていて、すんなり参加する。
久々に監督の書いた台本。
例え練習用のテキストだとしても、言葉のリズムがやはりすぐに馴染んでくる。
細かい仕掛け、細かいリアクションを試したりするも、最初は空振りが続いた。
投げかけて、帰ってこなかったり、帰ってきたり。
どうやって紡いでいくか。
この辺がとても面白い。
稽古場に残っていた先に稽古をしているチームの劇団員も参加しなよと促す。
やばい、すごい楽しかった!と大きな声。
そう。基本はそこだよなと、改めて思う。
芝居を生業にしようが、なんだろうが、楽しめないと何も生まれない。
最後の最後になって、かすかな仕掛けでキャッチボールが成立し始める。
ちょっと嘘っぽく対応したり、あえて強めに強がってみたり、すかしてみたり。
細かい仕掛けだけど、相手役と、うまく意思の疎通が出来た。
細かすぎて、観ている人に見えているのかはわからないけれど。
多分、相手役は、色々してくるなぁって思っていたと思う。
今週の台本は先週の台本の続きがあった。
とりあえず、この台本はここで終了。
また次の稽古は、別のを書いてくるよと言っていた。
それは、なんというか、ありがたいし、同時に、すごい嬉しいことだ。
嬉しいだけじゃない。
それは、そのままアーカイブになる。
例えばいつかオムニバス公演を企画すれば、その台本をそのまま使える。
Youtubeやショートフィルムの製作をしようと思えば、シナリオに直すだけで済む。
或いは次回公演のことを考えるときに、あの時のあのショートを長編にしてほしい!と提案できる。
今週の台本も書こうと思えば続きを書けると実際に言っている。
今まで上演してきた作品ももちろんアーカイブの一つだ。
膨大な作品の数がある。
ただ、そのほとんどが劇団員の人数が変わったこともあって、改訂が絶対に必要だ。
そして、再演になれば、やはり前回のイメージとの戦いになる。
そういう意味では、まだ公開していないショートのアーカイブを持てることは大きい。
稽古用のテキストだから、この部分の稽古をしたいというクローズアップがあることにはあるけれど。
どんなに稽古用でも、どんなに短くても、そこにはやっぱり監督独自のリズムや、面白さがある。
それを稽古できるというのは、もう、財産だと言っていいんじゃないだろうか?
世の作家の中には、ネタ帳を書いている人もいる。
いつか、こんな話を書きたいと、ノートに簡単なプロットをまとめておくような作業だ。
そのノートを開けば、作品の構想がいくつも書いてある。そういうノートだ。
多作の作家ほど、思いついたネタを忘却しないように残しておく。
監督も、実は、毎日のように様々なアイデアが湧いている人なんだけど、どんどん忘れたりする。
それは、編集作業の休憩中のちょっとした会話でも、これ芝居にしたら面白いななんて出てくるからわかる。
でも、ネタ帳って言うのは、基本的に作家しか知らない秘中の秘になるわけで。
そのネタ元を、劇団内で共有できるというのは、大きな収穫になるはずだ。
ショートアーカイブ。
レッスン用テキスト。
この稽古のクオリティを上げていくことさえできれば、アーカイブを増やせるという事だ。
ある意味、毎週お題を出されて、役者が挑むという、戦いのような形になっちゃうけれど。
それが意味ある稽古になれば、自然と、財産が増えるという効果もでる。
そして、その中でも、一番面白いね!というショートが必ず生まれる。
ひょっとしたら、連作ショートなんかも生まれるかもしれない。
前回公演が終わって。
地道に色々な歴史的な台本を使って稽古を重ねて。
ようやく、監督に、短いテキストを頼んで。
こういう場所に立つことになるとは。
少しだけ速足だけれど、基礎の部分からどんどん劇団を結成するのと同じ道を歩いている。
0から。公演まで。
もう一度、繰り返しているのだと、振り返る。
無駄にしない。
血として、肉として。
もう一度、自分の中に落とし込む。