バンドリハDAY
4人だけ。
昨日、チームのことを書いて、今度はミニマムなチーム。
小さいチームの良い所は、意思疎通がストレートなこと。
こうしたい、ああしたい。
安易に口に出来る。
もちろん、バンドだって、それぞれの役割がある。
自然とポジションだって出来てくる。
どんなに小さくてもやはりチームの機能の仕方は同じだ。
まぁ、人数が多すぎれば、それこそ嫌われ役や道化役も必要になるんだろうけれど。
そういうのは、ストレートな分、必要ないからすっきりはしている。
人数が少ない分、一人が背負う責任は、多くなるけれど。
それぞれがもちろん大変な部分がある。
それこそ、例えばドラマーのカロリー消費量とかさ。
ギターやベースであれば、音色問題とかさ。
ソロの処理でもいいけれどさ。
ヴォーカルにも、やはり、色々あったりする。
それぞれが、それぞれに特化した、大変な部分は、棚に上げて言いたいことを言える。
小さいチームを経験すると、その足回りの良さ、意思疎通の簡易さに、改めて楽だなぁとは思う。
いずれにせよ。
チームの大小にかかわらず、結局、クオリティを上げることだけを考えている。
それぞれの自分の問題点、大変な部分を抱えながら。
何も言わずに、たんたんと自分とだけ戦うという方法もあるけれど。
摩擦を恐れずに、色々言えるのは、やっぱり、前に進むことだけを観ているからだ。
大きなチームで、嫌われ役や、いじられ役、道化役がいたとしても。
そういう役回りも含めて、作品を良くするという方向だけはいつだって変わらない。
意地やプライドとかとは、ちょっと違う。
矜持みたいなもの。
或いは、覚悟のような感じ。
全身に汗を噴出させながら。
自分と戦い、同時に、全体も観ていく。
不思議なことだけれど。
うちの監督も。
それから、先日撮影に参加した監督も。
とってもとっても、音楽に近い所で生きている人だ。
なんでだろう?
わからないけれど、なんか、音楽っていうのは、いつもそこにある人と繋がる気がする。
気のせいなんだろうか?
映画と音楽は、とっても似ているところが多いと思う。
どちらも、詳細な設計図が必要だ。
シナリオと楽譜だけじゃ、とてもじゃないけれど、作品にならない。
シナリオにはカット割りや絵コンテが必要だし、楽譜もいくつもの楽器とのコンビネーションが必要で。
その上、いざ、撮影だライブだレコーディングだってなれば、設計図じゃ図れないパッションが必要になる。
信じられないほど緻密に計算して構築したって、それを破壊するような何かを求めたりする。
そして、設計図通りに完全に進むことなんか、なかなかなかったりするところも同じだ。
目に見える映像も、耳に聞こえる音楽も、目にも見えず耳にも聞こえない何かを探してる。
この1~2年で経験したこと。
それまでの自分と、それからのおいら。
それを自覚したい。
自分で試したい。
今、バンドリハをやっても、撮影に参加しても、強く意識する。
信じられないことだけれど。
世界地図ってのは、何歳になったって、拡がったりするんだ。
どんどん世界が広がって。
得体のしれない塊のようなものに、触りに行くんだ。