2017年10月25日

境界線上の僕ら

隣のパンパン.jpg
隣のパンパン
撮影は朝集合すると、突然始まった。
驚くほど、じゃあ、やりまーす!で、いきなり始まったのを覚えている。
早めに集まってメイクや衣装をつけて。
オーディションで集まってもらった人の衣装を配ったりして。
気付くと、もう、スタッフさんは準備を終えて始められる状態だった。
実際、最初のシーンのカメラテストを終えて、本番に入ってから、
「え?はじまってるの?」と何人かに聞かれたぐらい、それは突然始まったのだ。

セットのあちこちに、その日に撮影するシーンが張り出されていた。
D/Nというのが、よくシーン表に書かれている。
Dはデイ、Nはナイト、いわゆるどの時間帯化を簡潔に書いてある。
セブンガールズは、夜も昼もシーンがある。
同時進行で一日に起きた出来事なら順番に撮影できそうだけれど、そうもいかない。
だから、シーンは飛ばし飛ばしで、どんどん、別のシーンへと飛んでいく。

特にセットの構造上で言えば、この玄関だった。
見ての通り、今の扉の玄関とは違って、そのまま太陽光が入る引き戸だ。
戸袋部分にも大きな窓がある。
だから、実は、夜間の部屋の中のシーンであれば昼間も撮影しようと話していたのだけれど。
なるべくそれも避けようという事になった。
どうしても、玄関から入る太陽光が、昼間の雰囲気を作ってしまうからだ。
奥の部屋のセットはまだしも、手前の部屋は、特殊なシーン以外は照明作りが厳しかった。
まだ、夜間を照明で昼間っぽくする方が楽な方だった。

日本人は今でも、自分の家のことをウチという。
それどころか、所属する団体のことをウチということもある。
最近の若い子は、自分のことをウチと呼んだりもするようだ。
イエでも、ダンタイメイでも、ワタシでもなく、ウチ。
このウチとは、いわゆる、ウチとソトから来ている。
日本人の精神の中に、それは刷り込まれている。
村のウチとソト。神社の結界。本音と建て前。内弁慶と外面。
ありとあらゆる日本文化に、ウチとソトの概念が見つかる。
この玄関は、まさに、この映画における、ウチとソトの境界線になった。
それは、撮影でもそうだったし、作品の持つ意味においても、そうなった。
女たちはウチにいて、男たちはソトからやってきて、誰かがソトに出ていった。
それはまるで、心の内側と外側で起きることとリンクしているかのように。
舞台版ではなかったウチとソトの概念が、映画を重層的なものにした。
世界に繋がるソトと、世界が閉じているウチ。

完全に順調にスタートした。
昼休憩を終えた時点で、D予定のシーンの残りの数がわずかだったのだ。
助監督から、呼び出されて、どのシーンが出来るか確認される。
次の日の予定表を取り出して、メイクチェンジなどが少ないシーンをチョイスしていく。
じゃあ、そこまでやっちゃいましょうという言葉を聞いて、すぐに全員に伝えていく。
スケジュール変更、このシーンの後に、ここまでやりたいでーす!
当然、衣装や小道具、メイクまで、自分たちで把握して、調整していく。
それを見て、助監督が、心からすごいことだ!と、おいらと監督に言ってきた。
予定外のシーンをやると言って、なんの躊躇もなく、スケジュール変更できるなんてあり得ないという。
通常なら出来ないという役者が出たり、衣装がないとか、メイクさんから無理と言われたり。
スケジュール変更なんて簡単なことじゃないんですよと教えてくださる。
そして、それよりも何よりも、予定表にないシーンの芝居を、ヨーイドンでやれる役者に感動していた。

スタッフさんは、この期間で撮影しきれるわけがないと誰もが思っていた。
それが、この初日で風向きが変わった。
ひょっとしたら、こいつら、撮影しきっちゃうんじゃないか?という雰囲気が流れた。
撮影初日の緊張もあってNGもあったけれど、翌日からはNGも減っていく。
監督の指示も、一言で理解していく。
セットチェンジになれば、男たちが走ってきてあっという間に、壁を取り付け、家具を動かしていく。
何も言わなくても、次に撮影するシーンの役者が待機している。
きっかけがつかめない距離なら役者同士で連携して、合図を出し合っていく。
本来、時間がかかるような部分が、すんなりと進んでいくのだ。

そんなのを観ていたからだろうか?
この日の撮影の橋本さんがカメラを持って走っているのを見かけた。
照明さんも、ものすごいスピードでセッティングし始めた。
あっという間に、デビ組というファミリーが出来上がっていった。
全員が、このテンポで進めるというのを理解して、動き始めた。
それは、圧巻だった。
役者が衣装のままインパクトドライバーでセットを動かし、スタッフさんが照明を組み替え、三脚を移動する。
その間に、次の出番の役者は衣装などの準備はすませておいて。
セッティングが終わり次第、スタッフさんに芝居を見せる。
それも、ほとんどが5分を越える長い芝居だ。映像では考えられないような長回しの連続なのだ。

初日の最後に撮影したシーンは、自分のシーンだった。
色々な仕事をしたり、話し合ったりしたのに。
気付けば自分は、役者として集中していた。
相手役の顔を見たら、自然と心が動き始めた。
そのシーンを撮影している頃にはもう他の役者は誰もいなくなっていた。
スタッフさんと監督と、役者二人だけ。
シーンが終わって、役の気持ちから自分の気持ちに戻って、我に返った時。
心から、スタッフさん全員に、ありがとうございましたと言っている自分がいた。

すでに、座組をウチと感じているおいらはそこにいた。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:24| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月24日

香りを封じるように

防寒着.jpg
防寒着を着て稽古
喫茶店で数年間アルバイトをしていたことがある。
最初はホールをやっていて、少しずつ仕事を覚えていった。
数か月するとキッチンに入って、ホットサンドや、ナポリタンを創るようになった。
けれど、コーヒーだけは社長が落としていて、自分は洗い物をしたり、モーニングのゆで卵をゆでたりしていた。
ある日から、社長からコーヒーの淹れ方を教えてもらえるようになった。
その店は、おおきな布のフィルターでサイフォン式で、800mlぐらい同時に入れる店だった。

豆をミルで砕いて、フィルターをセットする。
大きなやかんでお湯を沸かせて、一度、冷ます。
お湯を注いで、一度豆を蒸らす。
全体的にふっくらしてきたら、お湯を細く細く注いでいく。
泡が切れないように、注意深く、細く注いでいく。
社長の奥さんの淹れるコーヒーは、やっぱりいまいちだった。
ミルで挽いた豆は粉まで使うし、お湯も少し早い。蒸らしも早いし、泡はいつも切れていた。
社長が淹れたコーヒーのすっきり感は、とても美味しくて、店で出せるまで自分でも挑戦し続けた。
社長から、いいよと言われた日は本当にうれしかった。
こっそり、社長の奥さんの味は越えてるなぁなんて、思ったものだ。

監督も喫茶店で働いたことがあると聞いたことがある。
コーヒーを淹れるところまでやったかどうかは聞いたことがないけれど。
でもきっと、その店で、たった一杯のコーヒーに命を吹き込む姿は見ていたはずだ。
全てには段取りがあって、その全てがうまくいかないと、思った味が出ない。

映画を創ることは、コーヒーを淹れることに似ている。

それは、シナリオを書くこともそうだ。
物語には構造があって、その組み立ての一つでも違ってしまえば、結末が変わってしまう。
そして、実際の撮影も同じことだ。
たった一つのシーンの撮影が夜間になっただけで、全ての時間軸がずれていく。
一つ一つの作業に細心の注意が必要で、繋がりは絵だけではなくて、表情や感情まで多岐にわたる。
そんな地道な繰り返しは、まるで、細く細くお湯を注いでいたあの時のようだ。

去年のこの日。
翌日から撮影本番を控えていた。
それがどれだけ繊細な作業であるかわかっていた。
この日のリハーサルが出来たことは、本当に良かった。

現場の空間に慣れること。
距離感、空気感。
役者はセットの中に入ると嬉しくて、いつもより少しテンションが上がる。
そのテンションすら邪魔になることがある。
そういう微調整まで含めて、監督の演出を出来たのだから。

写真を見ると、女優陣が防寒着を着たまま演出を受けている写真が出てきた。
もう日が落ちて暗くなっていて、集中が切れてもおかしくない時間帯だったはずだ。
まず芝居の心配を全てなくしておく。
翌日からは転換、衣装替え、メイクチェンジ、全てが始まるのを知っていたから。
あるシーンで、女優たちが涙を流していた。
スタッフさんたちが、シーンと静まり返った。
その後、演出が入った。
今、泣いていたのに、もう、真面目に演出を受ける顔つきになっていた。
それを眺めて、なんと頼もしいのだろうと、感じたのを覚えている。

それでもまだ不安もあった。
やるぞという思いと、楽しみな高揚感と、やれるだろうかという不安。

おいらは、細く細くお湯を注ぎ続けた。
泡が切れないように。
香りが逃げてしまわないように。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:53| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月23日

まなざしの先で

リハーサルの視線.jpg
スタッフさんの視線

選挙の日。最大級の台風が上陸間近。
そんな日も稽古場に行けばいつものメンバーが集まっている。
稽古ももちろんだけれど、大事な話もする。
自分から、その話題を放り込んで、とにかく一歩でも進める。
結果、放り込んだアイデアをダメだと言われても良い。
進むのか、進まないのか。
それが何よりも一番大事なことだからだ。
それをしなければ、きっと、何一つ動き始めないことも良く知っているから。

メイキング用の映像の入ったメモリーカードを預かる。
搬入日から、撮影最終日までの映像。
クラウドファンディングの特典のために用意しておいたものだ。
これの編集もしなくちゃいけない。

たったの一年前に撮影したのに、もう遥か昔のようだと感じているメンバーが多いようだ。
本当に一年しかたってないのかなぁ?なんて思っている。
でも間違いなく、一年しか経過していない。
去年の今日は、長い仕込み期間を終えていよいよ役者として稽古に集中できる日だった。
仕込みに来れなかったメンバーは、セットを見て、思わず声を上げていた。

映画撮影となれば、撮影前に詳細な打ち合わせが必要だ。カット割りもして、アングルも固めていく。
ロケ地に一度訪問した際に、基本的に長回しで、別アングルを含めて何度か撮影していく。
それを後から編集で、繋いでいくという話はしてあったはずだ。
セットの壁を取り外せるようにしてあることも、セット説明時にしてあった。
だから、それを元に基本となるアングルを決めて、あとは、芝居を見たいという方向になったのだと思う。
詳細にシナリオをカット割りしてアングルを決めてとやっていたら時間が足りなすぎる。
それなら、自主稽古日にしていたこの日に芝居を見て、狙いを理解していく方が早いという事だった。

自主稽古の日だと思っていたのに、スタッフさんに芝居を見せる日になった。
まぁ、それでも良い。稽古は散々それまでしてきたからだ。
だとすれば、真剣な芝居を見せる。監督の演出を出来る時間にしてもらう。
それにただ集中していくだけだった。
役者が芝居をして、監督が演出をする。
それを、助監督と撮影監督は、すごく真剣な顔で観ていた。
途中、撮影監督から玄関に明り取りの窓が欲しいとか、助監督からこうできないか?というアイデアも出た。
撮影に入ってからは時間が取れないから、全て対応していった。
いや、そうじゃない。嬉しかった。
撮影監督も助監督も、セットと芝居を観て、アイデアが出てきていることが。
照明のプランも含めて、アングルも、全部、芝居を観ながら構築しているのが分かった。
事実、撮影に入ってから、芝居をとても深く理解してくださっていることに気付くことになる。

加藤Pがロケ地に初訪問した。
セットをみて、とても感動してくださった。
このセットを解体するのは勿体ないとまで口にしてくださった。
部屋に入って、家具の一つ一つを観ていた。
セットを建て込む映画となれば、当然大きな予算の映画だ。
予算が足りなければ、すでにあるロケ地に化粧をしていくしかできない。
映画としては破格ともいえるほどの低予算なのにセットを建て込んでいて。
そのセットが想像を超えていて、すごいすごいと何度も言ってくださった。
これも、本当にうれしかったことだった。

陽が落ちるまで稽古を続けた。出来るシーンまで。
バスがなくなる時間帯に役者たちは解散したのだけれど。
その後、実は、さらに驚くことがあった。
照明さんが、搬入仕込みをやっちゃいたいと言い出したのだ。
これには、たまげた。
足のあるおいらと中野の二人だけで残って、仕込みをしてもらった。
仕込んだ裸電球にも電気が通り、明り取り用の窓からは陽射が入るようになった。
仕込みが終わるまで待っているのも何なので、中野と二人で畳を仕上げていったことも覚えている。

写真は、撮影監督の視線。
稽古や演出の邪魔にならないように、物陰でじっと観ていた。
何かを思いつくと、小野寺さん・・・あそこの壁も取れますか?なんて聞かれた。
敬語を使われるのが申し訳なくて、同時にその真剣な表情が嬉しくて。
プロフェッショナルと仕事ができる喜びを、感じていた。
本番に入ったら、タイトなスケジュールなことは全員が理解していた。
それでも、スケジュールに収まらないんじゃないかなんて、まだ噂していた頃だ。

セットで2日もリハーサルが出来ることがどれだけ幸せなことか。
仕込みのスケジュールに最初から組み込んでいたけれど。
セットの設営が終わるわけがないと、何人もが口にしていた。
だから、皆、必死にリハーサルできるように、仕込みを頑張ったのだった。
絶対に稽古しようと、皆で言いながらセットを建て込んだのだ。

あの時は楽しくて仕方がなかったんだなぁなんて思っていたけれど。
メイキング用の映像でこの日の映像を確認したら、皆、とても緊張していた。
そうか、撮影前のこの日は緊張していたんだなぁ。
メイキング映像が思ったよりも少なかったけれど、編集次第で面白くなるといいな。
その日その日の、感触が、少しでも出るようなものが出来ればいいけれど。

わかるだろうか?
伝わるだろうか?
この視線の前で、おいらたちは真剣勝負をしていたんだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:02| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする