2017年09月04日

トライ&エラー

W杯に向けて、ハリルJAPANが今まで繰り返してきたことを何度も特集映像で観る。
観ているとわかるのは、トライ&エラーを繰り返してきたのだという事。
相手によって、戦術を変えて、オプションを増やし、それに合った選手を配置する。
でも、それは、最初からうまくいっていたわけではなくて、何度も失敗している。
最終予選で初戦で配線したという危機的状況だから結果も残さなくてはいけない中。
必ずそこにはトライがあって、やはり、エラーもあった。
もちろん、本戦に行ったときは、もうエラーは出来ない。
だから、今、新しいこと、挑戦すること、そこでトライ&エラーを繰り返している。
勇気がいることだけれど、試合と言うシチュエーションは、絶対に紅白戦では足りないのだろう。

舞台稽古は、つまり、トライ&エラーの繰り返しが通常だ。
様々な芝居を構築しては、うまくいかないところをあぶりだしていく。
通常の劇団であれば、それを何度も繰り返すことになるのだと思う。
でも、実はうちは、あまり許されていないというか、それでもいいけど、それでは足りないというスタンス。
実際の本番の稽古では、自分で台本の構造を頭に入れて、構築して、稽古をしなくては意味がないと思っている。
なぜなら、ある程度まで役者が作り込んで持っていかないと、その先の演出を受けることは出来ないからだ。
そこに達していなければ、残念ながら演出とは別の、いわゆる稽古になってしまう。
稽古の状態で本番を迎えることだってもちろん悪くはないけれど。
本当に良いシーンは、やはり、演出からしか生まれない。
達していないと、おいらが知る限り、本当の意味の演出とは程遠い所で稽古しかしてくれない。

だから、公演が決まる前や、キャスティング前の時期というのはとっても貴重な時期だ。
手渡された台本を自分なりに解釈して、組み立てをして、それを見せることが出来る。
もちろん、その芝居に演出が付くことはないし、ゴールまでは辿り着けないけれど。
少なからず、トライ&エラーを繰り返すことで、作品の輪郭や、役の人物像まで掘り下げられる。
まぁ、トライと言うのも簡単なことではない。
当然、それをやれば、人に何を思われるかわかったものじゃない。
ああ、あいつヘタクソだなと思われたり、あいつ濃いなと思われたり、いわゆる恥をかく。
人前で恥をかきながら、修正点を確実にみつけて積み重ねていけるのかどうか。
何が間違いで、どの方向に行っちゃだめなのか、みつけていく。

実際、こういう稽古がこの年齢、このキャリアで出来るというのはとても稀有なことだ。
普段から稽古をしていないで、本番直前にだけ集まる劇団などは、その期間に出来るかもしれないけれど。
例えば、映像の現場であれば、自分で役作りや芝居作りを完成させたうえでじゃないと、いけない。
けれど、実際、自分の頭の中だけでじゃなく、人前でトライ&エラーを繰り返す場所なんて誰も持ってない。

今日のテキストも、挑戦だった。
正直、実は一人もまともに出来た人はいないんじゃないかって今も思っている。
まぁ、当然、人になんか見せられたものじゃない。
舞台本番の稽古であれば、もうちょっと家でやって来てくれないと演出できないと言われるレベル。
まぁ、今日初めて読んで、いきなり切り出されたクライマックスなのだから仕方ないけれど。

ただなんとなくだけれど。
ああ、自分はなんかこの台本に向かっていて、考えたり悩んでる場所がどうも皆と違うのかな?と感じた。
どうやってやるか。どうやってこのセリフを言うか。どうやって演じるか。
そういうことは、実はとっても優先順位を低くしてのトライをしていた。
なんというか、このセリフは嘘だけど、それにどうやって裏付けを付けるかということばかり考えていた気がする。
単純に、このセリフは相手と視線があってからじゃないと言えないな・・・とかいくつかあって。
そういうことを少しずつ拾いながらトライしては、エラーを続けていたような感覚だ。

ナチュラルな芝居って良いよねぇ・・・みたいなことを言う人がいる。
ナチュラルって、実はとっても曖昧でいい加減な言葉だ。
その場合のナチュラルって、例えば朝食の席であったり、いつものリビングだったりオフィスのことだろうか?
でも、実際、芝居って言うのは劇的な場面を演じることがとっても多い。
目の前に死体を発見したり、今生の別れであったり、運命的な出会いであったり。
いわゆる非日常的な場面を、人は、劇的と言う。
そして、その非日常の中でナチュラルであるかどうかが、芝居の鍵だったりする。
けれど、ナチュラルと言われると日常的なことと、錯覚してしまうような場面がとても多い。
非日常的な場面で、もっとナチュラルな感じにして!と言われて、日常的になっちゃう役者って意外にいるのだ。
日常非日常と、ナチュラルは、全く違う話だ。
今回の台本は、とても非日常的な場面であり、セリフも口語と言うよりは、劇的なる言語だ。
だとしても、きっと、そこにナチュラルは存在する。
それには、やはり、裏付けが必要で、相手役の呼吸音を生々しく感じるようなリアルが必要だ。

人のを見るのもだから勉強だ。
トライしているなぁという人はすぐにわかる。
逆に、なんか、自分に酔っちゃってるなぁって見えることもある。
それぞれが、エラーを見つけていたら、それだけでも、前進だ。
ただ、自分は、ちょっとだけ、違う前進をしたかもしれないと実感している。
自分が芝居で悩んでいる場所と、人が悩んでいる場所の差異が少しだけ見えた。
何回かやったけれど、きっと、相手役をした二人には、何にトライしているのか、バレバレだったと思う。

まだまだ気付くことがある。
まだまだ足りないものがある。
今しかできない、トライ&エラーは、間違いなく本番で役に立つ。
それが例えほんの1mmだとしても、間違いなく本番までに前進している。
そういうものにするのは、誰あろう、自分自身で肝に銘じる以外にない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:41| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする