まったく報道されていないけれど、金曜日に映画の舞台あいさつでちょっとした事件があった。
ネットでは少し話題になりつつあるけれど、それほどメジャーな芸能人でもないというのもあるのだろう。
その中心には、ちょっと、役者や、映画製作者は、今、考えなくちゃいけないんじゃないかって話題が根にある。
韓国の映画界も、今、揺れに揺れている。
韓国の巨匠映画監督が撮影中に女優に暴力を振ったという告発から始まったのだけれど。
関係者の謝罪で終息するかに思われた話題はその後、別の女優、別の作品でもと、どんどん話題が広がっている。
性暴力的な側面もあったり、暴力の側面もあるし、一般社会において、絶対にありえないことだ。
もちろん芸術だから、映画だから、OKというのも問題がある。
少なくても、俳優協会のあるハリウッドで同じようなことがあれば、大スキャンダルになるはずだ。
この問題の中心にあるのは、結局、リアルと演技の戦いなのだとおいらは思っている。
映画では徹底的にリアリティを求められることは難しくない。
それは製作側だけではなくて、役者だって同じだ。
「仁義なき戦い」で、川谷拓三さんが本当に殴ってほしいとお願いして、菅原文太さんにボコボコにされた話など。
むしろ、武勇伝的な逸話はいくつも残っていて、それを聞けばすごいなぁといつも感心する。
なんだったら、少し憧れてしまうようなところもある。
けれど、映像の現場で、殺陣をやっている人から話を聞いた時に、ちょっと考えが変わった。
プロなら、当たってなくても当たっている芝居をするべきだという強い言葉。
今でも、時々、刀剣を当ててくる役者がいるのだという。
その方がリアクションがリアルになるからと言ってくるらしい。
けれど、それは、実際に殺陣をやっている俳優にとっては屈辱でしかない。
リアクションの演技が劣っていると言われているのと同じだからだ。
同じような話は、他でも色々に聞く。
例えば、俳優に台本を渡さずに、その場その場で指示して撮影をしていくというような方法。
台本を持っていないから、すべて新鮮なリアクションになってくる。
もちろん、監督にとっては演技だろうと生のリアクションだろうと、素材の一つでしかない。
そして、よりリアリティのある映像を収めるために、あえてそうするという手法は今でもある。
或いは、敵同士の役者が顔を合わせないように製作陣が調整したりと言う話も聞く。
でも、そういうことの一つ一つは、結局、それは芝居じゃないんだよって役者は思う。
普段仲良くても敵同士の芝居を出来るし、台本を読んでいても新鮮なリアクションが出来る。
それが俳優なのにと、どうしても、思うところがある。
一番有名と言うか、すごいなぁと思った映画で言えば黒澤明監督だ。
「椿三十郎」のクライマックスの立ち回り。
逆手のまま刀を抜刀する三船敏郎さん。
斬った瞬間、どばぁと体から噴き出す血にまみれる。
実は三船さんに、その血が噴き出すことは伝えないまま、撮影していたのだと聞く。
血にまみれる以上、衣装が何枚もあっても、そのたびごとに、かつら等から血を洗わなければいけない。
だから、あれだけの出血をかぶるのは、出来れば一発撮影でと計画していたと思う。
その上で、あの異常量の血が噴き出すのをあえて言わなかった。
うわあ!と嫌がるリアクションだとしても、きっと、それはそれでOKだったのかもしれない。
ただ、三船敏郎さんは、芝居を続けた。何があっても。
そして、リアクションなんて、何も取らなかった。
あれは、監督と俳優の、壮絶な戦いだよなぁと、おいらは思う。
きっと、教えていても、教えていなくても、同じ映像だったぜって、おいらは信じている。
現場で知らされていないことが起きる。
それを全て撮影しておく。
そして、それを素材に、映画にしていく。
結果、その映画が評価されたり、受賞する。
そういうことは、きっと、今まで何度も何度もあっただろうと思う。
いわゆるドッキリ番組と変わらないように思えるかもしれないけれど、少しだけ違う。
なぜなら、役者は演じているからだ。
生のリアクションだけれど、そのキャラになり切っていれば、そのキャラのままのリアクションになる。
つまり、瞬間的な思いだけがリアルと言えなくもない。
役者同士の芝居で、あえて相手役が驚くような芝居を仕掛けることだってある。
役者同士で、アドリブで芝居を生々しくすることだって、当然ある。
そういう事も含めたら、どうなんだろう?と考えてしまう。
何から何まで、練習通りで、本当に面白くなるのか?という疑問もわからなくはない。
圧倒的にリアルなドキュメンタリー映像と、どう戦うかと言う勝負だってある。
そこに生のリアクションで挑むようじゃしょうがないんじゃないかと個人的には思うけれど。
どの作品の問題も、舞台挨拶の問題も、韓国映画の問題も。
双方にきっと言い分があるし、もめるということはどこかが間違っていたのだと思う。
だから、特別に、どうこうは思わないし、何も言わない。
ただ、役者としては、思う。
自分が役者として、何を売っているのか、しっかりと自分の中心をつくっておかなくちゃと。
例えば生のリアクションを撮影されたとしても、それは芝居じゃない!と言うような芝居をしたくない。
ちゃんと役作りをして、何が起きても、その役で居続けるだけの状態でいたい。
それは、やはり、覚悟と言うか。矜持というものだ。
役者、なめんじゃねぇぞ。
そういう腹を作っておかないと、何かがおかしくなってしまうから。
そういう場所だけは、一歩も後ろに下がっちゃいけないとおいらは思う。
その代わり、演者は、映画監督や映画製作者たちに負けないぐらい、リアルについて考えなくてはいけない。