雨の8月。
親戚が実家にやってきたので、足を運ぶ。
子供の頃は盆、正月、春休みと、休みのたびに会っていた。
そこにはおじいちゃんやおばあちゃんがいて、おばちゃんがいて、おじちゃんがいて。
従兄弟たちで走り回ってた。
父方の従兄弟も、母方の従兄弟も、同世代が大勢いたから大変だった。
大人になると、それも少しずつ距離が空く。
親戚付き合いは、それはそれで、少しだけ面倒になってくる。
大人になると、ただ、お兄ちゃんお兄ちゃんじゃなくなってくる。
それぞれが生活を抱えているし、それぞれが問題だって抱えている。
何かないと集まらないような微妙な距離感。
冠婚葬祭で顔を合わせれば、子供の頃とは違って、盃を交わす。
多分、根本的な部分は子供の頃から何も変わっていなかったりするはずだ。
性格だってそれほど変わっていないし、関係性だってそれほど変わってないはずだ。
多分、おいらみたいなもんは、相変わらずだなぁと会う度に思われている。
りゅーいちは変わらないなんて何度聞いたことか。
それなのに、距離感が変わるのはきっと、大人になると色々余計なものがくっついている証拠だ。
考えてみれば、真っ裸で、一つの浴槽に5人で入ったりしていたのだから。
夏なんか、殆どの時間を水着で過ごしたりさ。
裸から考えたら、そりゃ、色々つく。当たり前だ。
それこそ、もうおいらたちは子供ではなくて、むしろ子供がいるやつばっかなんだから。
あの夏。
間違えてバスがなくなる時間まで遊んでしまった僕たちは延々と海岸沿いを歩いたねぇ。
時々泣いている従兄弟をおぶったりしながら。
足が痛くなって、とても、帰りつくとは思えなかったよねぇ。
どんどん空が暗くなって、波の音が大きくなっていった。
あの時、皆が大人になって、やっぱり、えんえんと進まなくちゃいけないなんて誰も気づいてなかった。
自分の足で、延々と歩き続けなくちゃいけないなんて、想像も出来なかった。
親戚が帰ってから、送り火を炊く。
お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん。
この煙に乗って、つかの間の夏休みから帰っていく。
夏休みはいつも、おじいちゃんに見送られていたのにね。
今は、おいらは、煙を観ながら、見送っているよ。
雨が強くなって。
雨が弱い時間に自転車で実家に来たことを後悔した。
8月なのに、寒い夕闇の中を、濡れながら自転車をこぐ。
おいらの印象がさして変わらないわけさ。
こっそり、りゅーいちには期待してるなんて言葉を思い出す。
もう、こっちはおっさんだぜ。
そんなに、期待されてもなぁ。
えへへ。
変わりようがないんだろうな。
きっと。
距離感が変わろうが、何が変わろうが。
あの夏のまま、生きちゃっているんだろうなあ。
記憶にかすかに残るおばあちゃんの笑顔をふと思い出す。