2017年08月13日

タイムリーではない

アメリカ在住の映画ライターさんの記事で「この世界の片隅に」の記事があった。
おおむね、アメリカ内のレビューで好評だという内容だった。
戦勝国で、実際に攻撃をしていたアメリカという国内で文化として評論されるというのがとても面白い。
その中の一節で、「北朝鮮の核挑発でタイムリーなことだけは残念だ」という一節があった。

北朝鮮のICBM実験で、ぞくっとした人は多かったと思う。
実は日本に届くミサイルはとっくのとうに完成していて、アメリカ本土に届くものなのだけれど。
なぜ、それで、ぞくっとしたのかと言えば、それは、アメリカが本気になってしまうかもと思ったからじゃないだろうか。
いくら、アメリカの事情に詳しいコメンテーターが、開戦はないと言ったところで、説得力がない。
アメリカという国のこれまでを思えば、やる時は絶対にやってきたとおいらは思う。
そして、独裁国家に核保有を認めることは、未来永劫ありえない国だと思っている。
なぜなら、独裁国家であれば、そのボタンを押す押さないが個人に委ねられてしまうからだ。
それでは、世界平和を一瞬で終わらせる決断を個人が持つことになる。
アメリカは実は脅しているだけだというコメントをおいらはあまり信じていない。
いつでもやれる準備がしてあるはずだ。

恐らく・・・というか、絶対にだけれど。
現代を生きる日本人に、戦争が反対じゃない人間はいないんじゃないかと思う。
それは、政治家でも防衛相の人間でも、自衛隊でも同じ。
戦争をしたい人なんかいるわけがない。
時々、戦争をしたがっているというようなレッテルを、誰かに貼るようなことをみかけるけれど。
それだけは、絶対にないだろうなって思う。
実際に戦争状態になった時のリアリティを求めるのか、理想を求めるのか。
たったそれだけの違いなんじゃないかっておいらは思っている。
戦争反対の上で、どんな準備が必要で、どんな覚悟が必要なのかということだ。
亡国まで覚悟するという決断をするのであれば、おいらはそれはそれでもいいよと思っていたりする。
亡国まで覚悟しないのであれば、また別の方法を模索するしかない。

なのに、日本のほんのすぐ隣が、きな臭くなってきた。
実際、これを人はどう思っているのだろう?
実は、おいらは、たびたび耳にしてきた
「いっそのこと、アメリカが北朝鮮叩いてくれないかなぁ・・・」なんて言葉を。
拉致にしても、武器の開発にしても、暗殺にしても、不正なマーケットにしても。
なんというか、目の上のたん瘤みたいな存在で、邪魔だなぁと感じるのはとてもわかる。
そして、たぶん、それがどういう結果になるかなど、特に考えず、軽く言っている言葉だ。
でも、実際に、そういう言葉を何度も耳にしてきた。
日本列島を越えるミサイル実験の時なんか、何度も耳にした。

これだから、怖い。

戦争は絶対に反対なはずなのに。
北朝鮮、誰か黙らせてくれないかなぁという意見が普通に出てくる。
そして、恐ろしいことに、そんな言葉に、どこかそうだよなって理解できる自分もいる。
自分の中でも、矛盾が出てきてしまう。
普段、リベラルな人でも、北朝鮮のミサイルには過激になったりする。
そのぐらい、人間というのは曖昧だって証拠だよなあと自分も含めて思う。
やわらかいのだ。人間の心は。
それは、誰が誰を責められることでもない。
戦争反対と叫んでいる人の家族の上にミサイルが落ちて、戦地へと復讐に向かったとしても、それが人間なのだから。

なんというか、なんというかだ。

おいらなりに、そこにリアリティを持っていたいなぁと思う。
その上で、芝居や映画について考えたい。
「SEVEN GIRLS」公開時に、タイムリーだなんて言われたくない。
この時代に生きていて、あの時代が過ぎていて、そこで何かをやっている以上。
他人事のようにはなってはいけない。

もし、米朝が開戦したら。
どんな兵器を使用したとしても、どこが与党でも日本政府はアメリカを支持するだろうなあ。
せざるを得ないというか。
なんだろう、この感じ。
なんなんだろう?

何があっているのかとか。
何が間違っているのかとか。
そういうことではなくて。
考えること、思う事、そこにちゃんといること。
それだけの話なのだけれど。

多分、それぞれが、自由について考えるってことと繋がっている。
そして、自己矛盾の中で、生きていくしかない。
その向こうに、きっと、意志がある。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:43| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする