2017年08月05日

刺激映像

コンプライアンスという言葉をたびたび耳にするようになった。
法令や規則を守るように企業努力するというような意味だと思うのだけれど。
確かに、法律を守らないような企業だと思われれば、一社員の行動でも企業に傷がつく。
ただ、どうも、なんというか、このコンプライアンスが拡大解釈されつつあるような気がする。
他えばハラスメントであるとか、そういうものだけならば、まだしょうがないかもなと思うけれど。
なんというか、実態の伴わない規制が多すぎる気がする。

インターネットがここまで普及して、誰もがスマフォを持つ時代になって。
広告業界は激変したのはすぐにわかる。
テレビはかつて持っていた巨大な力を失いつつある。
それでも、テレビというのは、やっぱり巨大なメディアで、すごい力を持ってると思う。
一番気楽な窓口だから。
もちろん、今の小学生なんかが大人になった頃はわからないけれど・・・。

今の小学生は、テレビなんか観ないらしい。
ずっと、Youtubeを観ているのだそうだ。
今はテレビでもゲーム機などを繋げばYoutubeを観れるらしい。
だから、テレビ番組を観ないで延々と、映像検索するのだそうだ。
ちょっと想像もできないのだけれど、小学生を子に持つ親から聞いているから間違いないのだと思う。

それはなんでだろう?と考えると、結局、刺激の問題なんじゃないかと思う。
おいらが子供の頃なんかもそうだったけれど、情報とは子供にとってすべて刺激だった。
まだ規制がゆるい時代だったから、今よりもずっとずっとテレビの表現も自由だった。
有り得ないような火薬量の爆破だとか、えげつない下ネタだとか、なんでもござれだった。
普通のドラマでも、アニメでも、たくさんの刺激を受けていたなぁと思う。

でも今は、少し下ネタを言っただけで、尻込みするらしい。
なぜなら、途端にものすごい数のクレームが来るからだそうだ。
下ネタを口にしただけで、女性蔑視だ!というようなクレームまで来るとか。
実際にそれをしている人の人数がどれぐらいのものかもわからないけれど。
女性蔑視まで言われてしまえば、ハラスメントだなんだと法令に触れていることになりかねない。
そうなると、コンプライアンスというのが、大きく響いてくる。
子供がこんなものを観たらどうするのだ!と怒られればシュンとしてしまう。

でも、実際には意味がない。
だって、子供たちはテレビに刺激がなければ、Youtubeなりなんなり、別のメディアに行くだけだ。
残念ながら、子供の持つ好奇心を大人がコントロールすることなんて永遠に不可能だ。
見せなきゃいいと言ったって、かえって必死に探すようになるだけなんだ。
だったら、親と一緒に観ているテレビで下ネタが流れて、変な空気になったほうがましだと思う。
その変な空気から学ぶことだってたくさんあるのに。
なんて勿体ない事をしているんだろうなぁって思う。

ところがそんな時代だから、逆に手を打ってくるテレビ番組が現れ始めている。
先日書いた陸海空という世界中を旅する番組でも、クレイジージャーニーという番組でもそうなのだけど。
コンプライアンスにも抵触せず、かつ、非常にクレームの入れずらい、けれども過激な映像を放送している。
なんて、絶妙な所をついてくるんだろう・・・と思う。
南米の奥地の少数民族に交じって、猿の肉を食べるシーン。
アフリカの少数民族に交じって、女性カメラマンが裸で写真を撮影するシーン。
麻薬が横行するスラム街に潜入して、銃を持つ売人に取材を重ねるシーン。
様々な動物の解体シーン。調理シーン。
エトセトラ、エトセトラ。
そのどれもが、素晴らしく面白く、かつ刺激のある放送だ。
そして、クレームなんか入れようがない。
実際にそうやって生活している民族があるのだから、逆にクレームを言えば民族差別になる。
クレームを入れる側がコンプライアンスに触れてしまいかねないという事だ。

タレントが、A5ランクのシャトーブリアンだと言って、とろけます~!と言っていた番組ばかりだったけれど。
確かに実態は、牛を殺し、解体し、その肉を誰もが食べているわけで。
そのために、牛の品種を選び交配させて、餌までコントロールしているという現実がその向こうにある。
そういう番組へのある意味でアンチテーゼのような番組だ。
生きるという事は、他の生命を搾取することなのだという真実が映像化されているのだ。

目をつぶって見ようとしない真実というのが確かにこの世の中には今もたくさんあって。
それをそっと隠し続けている。
いずれ、本気の性教育な番組が、放映されるんじゃないかと思う。
下ネタではなく、性教育であれば、非難のしようがないからだ。
直接的な表現を避けて、奥ゆかしさや、わびさびを求めるのが日本人的表現ではあったのだけど。
何もかもダメだという時代になって、いよいよ、直接的な表現こそ、逆に必要になりつつあるんじゃないだろうか。

高校の頃かなぁ?
朝まで生テレビで「日本の右翼」というのをやっていて。
赤尾敏さんとか普通に出演していて。
あれは、とてもダイレクトで刺激的で、面白かった。
あれを見て、右翼になった人もいるかもしれないけれど、おいらはなっていない。
ただ、ちゃんと、右翼の突き詰めている人たちの存在をちゃんと認識できた。
ナショナルジオグラフィックなんかも、面白くてずっと観ていた時期がある。
そこに広がっていたのは、世界を広げて良く刺激以外の何物でもなかった。

パンパンという存在は、まさにそういう存在だ。
ある意味、黒歴史として、あまり触れないようにされている。
それぐらい実際にパンパンをしていた人数が多いというのもあるけれど。
左翼も右翼も、パンパンについては、あまり主張したくない問題だというのもあると思う。
占領されて、占領軍の兵士に日本の婦女が体を売っていたという事実は、日本人のプライドも傷つける。
隠されていはいないけれど、表に出そうとはされない。
出されるときは、どこにでもいる普通の女性が春を売っていた実態ではなく、プロの娼婦であることが殆どだ。
白いメリーさんは、プロの娼婦なんだから。
そうじゃなくて、復興に至るある一時期、多くの普通の日本人女性がパンパンになったんだ。
もちろん全員じゃないけれど、そうしなくては生きていけなかった時代が確かにあった。

沖縄出身タレントにハーフや、クォーターが多い事は当たり前のことだ。
沖縄や小笠原諸島は、最後まで占領されていた土地だからだ。日本ではなかったのだ。
もちろん、パンパンじゃなくて、米兵と日本人女性の恋愛もたくさんあったのだけれど。
パンパンもいたんだよ、沖縄返還のその日も。誰も教えてくれないけれど。
そして、そういうことも、知らない人もきっとたくさんいるのだろうと思う。

映画は刺激だ。
もちろん、情報ではなくて、作品だけれど。
やはり、別の角度から真実を映し出そうとする表現だ。
人は肉を食うし、SEXをするし、あさましいところだって持っている。
人間の本質や、真実の表現に。
コンプライアンスなんてない。

それをエンターテイメントとして発表するのだから。
なんというか、なんというかさ。
でも。
作品を観て、心が動いたとしたら。
それ以上の刺激はないんだよって、本気で思っている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:05| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする