深夜番組で最近話題になっている番組がある。
未開の地を芸人が探索するという企画なのだけれど。
タレントが行く前に、ディレクターが現地で確認していくというのがあって。
このディレクターが、とっても、ワイルドというか、冒険野郎過ぎて、タレントよりも受け始めている。
今回は、初めて外国人が来たというアマゾン奥地の部族集落。
撮影許可を出すか出さないかという集落の中の話し合いに参加させられていた。
言葉もわからない中、3時間も、言い合いの中でただ待っていたのだけれど。
君から何か言いなさいと促されて、ディレクターが選んだのが歌だった。
「上を向いて歩こう」をギターで弾き語りをした。
恐らく、集落の外の文化に、全員が初めて触れるというとても珍しい映像になったのだけれど。
全員が拍手をして、それどころか、プレゼントまで持ってきて、取材許可が下りるという奇跡が起きた。
何かを喋るわけではなくて、歌を歌うという選択もさることながら。
文化は、言葉も部族も民族も国境も、簡単に超えてしまうというのを実際に目にした。
日本人にも実は頻繁に起きている。
鎖国国家だったこの国は船来の文化に触れて、積極的に海外の文化を取り入れていった。
蒸気船に始まり、機関車が走り、写真に驚き、演劇を知り、ロックンロールにしびれた。
それはもちろん今にも続いていて、海外のまだ知らぬ文化は、毎年のようにブームを生みだす。
ファッションでも、ダイエットでも、スイーツでも、音楽でも、映画でも。
常に新しい文化を求めている。
本当は、それがすごいことなんだよなって、思い出させてくれた。
新しい文化に触れて、それに憧れるという事があるとしたら。
それは、とってもとっても、ポジティブな意識があるからこそだ。
その文化の向こうに、まだ見ぬ世界を思い描いている。
そして、思い描くだけではなくて、それを自分の物にしたいと願う。
そのために、その文化を積極的に理解しようとする。
確実にそれは前に進むというベクトルが働いている。
壁が一つ壊されている。
一口にポジティブというと、どうも簡単な使い方をする人がいる。
それは、本当の意味で言えばポジティブとは言えないんじゃないかなぁと思えることがたくさんある。
ミスをしたけど、前向きに頑張ろう!なんてのは、実はそれほどポジティブじゃない。
なぜならそれの本当の意味はミスをしたことを忘れてしまおうというネガティブな要素が入っているからだ。
何か問題が起きた時に、きちんと反省して修正して、もう一度、やり直すことこそ、真のポジティブだと思う。
前に進むというのはそういうことの繰り返しじゃなくてはいけない。
反省したり、自分のミスを考える時間帯をどうしてもネガティブだと思いがちだけれど。
それは本当は全然ネガティブなことではなくて、悔やむことも落ち込むことも、前向きなことなはずだ。
なぜなら、悔やむことも、落ち込むことも、次に進みたいからこそ、生まれる感情だからだ。
特においらのような人間は、とっても危ないのだけれど。
何かをやり始めれば徹底的にやらないと気が済まない。
当然、一生懸命になって頑張るんだけれど、頑張れば頑張るほど、やってる気になってしまう。
自分はちゃんとやってる!と思った瞬間、悔やむことや落ち込むことを忘れてしまうことがある。
それとこれとは、まったく別の話なのだ。
唇をかみしめながらそれでも前に進むというのが正しいポジティブなんじゃないかって思う。
自分に何が足りないのか、そこに目をつぶらないで、その上ポジティブでいることは、とっても難しいことだけど。
いつも自分に言い聞かせる。何かを忘れるために頑張るんだったら、意味はないぜと。
だから、歌はすごいって思う。
あのパンパンたちが歌う歌もそうだ。
自分のダメな部分を直視すれば弱気になりそうなものだ。
けれど、そこで、ぐっと踏ん張る。
ダメな自分を知りながら、それでも、一歩踏み出す。
それが、あの歌だと思う。
「上を向いて歩こう」もそうだ。
涙を流しているけれど、上を向くのだ。
こぼれないようになんて歌っているけれど、もちんろん、こぼれないためにじゃないんだ。
おいらは忘れない。
絶対に忘れないようにしたい。
自分の中にある小さな傷すら忘れない。
忘れたらただの記憶。忘れなければそれは経験になるからだ。
最近、鼻歌を歌っている自分に何度も気づく。
どうやら、おいらも、ギリギリで何かに踏ん張ってる。
文化は常に新しいものがやってくるけれど。
原始的な生活をしているあの集落でさえ、通じる感覚だったようだ。
幸せは空の上にある。
幸せは雲の上にある。
悲しみは星の陰にある。
悲しみは月の陰にある。
上を向いて歩こう。
唇をかみしめながら。