2017年08月08日

特別な夜

七夕というと7月7日のイメージだけれど。
実は全国的に見ると、8月7日に行っている地域がとても多い。
もともと、太陰暦だった日本の行事で、旧正月と同じように地域差がある。
確かに考えてみれば梅雨時に七夕では、織姫も彦星も中々会えない。
なにせ、日本一有名な七夕祭の、仙台七夕まつりが8月7日なのだから、8月の方がしっくりくるのだろう。
だから今宵も七夕なのだ。

しかも、今日は満月。その上、月食の日。
まぁ、満月だと、空が明るすぎて、天の川なんか東京じゃ見えないのだけれど。
それでも、目視できる月食だと聞いていたから、少し楽しみにしていたのだ。
なんというか、とても特別な夜のような気がする。
なんか、しかも次の新月の日が日食だとかってのもどこかで見かけた。
日食は日本では見れないみたいだけれど、そんなめぐりあわせはとても珍しいはずだ。
今日、明日は、なんかのパワーに満ちている。自然と。
月に地球の影が映る日なんて、特別に決まっている。
天体レベルで起きるエンターテイメント。

だというのに迷走台風がこんな夜にやってきたよ。
洪水警報や避難警報が、何度もテロップで流れる。
7月中に10号まで台風が生まれるなんて記録だなんて言っていたのに。
上陸したのは5号。
こんなに長生きな台風も珍しいなぁと思ってみたら。
この台風、日本の南で、クルクル回ったり、南北に蛇行したり。
なんともなんとも、迷走というには余りにも、めちゃくちゃな進路をしている。
おかげで、現時点でも、今後の進路の予想が全くできていないし、当たっていない。
それも、九州南部海上の時点では、時速10Kmなんていう、自転車並みのスピードで移動。
上陸したら、台風の足は速くなるイメージだったけれど、元がこんなに遅いと陸上でも時速20km。
いつもなら、夜のうちに抜けている台風も、明日の朝、未だに関東に到達さえしていないらしい。
まぁ、そんな予想さえ、どうも怪しいのだけれど。
雨が降りそうでも、自転車で逃げられるなんて冗談を言ってみたり。

でもさ。実はさ。
台風が近づいている時の空が好きだったりする。
不謹慎かもしれないけれど。
ものすごいスピードで雲が流れていくじゃない?
だから、これを書いて、雨が降っていなかったら、ちょっとだけ夏の夜に飛び出そうかな。
それで、流れる雲を観るのだ。
余りにも大きすぎる空を観て、自分はちっちゃいなぁなんて思うのだよ。
それでさ。
もしも。
もしも、ちょっとだけでも、月食で、いつもとは違う満月が見えたなら。
こりゃ、良い知らせが来るなぁなんて、思おうかな。

空一面が曇天でもいいさあ。

おいらの夏休みは毎年、夜にやってくるんだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:25| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月07日

全ての個性がさらけ出された

稽古に行く前に連絡を取る。
先週、ラジオドラマを用意してくれた役者に今週って何かあるかどうか。
ないと聞いて、すぐにネット検索して、とあるテキストを出力して稽古に向かう。

稽古場につくと監督がいなかった。
連絡はしてるけど、返信がないという。
おいらは、そういうのはなんだかやたらに心配になってしまう性分。
なんの返信もないと、何か起きているのかもしれないと考えてしまう。
まぁ、ただの連絡であればいいけれど、来るはずの時間にいなくて連絡がないとなるとそうなる。
すぐに連絡してみてと言ってみると、案の定、体調を崩していた。
ちゃんと食べて、養生してくれたらいいけれど・・・。

監督がいないから、じゃあ、帰ろうかとはならない。
テキストを人数分コピーして配る。
今週のお題は、落語。
短めのをいくつかピックアップして、ただの小噺ではなくて、もう一つ何か乗ってるものをみつけた。
なんと、艶噺。色っぽいシーンがある落語で「目薬」というお題目を選んだ。
いわゆる下ネタだ。
落語に詳しい人であれば、知っているかもしれない。
何ともバカバカしいけれど、演じ方で色っぽくもなるし、大馬鹿な話にもなる。

もちろん、本来なら落語は、覚えて、アレンジして、自分の物にしてから演じるものだ。
そして、ベテランの噺家さんでも、古典落語を自分の持ちネタにするにはとても時間がかかるもの。
それを、テキストを読みながら演じるのだから、当然、表現力は格段に落ちる。
表情で演じたり、体を揺らしてみたり、そういうことも、まだ組み立てに入れられない。
それでも、これは、難しいだろうなぁと、予感していた。
そして、色々な稽古を経験してきたけれど、おいらにとっても落語は初体験だった。

ただ、予想以上にこの「目薬」というネタが面白かった。
誰がやっても、面白い箇所が出てくる。
艶っぽい部分が得意だったり、ばかばかしいところや、対話が得意だったり、つっこみがうまかったり。
元々持っているテクニックで、面白い箇所が出てくる。
もちろん、やってみると、演じた人間は全員、ちょっと苦虫を嚙み潰したような顔になる。
全然、自分が思った通りには出来ないのだ。
それでも、人のを聞いていられる。
なんだったら、ラジオドラマよりもよほど、聞いている分には面白い。
古典落語が、とても、完成された文化である証拠だ。
現代演劇のシナリオで、ここまで完成されたものって、実はないんじゃないかと思えるほどだった。

古典落語で稽古するというのは、実は、ポピュラーだし、最近になって再度、評価されていると思う。
タイガー&ドラゴンというドラマであったり、深夜アニメで落語を題材にした作品があったり。
役者や声優が、落語に挑戦するような場面が、増えてきたというのもある。
ビートたけしさんが、特番で落語を披露したというのもある。
松本人志さんが、実は、毎晩、落語を聞いて寝ているという逸話も最近出てきたし。
ワンピースの作家、尾田栄一郎先生の原点は、少年時代にはまりまくっていた落語なのだという逸話もある。
超の付く一流の人たちが、落語で稽古をしたり、学んだりしているというのはとても大きい。
実は俳優でも、芸人でも、古典落語をやることで、稽古をしているという人は意外に多いのだ。
枕があって、前振りがあって、落としがある。
わかりやすい構造の中で、どこをどう魅力的に演じていくのかという難しさが、あらゆる表現の本質に繋がっている。

一番問題があるとすれば、そこに正解はないという事だ。
どれもが正解であり、どれもが間違いである。
しかも、今日は、完全な客観を持った演出家が不在。
それでは、やる意味があるのだろうか?と思う人も多いのかもしれない。
正直、それをやる意味があるかないかは、全くわからないというのが実感。
なぜなら、そんな中、皆で落語をやって、自分が出来ないところ、他の人の面白い所、それを体感することは。
結局、それを血肉に出来るのは、それぞれに委ねられているからだ。
これは、誰かに教わったり教えたりすることではない。
自分で、学ぶことだし、自分で感じるしかない。
問題点に気付く人もいれば、良かった点だけ見る人もいるし、もしかしたら、ただやっただけの人もいるかもしれない。
だから、やる意味があったのかどうかの結果は、わからないが正解なのだと思う。
結局、必要な人が必要な経験をしているかどうかは、それぞれ次第だからだ。
・・・劇団員の中には、家でもう一回自分でやってみようという役者もいたから、それは確実にプラスだと思うけれど。
ただ、もし今日の落語で何かを掴むことが出来たのなら、間違いなくそれは財産になる。
今すぐ花開かないでも、きっと財産になる。
正解がない中、自分で、正解を探すという経験は、そのまま芝居の血肉になる。

少ない人数で呑む。
芝居の話。
夢のある話。
夢ではなくて、現実の目の前の役者として足りないものの話。
誰それの落語はどうだったという話。
これがプラスであるかどうかではない。
これもプラスに出来るかどうかだ。

外に出ると、ほぼほぼの満月。
本当は明日の深夜かな?
月食があるとかないとか。
特別な満月の日なら、ちょっと楽しみだな。

まだ少しだけ、自分の頭の中でくすぶり続けている落語。
自分の技術的に足りない部分、リズム、パワー。
誰かに褒められたところで、結局反省点ばかりが、後を引く。
いくつになっても、うまくなりたいと願い続ける。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:38| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月06日

その間に目的を持った奴は着々と準備をしてる

去年の今頃の忙しさを思うと物足りない日々が続く。
まぁ、逆に去年の今頃は異常ともいえるほど色々なことに手を付けていた。
完全に手が足りないぐらいの分量だった。
シナリオを解析して、シーンを書き出して、矛盾がないか検証してを繰り返していた。
そこまでやったから、自分のキャパシティが増えているともいえるかもしれない。
物足りないわけがない。今もやることはあるのだから。
そして、それでいいのだと自分に言い聞かせる。
今は、パワーを貯蓄する時期。一気に開放する日が来るのもわかっている。

そこにドラマがあるかどうか。
それはとても大事なことだ。

最近の舞台では、まずありえないけれど。
おいらは、常に舞台でもバンドでも自分がちょっとイってしまう瞬間があって。
レッドゾーンにどう入っていくのか、あるいは入らないのかという所で勝負していた。
なんというか、自分の精神の限界みたいなものを、抜け出るというか、越えてしまう。
涙はダラダラ流れてしまうし、怒れば、鬼のようになってしまうし。
場合によっては、袖に帰った後、あまり記憶が定かじゃなかったりするときもあったり。
表出とおいらは呼んでいるのだけれど、そういう瞬間を、ちゃんとドラマにすることを構築しなくちゃいけなかった。
そんなシーンで、なんでそんなテンションになっちゃうんだよ?ってのは、やっぱりまずいからだ。
本能的な、丸裸の人間になる瞬間というのは、作品の中で、出せる場所と出せない場所がある。

でも、絶対に毎回そうなるのかと聞かれれば、それはそうじゃなくて。
ちゃんと最初のシーンから構築して、繋がっていって、ピークを迎えた時に。
すっと、自分で一歩踏み込んで、初めてそういうゾーンに入っていくという感じだった。
そこまで準備しても、どうしても、今日はそういう感じにならないという時もあった。
それぐらいコントロール出来ないものなのだ。
いや、そもそもコントロールしようと思うのが間違いで、もっと原初的な、無意識化のレベルだ。

最近の作品では、そういう瞬間があまりなくて、だからそういう自分にならないように抑えつけている。
針が振り切っちゃえば、どうなるかは、自分が一番よく知っているから。
テクニカルで躱したり、笑いに行ったり、儀式的な工程も踏まないようにしている。
もちろん、それが出来る役割になった場合は、しなくてはいけない。

ドラマは、そういう瞬間に生まれるのだと思う。
お客様と一緒に作品の時間を過ごしてきて。
ああ、今、お客様が自分の演じている役に感情移入しているぞと、生身で感じる瞬間がある。
その時に、開放できれば、それが一番のタイミングで、それより前でも後でもいけない。
それこそが、本当のドラマチックというやつだ。
自分の思い入れだけで、そういう状態になると、それはそれで、もう表現として成立していないと思っている。

でも、そういうのって、なあに?という俳優ももちろんいる。
レッドゾーンに入るとか、ちょっと意味が分からないと言われることもある。
俳優にはタイプがあって、それぞれ、表現方法も構築方法も違うから。
その中で、開放状態になったことがない俳優も実は何人もいる。
だとしても、コントロールできない自分の無意識というものがどうやらあるらしいとは大抵気付いている。
なんか、いつもより、泣けなかった・・・なんてことが役者にはあったりする。

多分、去年のおいらは、芝居をしているので言えば、レッドゾーンに入っていた。
シナリオを映画にするために必要なこと全てをとらえて、同時に脳内で考えていた。
そして、最大のドラマチックな場面である、撮影日に突入していったのだと思う。

だから今は、ドラマで言えば。
たんたんと種をまき、たんたんと積み重ねていく場面なのだ。
そういうシーンなのだ。
いずれやってくる、クライマックスのために。
準備したものでは無ければ突入できないゾーンがあることをおいらは知っている。

その日が来るまで。
その日に向かって、構築し続けるのだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 05:07| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする