2017年08月25日

虫の声

夏休みも終わりの時期に差し掛かると、虫の音が響く。
去年の撮影時期は秋も深まっていて、虫の音に、編集で悩まされた。
実は、あるシーンで、一部のセリフに虫の音が重なっていたからだ。
全てのセリフをアフレコで録音しなおすのか、それとも、全体に虫の音を流すのか。
どちらにしても、同じシーンで音がある場所とない場所があるようではおかしくなってしまうから。

秋の夜長を鳴きとおす ああ 面白い 虫の声

子供の頃から歌っていた、虫の声の歌だ。
意外に知られていないのが、この「虫の声」という発想は、とっても日本人的だということだ。
何を言ってるのか、ちょっとわからないかもしれないけれど、科学的にそうなのだ。

人間は、生まれてすぐに音が全て聴こえているわけじゃない。
徐々に徐々に五感が形成されていく。
その中で、当然、生まれてすぐは、言葉なんて理解できない。
だから、聴こえている音の中から、心臓の音を探し、母親の声を探し、環境音と声の違いを学習していく。
そうやって、脳内に、言語野という言語を聞き分けて理解する場所が生まれる。
聞き分ける→組み立てる→理解する→発信する
やがて、言語野が形成されてくると、この順番に出来あがっていく。
子供が初めて言葉を口にする時、それは、言語野が、発信まで育った証拠だ。
もちろん、その後も、脳は発達していく。
でちゅまちゅ言葉から、やがて、謙譲語だとか、ナマイキな言葉まで覚えていく。

実は、この言語野の形成過程に使用する言語によって、脳内の言語野が出来る場所が変わるとわかった。
英語、中国語、韓国語、イタリア語や、ギリシャ語や、ありとあらゆる言語の中で、日本語だけが場所が違うのだ。
これははじめ、日本人特有の脳内の活動とも思われていたらしい。
けれど、人種の違いや、地域の違いではなく、言語の違いだとはっきり分かったのだそうだ。
日本人以外の人種であっても、日本語圏で育った子供は、言語野の位置が変わる。
逆に遺伝子的に日本人でも、日本語圏で育たなければ、そうはならない。

俗に理数系が左脳、文系が右脳と言われるけれど、それは概ね合っている。
言語野は基本的に右脳が大きく作用するのだそうだ。
ところが日本語の場合、左脳も使わないと、うまく言語化できないという。
とっても、面白い現象だなぁと思う。
むしろ、日本語は左脳で構築しているらしい。
もちろん、どちらが優れているという事ではない。
もっと、科学的に明確な、機能的な違いという事だ。

面白いのは、言語野最初の形成の聞き分ける機能だ。
日本語を使用する人は、動物の鳴き声や、虫の声を、「言語」として聞き分けるのだという。
日本語以外の言語の人は、「音」として聞くのだそうだ。
クックドゥードゥルドゥーには、理由があるのだ。
虫の音は、日本語で育てば虫の声で、日本語以外で育てば、サウンドということだ。
波の音とかね。風の音とかね。雨の音も、声のように聞いているんだって。

もちろん、なぜそうなるのかまでは、まだまだ研究の余地があって、研究は続いているわけだけれど。
そこは、脳科学って言うのは、最近、どんどん進歩しているから学者さんに委ねて。
言語を扱う、おいらたちは、その情報をありがたくいただいて、日本語の表現の可能性をもう一度考えることが出来る。

それにしても、なんというか。
虫の声だよなぁって思う。
やっぱり、確かに声として聴いているなぁと自覚できる。
カラスの鳴き声で、振り返りそうになることだってある。

ここまで書いたらどう思うだろうか?
冒頭に書いたシーン。
虫の音を生かしたのか、なくしたのか。
その答えは、映画を観るまで、お待ちくださいな。
ご想像にお任せします。

耳をすませば。
声が聞こえる。

言霊なんて言うけれど。
言語そのものが、大いなる呪詛ですらあるんだなぁ。
長い時間をかけて形成されていった日本語。
ゲームを観れば、ソニーに任天堂。アニメも漫画も世界中に広がっている。
きっと、それは日本語と言う特殊な言語で形成された脳と無関係ではないと思う。
赤ちゃんだった自分たちは、母親の声と、虫の音を同じように聞いていたんだなぁ。

風の歌。星の声。波のささやき。涙雨。おひさまの微笑み。
鳥は歌い、虫は泣き、どこかの犬が呼んでいる。
お鍋がぐつぐつ言ってるよ。

日本人は、たくさんの精霊に囲まれて生きている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:35| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月24日

LINKS

まだSNSがない頃のWEBには、必ず必要なコンテンツがいくつかあった。
その中の一つが、リンクページと言うやつで、様々なHP同士でリンクを張った。
相互リンクと言う動きもあって、お互い了承の上、リンクを増やしていった。
つまりWEBへの導線が、まだリンクが強かった時代だったという事だ。
昔はYahoo!のインデックスにリンクを貼ってもらうのがステータスだった。
そのYahoo!のインデックスも今はなくなった。

最近のHPからは、リンクページが消えていっていることにお気づきだろうか?
実は、相互リンクと言う導線は、今や、あまり効果のないものになっている。
例えば、映画のHPを見ても、役者のプロフィールにオフィシャルへのリンクなどは余り貼っていない。
貼ってあった方が当然便利だし、色々と手間が省けそうなものだけれど、ないのだ。
それは、アドレス変更などのリンク切れも発生しやすいというのもあるけれど、もっと別の意味もある。

何故かと言えば、現在は、それが気になれば、すぐにググるからだ。
映画を観て、HPを観て、気になった役者がいたら、自分でその役者を検索してみる。
オフィシャルページを見つけたり、wikiやSNSを見つけたりして、自分からフォローしていく。
その流れがあまりにも一般的になっている。
そして、統計でも、自分から調べて辿り着いた方が情報として残りやすいという。
リンクを辿るのは、本のページをめくるようなもので、検索することはより能動的という事なのだろう。
だから、SEO対策であるとか、Googleでの検索上位こそ、今は最優先になっている。
リンクして、観てもらっても、余り記憶にとどまらないのだから、検索されやすいほうが優先になる。

インターネットの一番の素晴らしい所は双方向性、インタラクティブ。
ただ情報を得るだけではなくて、自分から能動的に動けるところだ。
自分で必要な情報だけを探すことが出来る。
そして、それは、人間の好奇心を考えれば、本能に根差した面白さも持っている。
だからこそ、一方向なリンクや宣伝は、逆効果になりかねない。

劇団のHPから、映画のHPへのリンクはもちろん、貼っていくつもりなのだけれど。
その逆はどうかなぁと、実は思い始めている。
確かに、貼っておけば知名度も上がるし、リンク誘導も出来るのだけれど・・・。
映画は、劇団の知名度をあげるために製作された・・・と思われかねない。
セブンガールズは、セブンガールズという映画のプロモーションをするべきだ。
その先の情報は必要な人が、より能動的に調べられるようにした方が多分、良い。
現在、製品情報ページでも、映画などのコンテンツ情報ページでも、安易にリンクを貼らないのには意味がある。
大きな意味で言えば、監督や役者、スタッフさん、全ての人のプロモーションと言えなくはない。
けれども、やはり、そこから先は自由度があったほうが恐らく良い。
この映画で劇団を大きくしたいとか、役者が売れたいとか、あっても良いけど、それは二次的なものだ。
あくまでも一次的には、この映画をより多くの人に届けたいでなくてはならない。
そういうのって、雰囲気で出てしまう。
そして、今、一番インターネットでやってはいけないのは、広告宣伝の「匂い」だ。

もちろん、大きな期待はしている。
この監督、他にどんなことやってるんだろう?
そんな興味を持った人が、検索してくれたらどんなにうれしいか。
この俳優、Twitterとかやってないのかな?
そんなふうに、探してくれる人がいたら、どれだけ力をもらえるだろう。

リンクが消えていったのは、SNSという「固定した情報よりも、消費する情報のメディア」が増えたことも一因だ。
SNSには、広告宣伝が満ち溢れている。
変なサイトに誘導されてしまうことは誰にだって経験がある。
だからこそ、広告や宣伝、ステルスマーケティングには、敏感になっている時代なのだ。
あわよくばな、二次的な広がりに欲をかいて、プロモーション映画と思われたら、意味がなくなる。
明らかにプロダクション主導の、新人プロモーション映画なんて、少なくてもおいらは観に行かない。
それと同じような空気をまとってしまいかねない。

作品が面白ければ、絶対に、情報は拡散する。
作品が好きになれば、絶対に、情報を探してくれる。
もちろん、その受け皿は準備しておかなくてはいけないけれど。
だから、まずは、この映画を愛してもらえるように。
この作品を観たいと思ってもらえるように。
そのことに全力を尽くさないといけないのだと思う。

だって、そういう映画なのだから。
一回観ただけでは、追いつかないほどの、奥のある映画なのだから。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:29| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月23日

動きが出てきている

いずれ公開はやってくるわけで、その日に向けての準備が絶対に必要だ。
劇団HPも、リニューアルには一度ページを消さなくちゃいけないので悩んでいたけれど。
公開されるまでにはやりたいと思っていたから手を付けた。

他にも役者が個人のHPを製作して見たり、色々、動きが出てきているようだ。
劇団のグループの一つ、前墳バックドロップスは、SNS活動を活発に始めた。
なんというか、今まで自分が通ってきた道をやっているから、ちょっと嬉しい。
ページを作ったり、アカウントを取ったり、連携して行ったり。
自分たちでやるっていうのが、とても見ていて、気持ち良かったりする。
もちろん、この4つのSNSも劇団HPからリンク、連携できるようにしないとだなぁ。

世の中のほとんどのことは、まずやってみないと始まらない。
そして、やってみたら、意外に出来るのだ。
やる人間とやらない人間、二つに分かれるだけだ。
やれる人間でも、やれない人間でもない。
ちょっと勉強すれば、複雑なことだって出来るようになっていく。

もちろん、映画公開だからってやるっていうわけではないだろうけれど。
それが少なからず刺激になっているのかもしれないと思うと、嬉しかったりする。
それまでになかった動きが生まれるという事は、やはり特別なことだからだ。
実は、全然関係なさそうな小さな動きが、いつの間にか大きな連携になることだってある。
それまでと、それからは、やはり何かが変わるのだから。
何もやらないという選択肢もないわけではないけれど。

おいらは、淡々と準備していて。
あれ?一人でやってないか?と思っちゃうことが時々ある弱い人間だ。
でも、実際は、一人なわけがない。
全員がそれぞれに、何かを思い、考え、実行に移していくだろう。
それが、広がればもちろん最高だし、広がらないとしても、無駄のようで、無駄ではない。

もっともっと、動きが出てくれば面白い。
どんどん、色々な波が重なって行けばいいのだから。
もちろん、それが映画の動員に繋がるというわけではないと思う。
そんなに簡単なわけがないから。
ただ、波が重なれば、面白い何かが起きることは十分にあり得るとおいらは信じている。

あちらこちらで。
それぞれが、それぞれに。
何かを考えて、何かを実行して。
その中で、おいらみたいなもんは、着々と準備を進めるのだ。
もちろん、役者としての研鑽もしながら。
準備もしていくのだ。

本当の面白さは、きっと、もっともっと先にある。
その先を信じているからこそ、なんだって挑戦していけるのだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:32| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする