2017年08月31日

絶海の孤島

8月31日は夏休みの終わりだ。
始業式には防災訓練がある。
もっとも旺盛に知識を蓄えた10年以上の年月そうだったのだから。
どこかにその感覚が残っている。
夏休みが終わっちゃう。宿題をやってない。久々に皆に会う。
そんな何とも言えないような、切ない感覚。
冬とも春とも違う、長い長い休み。

でも少し思い出すと、夏休みの思い出は学校の思い出と直接つながっていない。
なんというか、もっとシンプルな少年時代の思い出ばかりだ。
学校生活の思い出は、なんとなく、2学期に集中してるんだなぁ。
運動会、文化祭、1学期はクラス替えなんかあると様子見だったんだなぁと思い知らされて。
友達と仲良くなったり喧嘩したりするのも2学期に集中していたんだなぁと気付く。

当たり前だ。
日本には四季がある。
季節の大きなサイクルは何も学校教育が始まる前からあった。
正月があって、田植えの時期があって、夏があって、収穫の時期があった。
人はサイクルの中で生きている。
それはもう、遺伝子レベルに染み付いている。
考えてみれば、セブンガールズの企画も、季節のサイクルの中で撮影に向かっていったのかもしれない。

「怪獣の教え」の打ち上げで名刺を頂いた方で、小笠原のカメラマンさんがいる。
Facebookで繋がっていて、その後の交流なんて殆どないのだけれど。
その写真を見るたびに、なんというか、大きな大きなサイクルの中にいる自分を感じる。
南海の絶海の孤島であれば、そのサイクルと直接つながっていると実感するのだろうなぁ。
まして、あの島は、台風が通る場所だから。

さて。2017年の2学期が始まる。
ちゃんと、外側を観て、世界を観て、進まないといけない。
小さくまとまらないで、大きな世界を意識して。
そして、自分の繋がりを意識して。
広い広い海原に浮かんだ絶海の孤島。
水平線の向こうをいつだって、睨み付けるのだ。
世界が広いことを忘れてはいけないよ。

秋に入れば、活動期に入る。
今までの自分を知る限り、間違いなく、またぐぐぐと動き出す。
信じられないようなことも、起こしてやるのさ。
お楽しみ、お楽しみ。

海の向こうじゃ始まったよ。
ヴェネツィア国際映画祭の初日。
世界中に、こんなやつらがいる。
面白い連中が、今も、面白いことを探し続けてる。

夢は壮大だぜ。
さあさ。
そんなところで、縮んでないで。
よっこらせ。

秋だ。
トキとも読む秋だ。


posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:47| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月30日

キラキラ

ユリイカという雑誌の岩井俊二監督特集で、大根仁監督が確か書いていた。
どんな監督もまだ予算がなくて、チームで一致団結しているような初期の作品はキラキラしている。
そんな一節。
思い出しながらだから、少し違うかもしれないけれど、とても強く印象に残っている。

日本人映画監督で最初の作品から潤沢な予算と環境を手に入れられるなんて少ないはずだ。
異業種監督であったり、あるいは、資産家の息子さんの映画や宗教映画ではあったけれど・・・。
それでも長編作品を製作するというのは、セブンガールズもそうだったけれど、大変な困難が付きまとう。
それを越えていくのは、スタッフさんの熱意と、豊富なアイデアと、初期衝動しかないと思う。

そういう泥臭い部分、汗にまみれた部分、雑草のような雰囲気。
もちろん、世に映画を出していく上では、どうなのかわからないけれど。
劇団や、音楽や、作家としての、今までを知っている人から見ると、監督にはとても似合わないものだ。
なんだか、超越しちゃって、ひょうひょうと仕事を成し遂げるような空気を持った人だから。

もちろん、傍で接していれば、その内に潜む暑い志を感じたりする。
言葉や、作品の端々に、ROCKだなぁと感じる魂を見つけたりもする。
けれど、本人が持つキャラクターは、やはり、そういう青い部分はない。
もちろん、年齢的にも若さで突き進むというようなことでもない。
妙なバランスの上に立っているような人だ。

初長編監督作品であったり。
あるいは、小劇場の劇団であったり。
もがいて、苦しんで、作品を生みだしているのに、その空気をまとったままというのは凄いことだ。

ちょっとすげぇなぁと思って、真似したくなったり、かっこつけたくなるけれど。
多分、それをしちゃったら、おしまいなんだと思っている。
泥臭い部分は、おいらや、おいら以外の誰かが背負わなくてはいけない。
そういう部分がなくては、全ては実現不能なわけで。
そこを一足飛びに、なかったことには出来ない。

もうね。情熱だけで、進んでいるような連中を。
監督がひょうひょうと、まとめていく。
いつの間にか、そういうカタチになっていった。
これも、ある意味では役割なのかもしれない。

時々ね。
なんか、自分ばっか、かっちょわるくて、損な役回りじゃないか?って思うことがある。
でも、本当に、それは一瞬で消えていく。
なぜなら、たぶん、おいらは自分の中で、処理できてしまうからだ。
それがどうした?って、ひっくり返せる。
そして、同時に知っている。
シナリオを何度も何度も書き直したことも、編集で悩んだことも、思いも。
あんなこと、実は、情熱のようなものがなきゃ出来ることじゃない。
水鳥は、川面の下で、必死に足を動かしているのだから。
自分ばっかり頑張ってたり、熱くなってたら、たぶん、処理できない。
知っているから、むしろ、もっと頑張らなくっちゃって、何度も思う。

だからこそ。
おいらは、かっこをつけてはいけない場所に立っている。
泥まみれでも、血まみれでも恥ずかしがらずに笑っていなくてはいけない場所だ。
丸裸に近い精神で、そこで笑えるかどうかが、試されているようなものだ。

へへへ。

みっともなくていいんだ。
キラキラしたものが、この映画にあるんだから。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:02| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月29日

一番の力

まだこの映画は公開されていない。
もちろん、なんの実績も残していなのだけれど。
今、これからそこに向かう前の段階だというのに、たくさんのものを手にしている。
それはもう手に余るほどの量で、この大事なものをこれからどうやっていけばいいんだ!と叫びたくなる。
叫びたくなるほど、本当にたくさんのたくさんのものを手にした。

もちろん、物理的に実質的に手にしたものもたくさんある。
ありえないと思われた映画製作が出来たことだって。
実際に、監督の初長編監督作品が出来たことだって。
ここにある、作品だって。
そして、製作段階で蓄えていった、たくさんの知識だって、到底考えられないようなものばかりだ。

けれど、本当に手にしたものは違う。
おいらが手に入れたものは、そんな物質的なものなんかじゃない。

昔は・・・ガキの頃は、実力社会というのに憧れていた。
実力があるものが勝つという単純構造の世界に行きたかった。
だから、職人的な気質に憧れたし、自分も、もっともっとと思いながら進んできた。
でも、この映画製作に携わって、おいらの考え方は完全に変わった。
実力があるから勝つなんて世界が、いかに貧相でつまらないものかわかったと思う。
自分が本当に行きたい道はここかとはっきりした。

もう、馬鹿じゃないの?と言われてもいい。
おいらは、心の繋がりだけで、進みたい。
もちろん、プロフェッショナルならお金の問題もあるし、実力の問題もある。
でも、そういうのを全て飛び越えて、心の繋がりが、一番大事だ。
別に、昔からの知り合いだとかそういうことでもないし、贔屓とかそういうことでもない。
例えば昨日知り合った人でもいい。
こいつは、信用できると思ったら、おいらは、仕事をする。
もう、それが一番だなと、心の底から思った。

例えば、製作スタッフさんや、撮影監督、美術監督、プロデューサーが、困ったことがあれば。
おいらは、このセブンガールズでいただいた恩返しのためになんだってすると思う。
飛んで行って、別にエキストラでも何でもする。
どんなに好条件でお金をたくさんもらえるような仕事よりも、それがある方を選ぶ。
だから、逆においらを信用してもらえないなら、仕事なんかいらない。
任された仕事はちゃんとやってくれるって思ってくれた時だけで、全然、構わない。

これは、やりたいことだけやるってことじゃない。
やりたくないことだってやる。
なぜなら、それが一番の力で、それがいつだって奇跡を起こすとおいらは知ったからだ。
そして、それがなければ、実際にはなんにも生まれないと、心の底から思ったからだ。

何度、ありがとうございました。と言っただろう?
この映画を通じて、本当にたくさんの人に言った。
おいらがありがとうございましたと言った数だけ、おいらは何かを手にしている。
支援してくださった方々。スタッフさん。撮影協力してくださった皆様。
全てのありがとうに、心の繋がりがある。

困ったことが何度もあった。
そのたびに、手を差し伸べてくれる人がいた。
おいらも、いつだって、そういう人でありたいと思う。

そして、いつか、全員が笑えるようなことに、自然と繋がっていくのだと信じている。

それこそ、撮影を終えた、今のおいらの夢だ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:31| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする