不思議な空気が漂う稽古場だった。
その空気を敏感に感じている人はどんな風にそこにいただろう?
おいらは、その空気を全身に浴びた。
とことん、自分で、それを味わってやろうと思っていた。
あまり待つのは好きじゃない。
待っていても、良いことなんか今まで何もなかった。
だったら自分から進んだ方が、性にあっている。
監督が食事に行っている間に、ちょこちょこと開始したりもした。
ただ待ってても、つまらないから。
いつだって、そうさ。
待つぐらいなら、進め。
動け。
例えば泣こうが喚こうが騒ごうが。
例えば、地面に東京ドームよりも太い杭を打ち込んだとしても。
地球が回転することをやめることはない。
だから、誰が何をしようとも悲しいニュースが世界を駆け巡ろうとも、明日はやってくる。
待てば、明日はやってくる。
なんにもしなくたって、明日は来る。
けれど。
明日、何が起きるか、知っている人なんていない。
どこにもいない。
決まっていることなんか、本当はなんにもない。
だって、まだやって来てないのだから。
予測したって、予想したって、予言したって、決まってたって、意味がない。
なぜなら、まだやって来てないのだから。
ただ待っていたって、明日は来るけれど。
それが見知らぬ明日なら。
ただ待ってるなんてつまらないじゃないか。
この映画の舞台となった終戦直後。
明日がやってくるのかすら、不安だったはずだ。
だって、道端に餓死者の遺体が転がっていることだってあったんだよ。
自分に明日が来るなんて保証はどこにもなかったし、食べるものだってなかった。
敗戦という大きな痛みで、何もする気になれなかった人たちもたくさんいた。
そんな中、食べ物を探しに、仕事を探しに、明日を探しに、栄養失調の足を一歩踏み出した人たちがいる。
明日が来るかもわからないのに、明日が来ると信じた人たちがいる。
そんな状況を生き抜いた人たちは、その明日の向こうに、こんな未来があるなんて思いもしなかっただろうな。
冷房の中で、毛布をかぶって、明日が来るまで熟睡しているそんな日が来るなんて想像できるわけがない。
自分に明日が来なくても、地球に明日がやってくるって、知っていたのかな。
明るい日と書いてアシタ。
アシタは、朝を迎えるという意味。
Tomorrowも、To morningという意味からの変化。
夜は怖くて、越えるもので、耐える時間で、死の時間。
朝は、その夜が去っていくこと。
だから、「明日がやってくる」っていう言葉には、何十もの呪文が含まれている。
誰も知らない明日がやってくる。
もうそこまで来てる。
それを待ってたんじゃない。
そこに、進んできた。
そう、思っている。