稽古場に行く。
先週の写真のデータも持っていくけれど、選んでもらうようなモードじゃないなとやめる。
なんというか、稽古場について、その日のモードがわかる日というのがあるのだ。
なるほど、今日は、そういう日なのね。
稽古場で起きることに実は無駄な時間はなくて、ただ話しているだけでも、それが方向性になって行く。
くだらない冗談の中にも、冗談ではない部分がそこかしこに隠れている。
監督が話す話は、もちろん、受け手によって変化してしまう。
同じ人間が話しても、聞いている人間が10人いれば、それぞれが解釈してしまうから。
より情報量が多いほうが、もちろん、正確に伝わるのだろうけれど。
そこは割り切って、自分なりの解釈をする。
時々、あとから、人と話して、あれ?同じ話なのにそう受け取ったんだ・・・?
なんてこともあるから、そこが面白いと言えば面白い。
何がどう転がるかなんてわからない場所に今立っている。
どちらに転がろうと、その覚悟はしてある。
そんな空気が漂っていた。
監督もコトの次第をようやく理解していた。
もう間もなくだ。
おいらがまだ夢想だと言われていた頃に思い描いたロードマップ。
やると決めたらやっちゃう自分が想像していることは、余りにも広すぎた。
大抵、こうしたいと人に説明しても、途中で終わってしまう。
そのぐらい、このロードマップは、色々とまっとうな思考では折り合わないものだ。
しかも、今も、そのロードマップの途中でしかない。
今は、今の状態について、皆がそれぞれに思いを抱いている。
おいらは、ここも越えられたら、さらに次の段階に行けると思っている。
でも、今、次のことを話しても上の空だし、きっと、思考と折り合わないだろう。
そうだとしても、今、この今が、未来に繋がっていることだけは、共有している。
去年の今頃、撮影準備をしていた頃に、今を想像していた人間なんて、何人もいない。
それと同じことだ。
点は線になる。
線は面になる。
面は形になり。
やがて形は時を経て世界になる。
いくつもの点をうがち。
いくつもの線を繋げて。
いくつもの面を広げて。
今、形になるようにしている。
足りなかった点はないか?
埋めていない面はないか?
日々思うことは同じ。
その点は、はるか20年前に。
その点は、はるか27年前に。
いや、おいらが偶然、大誘拐という映画の試写会に行った日にまで遡るのかもしれない。
おいらは、その点と点も繋げたつもりだから。
クラウドファンディングのリターン。
もちろん、もう皆様に送れるものもたくさんある。
台本だって、テーマ曲だって、すでに送ることが出来る。
けれど、やっぱり、作品を観る前に、それを楽しんでしまうのは申し訳ないと思っている。
だから、まだこの先、完成披露試写会のあとに、リターンを実行するつもりだ。
けれど。
本当のリターンは、物品ではないと思っている。
本当のリターンは、あのクラウドファンディングで宣言したことの実行だ。
本当にこんなことを起こすのか?と、少しでも思ってくださった方に。
本当に、こんなことが起きたよ!って伝えることだ。
まず、そこから始まるんだ。
あそこに書いた全てを実行に進める日が近づいている。
そして、それがきっと、形になり、世界になるはずだ。