いつもこの時期は稽古に悩む。
どんな稽古をするか。
次回公演も決まっておらず、前回公演の反省会が終わっている。
復習しようと、前の台本をやることもあれば、ダンスや歌など他の表現に手を出したり。
或いはこれからどうしようかと、話をしてみたり。
ハッキリ決めておくこともあれば、何も決めずになんとなく集まる時もある。
何年か前に、こういう隙間に宣伝材料写真撮影をしようと提案があった。
それ以来、毎公演、やる予定だったのに、なぜか、毎回忘れていた。
先週、来週やることも決まらないし、写真撮影をしようとなった。
監督が、俺が撮影するの厭だなぁなんて最初は言っていたのだけれど。
前日になって、やっぱり撮影するよと連絡があった。
後輩に準備をお願いしていたのだけれど、念のために早めに行く。
カメラの設定や、水平を摂れているのか、画角などなど。
後々で、現像から焼き付けまで含めて、わかっているのはおいらだけだから。
明るすぎて飛んでいる写真は戻せないけれど、暗い写真ならある程度明るくしやすい。
前回は設定でRAW保存をしていなかったから、それも設定しておいた。
容量は大きくなるけれど、バッテリー交換時に、データをPCに移管すればいい。
役者というのは芝居をするという事だから。
自分以外の他者になる。
だから、逆に自分自身をしかも静止画で撮影すると言われると戸惑う。
劇団員の大半が写真は苦手だと口にする。
まして、決め顔は、宣伝材料にならないらしい。
自然に人柄まで出ているような写真がベストと言われても。
他人を演じることは出来ても、自分の人柄なんて、どうにもわからない。
まして、それがなんとなく出るようななんて、どういうことなのか意味も分からない。
そこに、どう立っていいのかも戸惑ってしまう。
役者であることと、タレントであることはある意味正反対なのかもしれない。
体調を崩したり用事があって、今日は来れないメンバーもいたせいなのか。
或いは、監督の撮影ペースが、思ったよりもずっと早かったからなのか。
2時間以上時間を余してしまった。
そのまま解散しても良いのだけれど。
納品仕立ての英語字幕付き「セブンガールズ」が、このPCの中にあった。
監督もまだ観ていないようだった。
観てみますか?
そういうと、PCの周りに残っていた7~8人の俳優と監督が集まって。
即席の鑑賞会が始まった。
試写回をしたときは別のヴァージョン。
その上、今までとは違って、英語の字幕が付いている。
ヤクザが英語でも「YAKUZA」であったり。
様々な翻訳を、それぞれが指摘していた。
監督も、ようやく初めて、英語字幕を観ていた。
日本語をもじったダジャレや、監督特有の言い回し。
それを、どうやって英語化しているのか。
それだけでも、充分に楽しめた。
その上、明らかにテンポアップして、次から次に話が展開していくのだ。
小さなパソコンの画面だけれど、それはやはり、映画だ。
映画が終わると同時に時間になった。
稽古場を後にして、飲み屋に移動する。
それぞれが、英語字幕版の感想を口にする。
自分が想像していたのとは別の箇所の感想なんかも出てくる。
そういう時間はとても楽しい。
そして、誰もが口にする。
海外の人でも楽しんでもらえるかなぁ・・・と。
俳優の一人は絶賛をする。
だって、こんな映画観たことがないもん。
オリジナリティのある映画だと感じ入っていた。
それに同意していく皆。
途中で、エンドロールの話になって。
何だか知らないけれど、そこにいたメンバーが、皆、涙ぐんだ。
なんだか、やけに感傷的になった。
この映画は自分たちの映画だけれど、自分たちだけの映画ではない。
たったそれだけにことに、やけに、感動してしまった。
不思議な時間帯だった。
英語字幕版を観る機会は、ほとんどないだろう。
たまたま時間があって、たまたま監督がまだ観ていなかったから。
そのぐらい出来立てほやほやだったからだ。
皆には撮影が終わったら帰っていいよと言ってあったし、人数も少なかった。
それが余計に、なんらかの共感を生んだのかもしれない。
小さなモニタで観ることが出来る最大の人数ぐらいだった。
今。
まさにこの時。
海の向こうで同じように観ているのかもしれない。
肌の色も、髪の毛の色も、目の色も、使う言語も違う誰かが、同じ映画を。
なんだか、それをずっと感じながら、観ていた気がするよ。
そして、その思いが届かないわけがないと改めておいらは思う。
今宵の酒の味は、そんな味だった。