2017年07月03日

光を残す

いつもこの時期は稽古に悩む。
どんな稽古をするか。
次回公演も決まっておらず、前回公演の反省会が終わっている。
復習しようと、前の台本をやることもあれば、ダンスや歌など他の表現に手を出したり。
或いはこれからどうしようかと、話をしてみたり。
ハッキリ決めておくこともあれば、何も決めずになんとなく集まる時もある。

何年か前に、こういう隙間に宣伝材料写真撮影をしようと提案があった。
それ以来、毎公演、やる予定だったのに、なぜか、毎回忘れていた。
先週、来週やることも決まらないし、写真撮影をしようとなった。
監督が、俺が撮影するの厭だなぁなんて最初は言っていたのだけれど。
前日になって、やっぱり撮影するよと連絡があった。

後輩に準備をお願いしていたのだけれど、念のために早めに行く。
カメラの設定や、水平を摂れているのか、画角などなど。
後々で、現像から焼き付けまで含めて、わかっているのはおいらだけだから。
明るすぎて飛んでいる写真は戻せないけれど、暗い写真ならある程度明るくしやすい。
前回は設定でRAW保存をしていなかったから、それも設定しておいた。
容量は大きくなるけれど、バッテリー交換時に、データをPCに移管すればいい。

役者というのは芝居をするという事だから。
自分以外の他者になる。
だから、逆に自分自身をしかも静止画で撮影すると言われると戸惑う。
劇団員の大半が写真は苦手だと口にする。
まして、決め顔は、宣伝材料にならないらしい。
自然に人柄まで出ているような写真がベストと言われても。
他人を演じることは出来ても、自分の人柄なんて、どうにもわからない。
まして、それがなんとなく出るようななんて、どういうことなのか意味も分からない。
そこに、どう立っていいのかも戸惑ってしまう。
役者であることと、タレントであることはある意味正反対なのかもしれない。

体調を崩したり用事があって、今日は来れないメンバーもいたせいなのか。
或いは、監督の撮影ペースが、思ったよりもずっと早かったからなのか。
2時間以上時間を余してしまった。
そのまま解散しても良いのだけれど。
納品仕立ての英語字幕付き「セブンガールズ」が、このPCの中にあった。
監督もまだ観ていないようだった。
観てみますか?
そういうと、PCの周りに残っていた7~8人の俳優と監督が集まって。
即席の鑑賞会が始まった。

試写回をしたときは別のヴァージョン。
その上、今までとは違って、英語の字幕が付いている。
ヤクザが英語でも「YAKUZA」であったり。
様々な翻訳を、それぞれが指摘していた。
監督も、ようやく初めて、英語字幕を観ていた。
日本語をもじったダジャレや、監督特有の言い回し。
それを、どうやって英語化しているのか。
それだけでも、充分に楽しめた。
その上、明らかにテンポアップして、次から次に話が展開していくのだ。
小さなパソコンの画面だけれど、それはやはり、映画だ。

映画が終わると同時に時間になった。
稽古場を後にして、飲み屋に移動する。
それぞれが、英語字幕版の感想を口にする。
自分が想像していたのとは別の箇所の感想なんかも出てくる。
そういう時間はとても楽しい。
そして、誰もが口にする。
海外の人でも楽しんでもらえるかなぁ・・・と。

俳優の一人は絶賛をする。
だって、こんな映画観たことがないもん。
オリジナリティのある映画だと感じ入っていた。
それに同意していく皆。

途中で、エンドロールの話になって。
何だか知らないけれど、そこにいたメンバーが、皆、涙ぐんだ。
なんだか、やけに感傷的になった。
この映画は自分たちの映画だけれど、自分たちだけの映画ではない。
たったそれだけにことに、やけに、感動してしまった。
不思議な時間帯だった。

英語字幕版を観る機会は、ほとんどないだろう。
たまたま時間があって、たまたま監督がまだ観ていなかったから。
そのぐらい出来立てほやほやだったからだ。
皆には撮影が終わったら帰っていいよと言ってあったし、人数も少なかった。
それが余計に、なんらかの共感を生んだのかもしれない。
小さなモニタで観ることが出来る最大の人数ぐらいだった。

今。
まさにこの時。
海の向こうで同じように観ているのかもしれない。
肌の色も、髪の毛の色も、目の色も、使う言語も違う誰かが、同じ映画を。
なんだか、それをずっと感じながら、観ていた気がするよ。
そして、その思いが届かないわけがないと改めておいらは思う。

今宵の酒の味は、そんな味だった。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:32| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする