2017年07月19日

遠雷

ドロドロドロドロドロドロドロドロドロドロドロ

バスドラムよりも低い音が高い空でコダマしていた。

夕立ちというには早い時間。

見上げた空は立ちどころに暗闇になってゆく。

昨日見上げた青すぎる青の空は曇天に覆われていった。

落ちてきた雨粒は粒なんてものじゃなかったし、ましてや、涙になんか例えようがなかった。

ぼたぼたと、重い水の塊が、空から落ちて、跳ねた。

風はうなり、アスファルトはあっという間に黒に塗られた。

瞬間。稲光。

ストロボ効果で、まるで、世界が切り取られたかのようなストップモーション。

少し遅れて、世界を引きちぎるような轟音が、もう一度世界を動かし始めた。

遠雷が聴こえた時にはもう遅いよ。
雷様は、すぐそこまで来ているんだ。
おへそを隠したって無駄だよ。

建物の中で、外の様子を眺めてる。
本当は傘もささずに飛び出して、走り回りたいのに。
他人事にしてたまるか。
自分の体で、その雨を受けて、雷鳴を聞いて、雷光を観たいんだ。
感じたいんだ。

だって、知ってるんだ。

あっという間に真っ暗になったように。
あっという間に雨が降ったように。
あっという間に、この雲が去っていくことを。
あっという間に、人生なんか終わっちゃうことを。

ほら、もう晴れちまった。

耳を澄ませ。
アンテナを立てろ。
どこかで遠雷が鳴っているかもしれないよ。

そうしたら、勇気を出して、飛び出せ。
飛び出さなきゃわからないことがあるはずさ。

その一歩を。
その一歩を、おいらは、いつまでだって、出し続けたい。

そこがどんな地獄でもいい。
そこが豪雨の中でもいい。
つらかろうが、苦しかろうが、しったこっちゃねえやい。

雨ニモ負ケズ 風ニモ負ケズ?
そうじゃねぇな。
負けるのなんか、怖くない。
どこかで一矢報いてやるんだ。

鳴ってないか?遠雷。
遠くの暗い雲を睨んだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:28| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月18日

シネマとムービーとフィルム

日本では映画は映画という言葉しかない。
海外のサイトを観ると、シネマと書いていたり、ムービーと書いていたり、フィルムだったりする。
どれが本当なのか、それとも、英語とフランス語とイタリア語とで色々変わるのかな?と思ったり。

シネマの語源はギリシャ語の「動く」という言葉らしい。
・・・という事は、ムービーと語源は同じと考えてもいいのかもしれない。
英語でもシネマという場合があるらしい。
アメリカではシネマはアート作品、ムービーはエンターテイメント作品に使われるとか。
ヨーロッパでは少し違って、シネマは映画館で、フィルムが映画なのだそうだ。
どちらにも通用する共通した認識の言葉がないってことなのかなあ?

要するに、動く写真から映画は始まった。
パラパラ漫画のように、連続した写真を映写することで、動画を発明した。
だから、「動く」というのが、映画の基本だ。

ハリウッドで黒澤明監督の映画を教材に、常に動いている映像の説明動画がある。
窓の外に雨が降っていたり、荒野に煙が流れていたり、確かに黒澤監督の映画は止まっていることがない。
映画は写真ではなく、動画なのだ。
単純に絵が動くということの面白さが基本なのだと、改めて思う。

日本では、キネマなんて言葉がある。
もちろん、シネマってことだ。変化しちゃっただけだ。
キネマの天地なんて映画もあったし、キネマ旬報社なんて映画の雑誌社もある。
どこか、映画のことをキネマって呼ぶのは、懐かしい感じがする。
おかげで、なんだか、シネマって言葉が一番好きかもしれない。

今や、フィルムって言葉は、殆ど嘘に近くなった。
映画はデジタルで製作されるのがほぼ一般的になって、フィルム撮影なんてほとんどないのだ。
フィルムにしかない質感も、かなりのところまで再現できるようになっている。
逆にデジタルでしかできない精細感を、フィルムでは再現できない。
フィルムの色に拘って、フィルムで撮影する映画ももちろんまだまだあるとはいえ、数は少なくなっている。
場合によってはフィルムで撮影して、デジタルに取り込む場合だってあるという。
今や、写真でもフィルムの生産が少ないと言われているのだから当たり前のことだけれど。
それでも、フィルムフェスティバルと今も呼ばれるのだから、既にフィルムという単語が映画に変化してるってことだ。
まぁ、デジタルなんて呼ばれてもどうかと思うし。
デジタルシネマ、デジタルムービーという言葉はあるけれど、デジタルフィルムなんて聞いたことがない。

SEVEN GIRLSはなんて呼ばれるのだろう?
CINEMA?MOVIE?FILM?
まぁ、なんて呼ばれてもいいのだけれど。
世界に行けば映画とは呼ばれなくなる。
日本語の映画という意味もあるだろうけれど。
きっと、海外には海外の、言葉の意味があるのだろうなぁなんて思う。

動く絵。
それは大発見だったんだ。

世界の向こうで、動く。
自分のいないところで、動く。
不思議だなぁ。

動く!

その言葉がそのまま、映画という言葉になったんだもの。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:55| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月17日

カタチになる前に

稽古場に行く。
先週の写真のデータも持っていくけれど、選んでもらうようなモードじゃないなとやめる。
なんというか、稽古場について、その日のモードがわかる日というのがあるのだ。
なるほど、今日は、そういう日なのね。
稽古場で起きることに実は無駄な時間はなくて、ただ話しているだけでも、それが方向性になって行く。
くだらない冗談の中にも、冗談ではない部分がそこかしこに隠れている。

監督が話す話は、もちろん、受け手によって変化してしまう。
同じ人間が話しても、聞いている人間が10人いれば、それぞれが解釈してしまうから。
より情報量が多いほうが、もちろん、正確に伝わるのだろうけれど。
そこは割り切って、自分なりの解釈をする。
時々、あとから、人と話して、あれ?同じ話なのにそう受け取ったんだ・・・?
なんてこともあるから、そこが面白いと言えば面白い。

何がどう転がるかなんてわからない場所に今立っている。
どちらに転がろうと、その覚悟はしてある。
そんな空気が漂っていた。
監督もコトの次第をようやく理解していた。
もう間もなくだ。

おいらがまだ夢想だと言われていた頃に思い描いたロードマップ。
やると決めたらやっちゃう自分が想像していることは、余りにも広すぎた。
大抵、こうしたいと人に説明しても、途中で終わってしまう。
そのぐらい、このロードマップは、色々とまっとうな思考では折り合わないものだ。
しかも、今も、そのロードマップの途中でしかない。
今は、今の状態について、皆がそれぞれに思いを抱いている。
おいらは、ここも越えられたら、さらに次の段階に行けると思っている。
でも、今、次のことを話しても上の空だし、きっと、思考と折り合わないだろう。
そうだとしても、今、この今が、未来に繋がっていることだけは、共有している。
去年の今頃、撮影準備をしていた頃に、今を想像していた人間なんて、何人もいない。
それと同じことだ。

点は線になる。
線は面になる。
面は形になり。
やがて形は時を経て世界になる。

いくつもの点をうがち。
いくつもの線を繋げて。
いくつもの面を広げて。
今、形になるようにしている。
足りなかった点はないか?
埋めていない面はないか?
日々思うことは同じ。

その点は、はるか20年前に。
その点は、はるか27年前に。
いや、おいらが偶然、大誘拐という映画の試写会に行った日にまで遡るのかもしれない。
おいらは、その点と点も繋げたつもりだから。

クラウドファンディングのリターン。
もちろん、もう皆様に送れるものもたくさんある。
台本だって、テーマ曲だって、すでに送ることが出来る。
けれど、やっぱり、作品を観る前に、それを楽しんでしまうのは申し訳ないと思っている。
だから、まだこの先、完成披露試写会のあとに、リターンを実行するつもりだ。

けれど。

本当のリターンは、物品ではないと思っている。
本当のリターンは、あのクラウドファンディングで宣言したことの実行だ。
本当にこんなことを起こすのか?と、少しでも思ってくださった方に。
本当に、こんなことが起きたよ!って伝えることだ。
まず、そこから始まるんだ。

あそこに書いた全てを実行に進める日が近づいている。
そして、それがきっと、形になり、世界になるはずだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 11:52| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする