2017年07月28日

第三者の評価

ヴェネツィア国際映画祭のラインナップが生中継で発表された。
日本からはコンペティション部門に是枝監督。
アウトオブコンペティションになんと、坂本龍一さんのドキュメンタリーが。
そして、クロージングには我らが北野武監督が選ばれた。

この3人が集まるのか・・・と溜息。
本当にすごい場所に肉薄していたんだなぁ。
今からスロット数が増えて、追加発表とかされたらいいのに。
そしたら、3人の誰かが監督とニアミスするかもしれないのになぁ。
この3人には是非セブンガールズを観て欲しいなぁと思った。
いや、観て欲しい人はたくさんたくさんいるのだけれど。

坂本龍一さんのドキュメンタリーは、タイトルがそのまま「Ryuichi Sakamoto:coda」。
読み上げられた瞬間、びくっとしちゃった。
いきなりそれまでイタリア語だったのに、リュウイチなんて言われたから腰が抜けるかと思った。
何をどうしたって、エントリーもしていないのだから、呼ばれるわけがないのに。
海外のナマリでの、リュウイチって、やけに生々しくて、何度も呼ばれた記憶があるから重なってしまった。
そのドキュメンタリーの存在は、なんとなく知っていたけれど、想定すらしていなかったから。
そういえば、カンヌの発表で、デビッド・リンチの名前が呼ばれたときも、びくっとしたのを思い出した。

全世界生中継で発表されるのだから、やはりすごいなぁと思いつつも。
同時に、なんというか、少し自信が出てきた。
小劇場で芝居をやってるおいらたちが、こんな場所に近づいただけでもとんでもないじゃないか。
生中継の会場はとても大きく、スクリーンがあり、たくさんの記者が集まっていた。
きっと、全世界の映画関係者が注目していたんだと思う。
そういう祭典の別部門とは言え、最終審査に行ったって、胸を張れることだ。
もちろん、落選したら宣伝にもならないし、結果的に知名度だって1mmも上がらないと理解しているけれど。
だからこの自信はむしろ、おいらたちの頭の中だけの自信なのだけれど。

しかし、皆、どうしているんだろう?
実際に、今も「SEVEN GIRLS」という作品を観た人は関係者ばかりだ。
それも、スクリーンで観た人なんか、かなり限られている。
もちろん、おいらの知らないところで、マーケットや審査の中で観ている人がいるのだけれど。
実際に完全な外部の人の評価というのを未だまったく知らないで進んでいるのだ。
まず観ていただかないと、なんの意味もないけれど。
自分たちが良いものだと信じて進むしかないのだ。

竹中直人さんが初監督をした「無能の人」という映画があるのだけれど。
この作品は、おいらたちがエントリーしたヴェネツィアの国際評論家週間に選ばれた。
選ばれただけじゃなくて、受賞もしたのだけれど。
当時、関係者試写でも、評価がとても低かったらしい。
それが、ヴェエネツィアに選ばれて、受賞した途端に、評価が良くなったという。
まだ、世界の映画賞に日本映画を持っていくのが珍しい時代だったから、海外の評価というのは今よりも神ががってたのかもしれない。
なんというか、とてもそれはわかる。
それぐらい、評価って難しいものなのだと思う。
実際、おいらも、自分の尊敬する人が、面白いっていう映画は、なんだか気になってしまうし評価してしまう。
自分が好きな人が、隣で泣いている映画は、なかなか否定できない。
評価って自分の中から出てくるようで、実際には自分の外部からの影響もとても強い証拠だ。
だから「海外で高い評価を受け・・・」なんて宣伝文をよく見かけるのだと思う。
一見映画とは関係なさそうな人の短評が、そのまま宣伝文になるのも同じことだ。
あのロックスターが絶賛!なんて、どこか興味をひいてしまう。

おいらたちは、作り手や演じ手なわけで。
そのおいらたちが、いくら面白い、すごい作品だ!と言い続けても、きっとそういう説得力は生まれない。
直接の関係者たちが文字通り自画自賛しているだけになってしまうからだ。
おいらは、腹の底から、この映画はすごいぞと思っているけれど、それは中々伝わることじゃない。
だからこそ、関係者でもない第三者からの評価というのが気になって仕方がない。
皆、試写会やプレミア上映まで、それはわからないままなのかな?
舞台公演なんか幕が開くまでわからないんだけれどさ。
それにしても、どうしているんだろうって考えてしまう。

実際、北野武監督を最初に見出したのは、海外だよなぁって思う。
日本国内は、海外での高い評価のあとに、評価し始めたイメージだ。

誰かの評価が始めて聴こえてくるその日まで。
きっと、自分の中の自信だけで進む。
そういう意味では、あの場所に肉薄したことは、数少ない、けれど大きな自信になった。
今、形ある第三者の評価って、コレしかないけれど。

そのコレが、なんとも世界規模で想像を超えるような大きなイベントだというのだから。
そう思うだけで、少し震えてきてしまう。

そういうことを積み重ねていくしかない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:12| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月27日

500 miles

何が起きようと、この映画プロジェクトのドキュメンタリーともいえるBLOGは続く。
毎日読んでくださる方も、たまに読んでくださる方も、途中から読んでいる方もいる。
「SEVEN GIRLS」という映画作品が映画として公開される日まで続いていく。

映像のドキュメンタリーもそうだけれど。
もちろん、編集や演出が入る。
けれど、時にドキュメンタリーは現実以上の超現実をそこに顕現する。
普段のおいらよりも、ひょっとしたらここに書いているおいらの方がよほど真実に近いときもある。
人前で突っ張っている自分と、深夜に一人でPCに向かっている自分ではおのずと変わる。
本当に何もない白紙から始まって、ここに至るけれど。
ここまで壮大なBLOGになるなんて思ってもいなかった。
苦しいこと、辛いこと、悲しいこと、悔しいこと、全部入っている。
ほんとうのことが書いてある。
世に撮影日誌は数多くあるけれど、撮影前からの日誌なんかそうそうあるものでもない。

公開の時、このBLOGはどんな意味を持ってくるだろう?
通常の映画であれば書かないような内容も、全て、丸裸でここに書いてある。
時々感情移入してくださって、おいらと同じように感じてくださる人もいて、驚く。
きっと、この作品においらが向けている思いを、同じように作品への愛情として持ってくださると信じている。
もし、そんなシンクロが試写会や劇場で起きたら、どんな気分になるのだろう?

ヴェネツィア落選でここまで落ち込むなんて、馬鹿みたいだと思う。
この企画を立ち上げた当初、そんなこと誰も想像もしていなかったんだから。
その頃に話したら、お前馬鹿だなぁって一蹴されていたに決まってる。
でも、きっと、一緒に歩んできてくださった皆様は違う。
信じられないミラクルも、とてつもない高い壁も、一緒に、感じてきてくださった方にはわかってもらえる。
この人は本気でそれに向かっていたと、今ならきっと信じてもらえていると思っている。

今、もう一度、ロードマップを考えなくてはいけないと思う。
もちろん、今も海外へのアプローチをしてくださっている。
それが、ワルシャワなのか、ロンドンなのか、サン・セバスティアン、ナント三大陸・・・どれなのかもわからない。
まだワールドプレミアが可能だけれど、ヨーロッパプレミアや、各国ごとのプレミア上映も出来る。
北米も南米も大きな映画祭を残している。
もちろん、ワールドプレミアがヴェネツィアであれば、そういった他の映画祭にノミネートしやすくなったはずだ。
それがなくなったのだから、そんなに簡単なことじゃない。
そこはもう、お任せしていくしかないのだけれど、きっと世界に届くと信じている。
実際に、信じられないほど、あそこに肉薄できたのだから。
どうなるかなんてわからないけれど、信じていく。

多分、今日までそんな映画はどこにもない。
製作過程を共にお客様と共有しながら進んだ作品なんて聞いたこともない。
もしあったとしても、ここまで詳細に書いている製作日誌なんかあるだろうか。
まして、一喜一憂することまですべて書いているのだから。
インターネットの時代だから出来る、壮大な実験のようにも思える。
だって、そんな風に一緒に歩んだ作品を観た人がまだこの世の中にいないのだから。
誰かがやっていそうだけれど、こんなプロモーションは聞いたことがない。

作品の内容と、位相が完全に違うのだけれど。
同時にいくつもの位相で楽しめるのだ。

そんなことを考えていたら。
やはり、この企画は奇跡のような企画だともう一度、思った。
落ち込んでいるのはまだ引きずっているけれど。
だからと言って、元々何もなかったのだから失うものもない。
そんなことよりも、落ち込んでいることすらここに書いていることがどれだけ凄い事か。

このドキュメンタリーはまだまだ続く。
そう思った時、このBLOGの行きつく先が、どんなものなのか楽しみになってきた。
まだまだ、色々なことが起きるぞと、思った。

誰も想像もしていなかったはずのことを共有できるんだ。
夢だったことが、どんどん現実になって行くことを共有しているんだ。
何が起きても不思議はないよ。
現実に勝る物語はないなんて言うけれど。
これは、物語と現実を同時に楽しんでもらうための、新しい形だ。

全てが報われるその日まで。
まだまだ続く。

ありがとう。
皆様、ありがとう。
おいらは、もう一度、声に出して言う。
一人じゃないから、ここまで来れたんだから。

傷だらけ、泥だらけ。
みっともないなんて、これっぽっちも思わない。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:39| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月26日

too mach pain

すごい湿気だった。
サウナの中を歩くように。
ならならと汗を流しながら。
踏み込む一歩が重い。

それでも前に行け。
それでも進め。
足の指だけで歩くのでも構わない。
昨日より進んでいろ。

様々な映画祭の知識をもう一度入れる。
プロモーションについてもう一度考える。
WEBについて、もう一度触る。
音楽を聴く。
音楽を聴く。

自分の魂の発露のような音楽に辿り着く。
そういえば先週、監督が、竹原ピストルの歌は魂だから誰も勝てないと、喫煙所でポロリと言った。
音楽性だとか、リズムだとか、メロディーだとか。
そういうことを言いそうなのに、この人は、そんなことをポロリと言う。魂なんて言い出す。
それほど、魂なんて口にするのは好きじゃないはずなのに。

おいらが芝居をするのも、バンドをやっていたのも、それ以外にないことを思い出す。
なんだか、最近は、舞台でも魂が発露するような場面を演じていないとふと思った。
怒りの咆哮も、悲しみの嗚咽も、気狂いの呼吸も。
もちろん、感情を抑えて、ぐっと我慢する芝居だって、大事だ。難しいし、やりがいがある。
でも、基本は、魂だ。
それを、やっていかないといけない。
物語を運んでばかりでは、性根の部分が腐ってしまいそうだ。
何か考えないといけない。大人になる必要なんかどこにもない。
うまいへたでは辿り着けない場所に、おいらは、何度も踏み込んでいるのに。

ズキン。

痛む。
いつの間にかいくつもの傷みを抱えながら生きている。
この痛みにはもう慣れたなんて言いたいけれど。
慣れるような痛みなら、そんなものは、それだけのものだ。

これは、チャンスだ。
今、この痛みを知った今。
腹の中で猛獣が暴れまわっている。
今のおいらを、どっかの映画監督はキャスティングしたらいいのに。
とんでもないものが飛び出すぜ、これ。
教えてやるつもりもないけどな。

どうせ落ち込むなら。
どこまでも落ち込む。
悔しいなら、どこまでも、悔しがる。
その向こうにしか見えない景色がある。
それは、演者の特権だ。

振り切るな。
取り込め。
周りの空気を吸い込め。
全てを自分の物にしろ。

このプロジェクトに魂を込めてきた。
それが、おいらの責任だからだ。
でも、演者だ。
だから、演者でしか味わえないことを味わいつくしてやる。

おもしろくなってきた。

Too much pain
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:10| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする