今日はトラック移動が長かった。
劇場から、早稲田、東中野、渋谷、新木場、川崎・・・。
何か所も回っては荷下ろしをし続ける。
毎回のことだけれど、車内の会話は、公演の反省会。
ほんの数人だけで話せる、ざっくばらんな話。
考えるところあり。
帰宅して、明日の準備。
やはり打ち上げには参加せずに、トラックを途中で降りることにした。
おいらは、今、劇団員皆の思いを背負っていると思っている。
皆が笑顔になれるように。
出来ることをするしかないもんなぁ。
打ち上げに後ろ髪は引かれるけれど、それはまた後日。
再編集を朝からするのだ。
2ステージが終演して、精算、撤収。
あれから何時間かわからないけれど、ようやく、今、PCの前にいる。
さっきまで、毎日、劇場に通っていたはずなのに。
祭りのあとの気分。
すぅっと、自分の中で、自分の演じた役を思い出す。
今回の台本が出来上がって、通して2~3回読んだ時に気づいたこと。
全ての役の中で、ただ一人。
英雄とも呼ばれる兵器でもある戦士たちを「人間」として見ている役だった。
その役が暴く黒幕の役の対象だとそれまでは思っていたけれど。
政治家や軍部、あるいは科学者たちの対象としても、台本に書かれていた。
つい感情的に人間としてみてしまう役はあったけれど。
権利ある人間として接しようとする役は唯一だった。
自由と権利を心に忍ばせた役だった。
何かを調べているようで、実は、同時に信念を持った役だった。
それが、おいらが今回の作品で演じるべき役割だった。
デビッド・宮原という作家は、とても美しい構造を組み上げる。
きちんと作品内には、偏りを作らずに、対象を構成してある。
演じ手は自分の中でそれを読みとって、やるべき仕事を探さなくてはいけない。
それは、同時に対象を輝かせることのできる仕事だ。
監督は、許さない。
監督が持つ美意識は、実はとても強いものだと感じている。
逆を言えば、そこを守ることが出来れば、とっても柔軟な人だ。
明日、再編集で今度は「SEVEN GIRLS」の構造に触れていく。
監督の持つ美意識を・・・それは構成の美しさだけれど・・・おいらはどれだけサポートできるだろうか?
舞台の演出でも、監督が時々いう。
「これだけは、やってくれよ!」
その「これだけ」の部分。
それを強く濃く出来るようなエディターになるしかない。
役者をして。制作をして。肉体労働をして。今度はクリエイターだ。
まったくやれやれだぜ。
さあ。
朝も早い。
一度寝よう。
ご来場いただいた皆様、ありがとうございました。
詳細な、お礼は、明日の劇団ブログで改めて。