2017年06月11日

当たり

F1レーサーは、前日の練習で、優秀なドライバーほど事故を起こすのだという。
それは、ギリギリのコーナリング、ギリギリのスピード、ブレーキングを徹底的に試すから。
どこまでエンジンを回転させていいのか、アクセルを踏んでいいのか、紙一重まで試すからだという。
それを聞いた時に、ああ、すげえなって思ったことを覚えている。
それで、本戦では事故を起こさずに、一番効率的で一番早い運転をするというのは特殊技能だ。

F1レーサーなんていう、人類の中でも特殊な技能を持った人と比べるのもどうかという話だけれど。
稽古を繰り返すというのは、いわゆるそういう事なのだと思う。
SEVEN GIRLSという映画の基本も、稽古の中にあったのだと思う。
稽古を重ねることで、あの短期間で撮影するというミラクルを起こせたのだから。
舞台の最終稽古を目前にして改めてそんなことを思う。
ただ繰り返しているのではなく、繰り返しの中で、自分でいくつのことを試していけるかだ。

うちの劇団では、あまり聞かないのだけれど。
この劇団に入る前に自分の周りでよく使っていた言葉に「当たりを探す」という言葉がある。
とにかく、稽古で繰り返しながら、自分の中の当たりを見つけていく。
特に、通し稽古の中でしか見つけられない、流れの中の当たりというのがあって。
相手役、自分の芝居、前後の芝居、自分の前後の芝居、全体的な物語の流れ方を知って出てくる当たりもある。
関連の中でしか見えないものを見つけては試していく。
ああ、ちょっと違ったかな?というのもあるし、ああ、これか!というのもある。
当たりが見つかれば、自分の中で腑に落ちていく。

膨大な言葉と、膨大な段取りとに縛られていく中で。
肉体は反発しようとする。
違和感の中に存在し続けるのは、不可能に近い。
その違和感の原因を探り、違和感がなくなるような根拠を探して、裏付けを作ることで違和感を取り除く。
裏が出来上がれば、後は、満願回答な当たりが出てくるのを待つだけだ。
だから、試していく中で、自分のニュアンスを少しずつ変えたりしながら、試していく。
事故も起きるし、空っぽになってしまうこともあるけれど。
とにかく、色々と試さなければ、何が出てくるのかもわからない。
0点の場合もあるけれど、試した結果、200点の大当たりが出る時だってあるのだから。

段取りや流れ、セリフを体に入れていく作業というよりも。
おいらの中では、色々と試す作業が通し稽古だ。
試していく中で、身体に入って行けばいいぐらいの気持ち。

そうやって、当たりをみつけて。
最終稽古に挑むわけだ。
本番を想定したゲネプロの前の最後の通し稽古も待っている。
一体、今日までいくつの当たりが見つかったかな?
最終だから、これまで見つけたものを並べていこうか。
それとも、最終だから、ギリギリのコーナリングを狙っていこうか。

さあ。
どちらにしよう。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 08:21| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする