実はうちの劇団は今の時代では希少中の希少で。
基本的に客演というのがなく、劇団員だけで舞台を創ってきた。
昔は殆どの劇団が客演を呼ぶことはなかったんだけれど。
今は、客演を呼ぶのが当たり前になっていて。
それどころか、劇団員は1~3人で、残りが客演という劇団まで普通に存在している。
むしろ、それが標準になって生きている。
長く続ければ、こういう面白い変化の中に、リアルタイムに自分が存在する。
今回の作品で、客演の俳優が3名いる。
映画の中にも、劇団員以外の俳優が出演しているので、なんとなく2回目感があるのだけれど。
舞台では、ほぼ初めてという感じだ。
そして、客演陣は、基本的には、前方公演墳の舞台を知っていたり見たことがある役者たち。
それがどういう感覚で、どんな風に参加するのかなぁなんて考えていた。
そういう中で、自分がやれることはあるのかと言われれば。
特別何かが変わるわけではなく、いつも通り、自分の芝居をやる以外にないなぁと思っていたのだけれど。
客演の一人、谷口洋行さんに、稽古場で声をかけられた。
小野寺さんの芝居みてると、前方公演墳なんだなぁって思います。
え?ああ、そうなんだ・・・。
一瞬、それがどういう意味なのか自分で上手に理解できなかったけれど。
長くここで芝居をしたから、この劇団のスタイルのようなものまで、個人の芝居に入ってるのかもな。と。
もちろん、逆だったら、ちょっと嬉しいけどさ。
おいらの芝居が、劇団のスタイルってことでは絶対にないからさ。
だとすれば、やっぱり、そういうことなんだよなぁと。
リズムであるとか、その時の選択肢であるとか。
個人的な感覚だけれど、そのチョイスの前に、台本があって、何を見せたいかな?と考える自分がいて。
その時に、やっぱり、少なからずスタイルも影響しているってことなんだと思う。
ぶれることのない、一本の筋が見えていれば、その周りで何をするかってことになる。
初めての通し。
それぞれ、あちこち体をぶつけながらまずコースを走ってみるF1ドライバーのように。
自分のカドみたいなものを見つけていく。
どんどん調整して、カドがとれていけば、本番の芝居になる。
あと何回通せるかな?
わからないけれど。
通しの数が、クオリティをあげるわけでもないし。
逆に、通しの数が、もたらすものも多いから。
個人の感覚、スピード感、スタイル。
色々なものが体に落ちてくる。
一日中、役者でいられる。
ああ。
なんと幸福なことだろう。