劇団の俳優が今度の舞台の告知を兼ねて、ネットテレビなるものに出演した。
最初からはどうしても観れなかったけれど、後半はなんとか間に合った。
まったく、テレビとクオリティの変わらない映像。
もちろん、テレビスタジオのような音響設備や映像設備はないとはいえ。
映像が本当に身近にある時代がやってきたことを痛感する。
舞台の告知と、少しだけ映画についても触れていた。
思ったのは、MCの方が、劇団を面白いと知り合いから聞きました!と発言した時。
本人たちが面白いですよ!というのは、もちろん、告知だから当たり前なのだけれど。
外部からの評価がそこに加わった時の、リアリティというか、説得力の違いだった。
外側からの評価というのはやはり大事だ。
例えばレンタルビデオ屋でも。
或いは本屋でもCDでもいいのだけれど。
ジャケット買いというのがある。
もう感性、直感で、良いものを探し当てる瞬間だ。
そういうことって、なんだか、とっても少なくなっている気がする。
インターネットが普及して、誰もが発信できるようになった現在。
誰かの評価を簡単に観ることが出来る。
例えば食べ物屋でも、看板やら佇まいを観て、入ってみよう・・の方が多かったのに。
今では、食べログのコメントをチェックしたりしている時がある。
考えてみれば、人の感覚に頼りすぎているわけで、少し情けないような気もする。
自分で食べて、自分の中での評価が何よりも一番大きくなければいけないのだから。
自分の感性を働かせる前に、人の評価を目にすることは、実は、フィルタを作ってしまう事にもなりかねない。
だから、そういうものを観るな!とかそういうことではない。
すでに、SNSの時代はやってきている。
本屋に行けば、帯の付いていない本はない。
CD屋に行けば、店員のPOPがついている。
食べ物屋だって、自分たちで、どんどん情報を発信している。
時代を巻き戻すことなんかできないのだから、そこまで考えないとだめだよってことだ。
劇団運営というのはとってもミニマムな世界で、非常にやれることが限られている。
その時その時の予算であったり、プロジェクトの規模でも変わってしまう。
実際のチケットの売れ行きで左右されてしまうことがたくさんある。
前パブはあっても、多くの舞台では後パブがおろそかなのは、致し方ないのだと思う。
そこから先は、お客様がネット上に発信してくださるコメントを待つばかりになってしまう。
最近になって、舞台を映像に残して、それを利用する劇団も増えてきたけれど。
後パブをしても、舞台の場合、収入につながる可能性がゼロなのだから。
ミニマムであれば、力を蓄えて、ここぞという時に強く打ち出すなどの方針も必要になってくる。
SEVEN GIRLSの海外でのプロモーションを、国内公開前にしているのは、実はそういう意味が強い。
海外映画祭に出展するというのは、他者からの評価があったという事になるからだ。
自分たちが良い良いと叫び続けることの数倍の説得力が生まれる。
幸い、SEVEN GIRLSは、自分たちが良いから!と言って生まれた映画なだけではなく。
多くの人が、舞台作品の映画化を望んでくださったという、外部からの評価も持っている。
恐らくは、そういう外部からの評価こそ、この映画の最大のプロモーションになる。
国内完成披露試写会や、マスコミ試写会での評価も、きっと、大きな力になる。
実際、友達が観に行って超良かったらしい・・・なんてのが一番映画に行く理由になったりする。
悪い評判も含めて、外部からの評価というのは、その映画の最大の力になる。
ネット放送が終わって。
お疲れ様~なんて思っていたら。
急に、疲れた。
観ているおいらが緊張していたのかなぁ?
よくわからないけれど。
本人たちは楽しんでいそうだったから、そういう疲れはないんじゃないかなぁ。
映画が公開に近づけば。
少なからず取材を受けることにもなる。
映画のメディアは、舞台演劇の数倍の数がある。
ネットメディアまで含めれば、信じられないような数だ。
例え小さな記事だとしても、とっても、とっても、大事になるなぁと思った。
ネット放送で映画の告知・・・というのは、あるかどうかもわからないけれど。
なんというか、ああ、こういうことだよなぁって思った。
やりたくても舞台では出来なかったような告知だってできるのかもしれない。
意識を外に外に向ける。
二人称、三人称、俯瞰。
3つの視点から、何度も振り返るしかない。
それにしても、真夏の熱帯夜のような夜だ。