2017年05月08日

大体いつもこの辺りのことを考えている

稽古に行く。
今、リアルタイムで舞台公演に向けて進んでいる。
今日の稽古の収穫は何だろう?
自分に収穫は何があっただろう?

終わった後の呑みで、少しだけ試写の感想に触れる。
どこそこのシーンで泣いた・・・なんて言葉も出てくる。
自分たちで企画した映画、自分の出演している映画で、泣けるなんてことがある。
物語を熟知していて、次にどんな展開があるかわかっていても、泣けてきてしまう。
それは、多分、芝居や映像や音楽や照明やカット割りだけで出来ることではないと思う。
その映画が持っているパワーのようなものがなければ、きっと、届かない。

舞台も映画もそうだけれど。
自分に限って言えば、その日のコンディションが大きく作用することがある。
なんというか、自分が開いている状態か閉じている状態かというような、感覚的なものだ。
開いている時じゃないと感じないようなパワーがあって、それは映像からにじみ出てくる。
それを感じないと、実は、映画の本質に迫ることは出来ない。
完璧なシナリオ、完璧な映像、完璧な効果があれば、確かに面白い。
面白いのだけれど、それは、消費されてしまうたぐいの面白さで、残る面白さではない。
何とも言えない、喉に引っかかるような空気感のようなものが確かに映画にはある。

飲み屋で、ヴェネチアに行くんだけどね、この映画。
なんて言ったら、笑い声が上がった。
まぁ、冗談のような話だ。
それにシチュエーションから考えても笑ってしまう。
シモキタの次回公演の、決起会で呑んでいるんだから、現実とかけ離れている。
でも、わりに、本気で思っているんだけどなぁ。
ヴェネチアじゃなくても、きっと世界に届くって思っている。
その最大の理由が、この映画が持っているパワーだし、空気感だ。
長く同じ空気を吸い、同じ板の上に立ってきた団体だけが持つ力は、他の映画にはないパワーになっているはずだ。

自分の演出が来ると思い込んで準備していたらその直前で終わった。
人の稽古を観るのも稽古だけれど、肩透かし感が強くてクラクラする。
まぁ、いつものことなのだけれど。
でも今日は妙に人の稽古を観ても、何もキャッチできなかった。
目の前で俳優が演じているのだから映像よりもきっとパワーは近くに感じるはずなのに。
不思議なぐらい自分の中に何も流れ込んでこなかった。
これは、自分のコンディションなのかなあ?
わからないなりに、そんな日も、それを収穫に出来るように咀嚼することだ。

前後の関係、全体の構成、関係性の多様性。
作品ごとに自分の中で整理して、自分の立ち位置を観て。
決しておごることなく等身大の自分のやれる芝居を探しているつもりだ。
ガキの頃のように悩むことなんかはもう余りない。
悩む前に、試すことが出来るようになっている。

悩まないまでも考える。
結局、考えるのは、パワーのことなのかもしれない。
その作品に触れるだけで感じるような何かを、今、どうやって生みだしていくのか。
じっくりと、じっくりと、自分なりに近寄っていく。

こんなことを監督と18年もやってきたからこそ、編集も出来たのだと思う。
何が良くて何が悪いか、迷宮に入ることもなかったのだと思う。
一番大事なものはいつだって一つしかない。

風任せでは歩かないぜ。
自分の足で歩くんだもの。
だとしたら、なんとなくには出来ない。
みつかりっこなくても、いつだって、答えを探しに行くしかできない。

ちょっとだけ酔っている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:05| Comment(0) | プロモーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする