再編集を急遽やることになった。
スケジュールが非常に厳しいのは間違いない。
やるのは、もう絶対にやると決めているから、厳しいね~で終わりでも良いのだけれど。
自分の中で感じている〆切が絶対なものではないことに気づいた。
このスケジュールでなんとか・・・と思って、頑張ったところで、実はもう間に合わないという場合もある。
もしかしたら、早ければ早いほど良いと言われる可能性もあるけれど。
はっきりと、〆切を知って、それを多少前倒しするぐらいじゃなければいけない。
後悔するようなことになったら、悔やんでも悔やみきれないのだから。
結果的により厳しいスケジュールになったとしても構わない。
或いは、他の方法だって考えられるのだから。
公演が近づくと、やることがどんどん倍々で増えていく。
とりあえず印刷物に手を入れ始めたけれど、それ以外のことも出てくる。
毎回のことだ。
あの厳しい撮影スケジュールを組んで、あの雑多な作業を乗り越えたのだから。
自分のキャパシティは、ちゃんとわかっている。
先日、加藤Pとプロモーションについてのプレ打ち合わせ的な話をした時に言われたことがある。
すごい映画には、必ず小野寺さんがいるんですよ!
という言葉。
映画は企画が立ってから、撮影をして、編集をして、公開まで、何年もかかる。
その間、テンションを落とさずに八面六臂で、その映画に関わっている人が必ずいるのだ。
宮崎駿監督映画の鈴木敏夫さんのように、その映画を世に出すためだけに走り回っている人が。
なんだか、その言葉が心に残っていて。
ああ、おいらだけじゃないんだ。
きっと、今も走り回っている人がいるんだ・・・なんて、変なシンパシーを持ったりしている。
自分はひょっとするとおかしいのかな?おかしいのかもな?って思っていたけれど。
やはり、映画というプロジェクトを完成させるためには、そういう情熱が欠かせないのだと思う。
世界のクロサワにも、世界のキタノにも、確かに調べたらそういう人がいる。
おいらなんか、そういう人たちの足元にも及ばないのだ。
サッカーの本田圭佑選手が、ミランに入団した時に「夢を見よう」と発言して。
それをみた、たけしさんや、タモリさんが「夢はかなわないですよ」と発言したことがある。
夢を見て、それがかなわなかった人の方が圧倒的に多いのだから、当たり前だという。
叶わないとわかっていても続けて、更に運もある人間だけが残っていくんだということかもしれない。
おいらは、その時に思ったのは、夢が、漠然か具体的かの違いじゃないかと思った。
本田選手は、プロサッカー選手になりたいとか、ワールドカップに出たいとかの簡単な言葉じゃなかった。
はっきりと、ミランの選手になりたいと書いていた。
今、サッカーをやっている少年たちの夢がプロ選手として、そこまで具体的な目標を持っている子は数えるほどじゃないだろうか。
役者をやっていて、漠然と「売れたい」と思っている人はとてもたくさんいる。
でも、意外に、具体的なことは聞いたことがない。
映画に出たいなぁとか、大河に出てみたいとか、あの監督の映画に出してくれないかなぁとか。
それは、実は、夢のまま、目標になりづらいんだろうなぁと思う。
いかに、具体的に考えられるかが、夢を目標にしていく唯一の方法なんじゃないか。
映画を創ると、目標を掲げた時に、おいらは、徹底的に具体的に可能なのか調べた。
予算だけじゃなくて、実際に上映されている映画のことも調べた。
もちろん、従来の映画の方法では不可能かもしれないけれど、小劇場の手法を取り入れればできるかもしれない。
そう思えたからこそ、一歩踏み出したんだと思う。
海外への窓口のことも、すでに、クラウドファンディングを始めた時点で調べてあった。
そうじゃなければ、「シモキタから世界へ」なんてあの時点で書けるわけがない。
ただ、具体的になればなるほど、今度は、その難解さまでわかってきてしまう。
それがどれだけ難しいことなのかが、より細かくわかってしまうのだ。
そこをどう突破していくか。
本田選手も、タモリさんも、たけしさんも、鈴木敏夫さんも。
まず理解して、不可能と思えるものを前にして、そこから前に出る方法を探していったはずだ。
クレバーだったはずだ。
知ることだ。
理解することだ。
より深く。より柔軟に。
その上で、予期できないことに対応できるぐらい、考えておくことだ。
大丈夫なんて、簡単には言わない。
スケジュールを確認して、大事なことを心に刻んで。
その上で、言うんだよ。
大丈夫って。
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posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:40|
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