エンドロールの清書に移る。
ロゴの配置、文字の大きさの修正、文字列の整列。
文字を少しだけサイズダウンした。
その方が当然、記載できる長さが稼げる。
字間も狭くできる分、全体的に伸ばすことが出来る。
結果的に、エンドロールのスピードが、少しだけ下げられる。
長いエンドロールであれば、それが重なっていくのだから、かなりスローダウンできる。
文字を大きくするよりも、文字を小さくした方が結果的に、読みやすいという不思議な現象だ。
最近は少なくなったけれど、おいらが子供の頃なんか、エンドロールになるとたくさんの人が席を立った。
映画が終わったのだから、もう用事はないとばかりに。或いはトイレに急いだり。
出口付近の混雑を避けたい人だけが残っているような雰囲気すらあった。
香港映画は、まるで、それに対抗するかのように、エンドロールにNG映像を流した。
エンドロールまで含めて映画なんだぞ!と主張しているかのようだった。
最近、映画館に行くと、客席が明るくなるまで立たない人が多くなった。
今のお客様の方が映画の楽しみ方を知っている・・・なんて言えない。
逆に昔は2本立て、3本立てなんかも、あって、一日中映画を観たり、梯子する人もいた。
日本の映画全盛期っていうのは、一人の監督が年間に10本撮影したり、めちゃくちゃだった。
映画が娯楽の王様だった時代があるのだ。
だから、むしろ、楽しみ方を知っているというよりも。
娯楽性から、少しだけ、今の方が芸術性に針が振れているんじゃないかなんて思う。
娯楽だから、エンドロールなんか観ないのだ。
香港映画は、だから、NG映像を流して、エンドロールすら娯楽にしたという事なんだろう。
おいらは、その精神がとってもとっても好きだ。
最後の一瞬まで楽しんでもらおうと思っていなければ出てこない発想だから。
だからこそ、おいらも、コマ単位で調節して、流れる音楽に合わせて、文字の読めるスピードにして。
本当にこんなのわかるのかな?て思うような微妙なレベルでの調整まで重ねた。
それこそ、エンドロールだけでも、もう一度観たいと思われるぐらいにしなくちゃいけないと思った。
気持ち良い瞬間があれば、それだけで楽しめるはずだ。
ポイント単位で、位置を調整していたら。
その膨大な数の文字数を編集するのに、思ったよりも時間がかかった。
途中から、キーボードのカーソルキーしか使っていなかった。
何度か、流して観る。
よし、これで、とりあえず書き出そうと決める。
さて、試写会をPC直にするか、Blu-rayにするか。
プレイヤーを持ち込むぐらいなら、PC直の方が良いかもしれない。
圧縮しない分、当然、美しい画像が出せるし、オーディオインターフェースをかませば音質も上がる。
なるべく本番のDCPに近い仕様にするなら、PC直なのだろう。
レアデータに近ければ近いほど、当然、映像は美しくなる。
とは言え、これから、書き出しをしておく。
書き出しデータを、一応、持っておけば安心だからだ。
初めて、タイムコードなしでの書き出しになる。
圧縮率を高めにした映像をまず書き出しておこう。
朝起きたら、エラーさえなければ出来上がっているだろう。
さあ。
組みあがった。