自分で決めた〆切スケジュールでなんとか一つ仕事を終える。
GWが控えているから印刷物の入稿スケジュールはタイトになってしまう。
本来ならDMはがきと同時にと思っていたけれど、どうしても遅れてしまったのはそのためでもある。
とは言え、なんとか、自分で決めたスケジュール内には収まった。
これで、週末の打ち上げを兼ねた初号試写への作業に移行できる。
映像、音声は揃っている。
あとは、エンドロール周りのテロップの整理などだ。
打ち上げ会場にはスクリーンがあって、プロジェクターがある。
Blu-rayで出すか、PCから直で出すかは、作業工程次第だけれど。
流石に、そういう会場にはDCP再生させるような機械はない。
可能なら、DCPでの試写室での試写も考えていかないとだ。
けれど、それは、まずこの打ち上げを過ぎてからなのだと思う。
カラーコレクションの時に、撮影監督の吉沢さんからも、打ち上げをしようと言われたままだった。
監督も他の現場で会った時に、話をしていて、早めに現場スタッフを呼んだ打ち上げを設定しなさいと言われていた。
そこで、皆で、映像を観れたらいいよねとも、言われていて、MAなどの作業が見えないとスケジュール立て出来ずにいた。
打ち上げを越えて、そこで意見が出たらその意見も組み上げて。
そこからは、完パケに向けて、監督とプロデューサーとの作業になっていくと思っている。
ある意味で、今度の初号試写は、初号試写というよりもパーティーに近い。
こんな映画になりましたよ!という試写だ。
編集をしたおいらや監督でさえ、スクリーンで観たのはまだ1度しかない。
映像を通して観た人は、カラコレや字幕、MAに関わったスタッフだけだ。
役者たちも、アフレコ時に観た映像以外は観ていない。
その時はまだ、色調整も音調整も出来ていなかった。
皆がどんなふうに感じるのか、今から、楽しみでもある。
大体、自分の出番が気になったり、自分の仕事が気になったりする試写になると聞いた。
作品を楽しむというよりも、自分の仕事を確認するという人が多くなるのだそうだ。
まぁ、当然のことだと思う。
中には、自分の芝居を、ほとんど見ていない役者の方が多いのだから。
当然、普通にお客様として観ることなんかできるわけがない。
スタッフさんだって、絵が気になり、照明が気になり、音が気になり、と別に意識が向かう。
そういう中にいなくてはいけない気分って、一体、どんな気分になるだろう?
おいらなんかよりも、きっと、監督は、もっと不思議な気分だと思う。
監督が、どんなふうにこの作品を構築したのか知っているのは、おいらだけなのだ。
なぜ、ここがこのアングルなのか。ここはテンポを大事にしたシーンだとか。
そういうことは、誰にもわからないだろうし、各々が、ポイントを確認していくのだから。
不思議な気分できっと、観てしまうなあ。
そういう試写でも、もし、作品を楽しめる人がいたら、素敵だなぁと思う。
当日、笑い声や、泣き声が聞こえてくることなんかあるのだろうか。
そんなことを想像しても仕方がないのだけれど、ついつい想像してしまう。
メインは観終わった後の呑みなのかもしれない。
そこで出てくる言葉たちが、この映画を表しているのかもしれない。
とにかく、そういうスタッフさんや役者たちが一堂に会する場を越えて。
そこから、完パケへの道が始まるんだと、おいらは思っている。
試写はゴールじゃない。
そこから、本当の完成を目指して、プロモーションが始まるんだと思っている。
今のまま、公開に向けて歩き始めたら。
一体、どれだけの映画館で公開できるのだろうか?
完パケへの道は、つまり、出来上がっていく作品をどうやって世に広めていくかという部分に入るのだ。
ただその前に。
まず、あの濃密な数日間を、全員の思いを。
もう一度、蘇らせる。
そういう意味のある日なのだと思っている。
そこから生まれる映画は、良い映画だよ。
そういう思いから生まれるんだから。