少し間違うと、何かが〆切を迎えてしまう。
同時進行と言いながら、自分の中でプライオリティを明確にしなくてはいけない。
今、一番緊急な作業はコレ、その次がコレ、そう何度も小さく言葉に出す。
もちろん、ペース配分はしながらだけれど。
まぁ、なんとかなるか!なんて、どこかで、楽観することも大事なこと。
完璧主義者過ぎると、どこかで、詰まってしまう。
拘りは大事だけれど、同時に、余力があったほうがいい。
偶然起きたことに柔軟に対応できるぐらいの余裕が生まれないから。
今日は地道にデザイン関連の作業。
コンセプトが固まるまで時間がかかるのは仕方がない。
そこを越えてしまえば、どんどんイメージの肉付けをしていくだけだ。
そういう時は、自分の中で、ふわっとしたやわらかい感じで対応する。
拘るのは、仕上げの段階で十分だ。
今日はここまで。
今の時点のデータを一応送って、おしまい。
少しだけ、ポゥッとしている。
今週に入って、急に。
なんだろう、この感じ。
満月の月光にでも当てられたのかな?
ちょっとわからないけれど。
芝居なんかやっていると、年に1~2度、なんとなく、そういう感じになる。
仲間はたくさんいるし、たくさんの人から力を頂いているのも充分に理解しているのに。
そういうこととは、まったく別にして、ひどく孤独感を感じてしまうような感覚だ。
多分、本質的に、誰だって本当はひとりぼっちなのだと、どこかで理解してしまっている。
それは、他者を演じたり、他の表現に出会う度に、理解を深めていくこと。
自分の心のありようさえ、本当は誰も理解できていない。
ましてや、誰かの気持ちを本当の意味で理解なんか出来るはずがないのだ。
だから、誰だって、本当はひとりぼっちなんだ。
だからこそ、人は友達を作って、恋人を作って、家族を持つのだけれど。
そういうのとは、また別。
ただ、なんとなく、孤独感のようなものが、すぅっと、身体に落ちてくる。
強い子なもので、そこで、酒に溺れるわけでも、誰かにすがるわけでもなく。
そういう日は、もう、従順なまでに、その感覚に自分を委ねていく。
普段はポジティブな自分でも、ネガティブな部分もじわじわ浮かんでくる。
そんな状態をむしろ、どこか楽しんだりもする。
まったく、性癖みたいなものだ。
けれど、それをきちんと肉体感覚に宿しておかないと、たぶん、役者はからっぽになると思っている。
昔から、奇跡って思われているようなことを、現実にしちゃうようなことが好きだった。
もう、それは遥か小学生のころぐらいからかもしれない。
誰もが無理だよと、言った頃に、無理じゃないんだ!と、ひっくり返すようなこと。
今までも、何度かそんなことがあったんだけれど。
この映画は、ちょっと、規格外に、奇跡が重なってきた。
クラウドファンディングから始まって、美術の材料集め、ロケ地の確保、撮影、整音。映画製作そのもの。
これは、さすがに難しいか・・・と思えた頃に、何度も何度も大逆転を起こしてきた。
この映画は何が起こるかわからないぜ。なんて聞いて、本当にそう思った。
その全ての奇跡が、一つボタンを掛け違えてしまえば実現しなかったことだ。
ぎりぎりの綱渡り。
奇跡は偶然の重なりから生まれるけれど。
本当に偶然なのだろうか?
偶然だとすれば、出来すぎてやしないか?
かと言って、必然と言うには、不確定な要素が多すぎるよ。
これは、なんなのだろう?
その答えは、確か、あの本の中に書いてあったっけ。
ああ、そうか。
あの町に、続けざまに通いすぎたんだ。
だからか。
おいらが、強い自分でいられるのは、君のおかげだよ。
よしくんの眠る街は、いつも、おいらに何かを教えてくれる。
この世の中の全ての人に否定されても。
それでも、自分の足で歩けるだろうか?
殆どの人が歩くどころか立つことさえままならないんじゃないだろうか。
でも、実は、それすら対幻想に過ぎない。
それじゃ、自分はからっぽなのかと聞かれたら、それも違う。
やはり、ここに何かがある。
自分の胸に手を当てて、孤独をあえて引き受けながら、ちょっと無理に笑ってみる。
さてと。
自分のタスクを全うしよう。
今週も、時間はどんどん過ぎていくのだから。