本当は一人で集中して作業したいかもしれないという心配をしつつ。
整音作業のスタジオに向かう。
クリエイティブな現場が好きだというものもちろんあるけれど。
少しでも力になる場面があるかもしれないという思いでだ。
到着すると既にクライマックス直前。
残すシーンはあとわずかとなっていた。
今週、今日まで缶詰での作業をしてくださったという。
通常なら3日ほどでまとめるような作業を、びっちりと細かい部分まで。
しかも、あとでミックスしやすいように、トラックを纏めながらの作業。
ものすごい仕事量に圧倒される。
驚くことに今日まで映画を通して観ていないのだという。
1シーンずつ、整音しながら進んでいた。
あえて初めて見た時のフレッシュな感覚のまま整音をしたいと言う。
そんな発想すらなかったから驚いた。
そして、エンディングに近づくにつれて、本当にフレッシュな反応をする。
どうなるのかなぁ、なんて言いながら、一歩ずつ進んでいく。
心配だった効果音。
例えば、殺陣でも、抜刀術でもいいけれど、刀を扱ったことのある人は知っていると思う。
刀をちゃんと振れば、空気を切り裂く音がする。
フュン!とでも書けばいいのか、そういう音だ。
けれど、残念ながらこの音は、ガンマイクで収録するのはとても難しい。
ガンマイクは、カーディオイドと呼ぶのだけど、指向性が強い。
マイクが差している方向の空気の波をそのまま電気信号に変える。
だから、空気を切り裂く音なんかは、綺麗に収録するのはとっても難しい。
口笛なんかも、実は、なかなか拾ってくれなかったりする。
屋内で指向性のないマイクで、環境音を収録するつもりじゃないと、録音されないのだ。
実際に鳴っているのに、収録されない音もあるという事だ。
だから、そんな時は、効果音を後から追加する。
けれど、やはり、効果音は浮いてしまう。
そんな音しないだろ・・・という派手さが残ってしまう。
まるで、格闘ゲームの効果音のように、派手になってしまうと、嘘な感じが増してしまうのだ。
もちろん、あえて、そういう演出にする場合もある。
ブルース・リーの映画は、ありえないような効果音のオンパレードだ。
ヌンチャクを振るだけで、ブオンブオンと、空気を切り裂いていく。
けれど、この作品でそういう派手さは、不自然さを生んでしまう。
だから、悩んだのだけれど、それでも実際は鳴っているのだから一応配置しておいた。
その効果音が不自然じゃなく混ざってくれたら生かして、ダメなら削除しようと思っていた。
さすがに2時間近い音声と向き合ってきただけあって。
数日前に同席した時の数倍のスピードで、効果音を加工していく。
低音をカットして、高音をカットする。中音をイコライジングして、環境音と混ぜていく。
その上でレベル調整をして、実際に、鳴らしてみると、不自然さが消えている。
でも、確実に空気を切り裂く音がそこにはある。
そのテクニックに思わず見とれてしまっていた。
そして、夜も更けて。
ついに最後のシーンまで到達した。
最初のシーンから最後のシーンまで、音を整えたのだ。
もちろん、これで完成ではない。
明けて明日もうかがう。
今度は、整った音声で、頭のシーンから1つずつ確認、整理していく。
パンニングや、質感をなじませること、効果音の無駄な部分をカットしていくこと。
あれ?っていう部分があったら、すぐに言う事。
可能であれば、明日、あげてしまって、KORNさんにデータ送信できる状況にするつもりだ。
今度のMAに入る前にデータチェックできるように、早めに渡したいからだ。
実際にどういうデータになっているか、どんなふうにトラック整理されているのか。
事前に確認が出来れば、それだけ、作業効率も良くなるだろう。
それにしても・・・
音声について、壁にぶち当たった時。
自分で勉強してやることまで、覚悟していたのに。
結果的に、とっても、贅沢な仕上がりになっている。
ベテランのエンジニアさんが、たまたま時間が空いているからと言って、缶詰で一週間の作業をしてくださったのだ。
通常であれば、整音段階では気にしないような細かい部分まで徹底している。
音楽以外の部分でオートメーションを書いていない箇所なんかどこにもない。
それなのに、やろうと思えば、もっと細かい所まで追い込めるようなことも言う。
その気になればセリフの一文字一文字までクリエイトできるのだろう。
ありえないようなことだ。
全体のバランスを整えていくぐらいだと思っていたのに。
全てのシーンを洗いなおすなんて言う贅沢なことが出来るなんて夢にも思わなかった。
ディティールに神が宿る。
そんな話をする。
だとしたら、本当にたくさんの神様がこの映画にはいるはずだ。
美術だって、7日での設営予定が3日で建て込み、そのあとはディティールを詰めていった。
編集だって、頭から3周して、なお、コマ単位で詰めている。
カラコレだって、スタジオで短い時間でやることよりも、じっくりと作業するほうを選んだ。
細かい微細な部分に、いくつも拘ってきた。
そして、この音声も、細かい・・・足音一つまでこだわって整音している。
神が宿るなんて、観念的な言い方だけれど。
実際に、生命を持つぐらいに、おいらは思っている。
夜が明ければ、もう一度、スタジオに向かう。
けれども、今日とは違う気分で向かうことになる。
一人で作業に集中したいんじゃないか・・・なんて心配から逆転する。
いかに、自分が的確に、判断できるかなのだ。
もちろん、最終的なMAの前段階とは言え、この重要性はわかっている。
すごい映画に仕上がる。
すごい映画に仕上げる。
おいらは、自分の足で歩く。