ぎりぎり、スタジオに電源を忘れてきたPCのバッテリーが持っている状態だ。
けれども、まぁ、いつ落ちるかもわからない。
このBLOGが途中で終わったら、まぁ、スマホで続きを書くしかないか・・・。
明日、スタジオに行けば電源は復活する。
このPCはマシンパワーが高い。
それは、印刷物などのクリエイティブ系の作業もするからそうしてある。
毎年買い替えるような資金はないから買い替えるときはなるべく長く使えるように高いスペックにするしかない。
PCなどの進歩は異常なまでに早すぎて辟易するけれど。
今回のこのPCに関しては、未だに、高いパフォーマンスを維持しているように思う。
正解だったなぁ。
一番の正解はやはり動画編集だった。
レンダリング処理をしなくてもリアルタイムで、フルHDの映像が動く。
レンダリングしながらじゃないと動かないようであれば、編集も全然進んでいなかっただろう。
或いはサイズを落として、置き換えての編集しかなかったはずだ。
まだマシンパワーがそれほどなかった時代のテクニックを持ち込むしかなかったはずだ。
それにしても、ノートPCで動画編集ができる時代になっていることは驚かざるを得ない。
もちろん、今でもデスクトップの方が拡張性も高いし、マシンパワーも高いのだけれど。
インターフェイスも含めて、ノートブックは飛躍的に進化している。
それに、デスクトップと違って、移動できることはやはり大きい。
監督と移動しながら編集できたからこそ、完成まであと少しのここまでこれた。
数年でここまで進化するのであれば、更に数年後にはどうなっているだろう?
少なくても、スマホやタブレットで、高いクオリティの映像編集ができるまでは進化しているだろう。
Youtubeへの投稿を続けるクリエイターは、更に高いクオリティの映像をスマホで作るようになる。
そして、恐らく、今もすでにいるように、10代20代の若いクリエイターがどんどん世に出るようになるだろう。
アナログ時代の多くの技術が衰退してしまう可能性もあるけれど。
それを補うにはあまりあるほど、すそ野が広がっていくことは想像に難くない。
舞台とは何か。映像とは何か。芝居とは何か。
このプロジェクトを通して様々に学んできた。
技術革新についてもたくさん学んだし、恐らく、去年のおいらと、今のおいらはまったく違っている。
そういえば、去年の今頃は、ロケ地をめぐって自転車を飛ばし、とある土地の地主のおじいさんの元に通っていた頃だ。
まぁ、映画を創るとなれば、そういうロケ地確保などは技術進化も関係ないか・・・。
そう、そういうことを知るだけでも、何かが見えてきそうだなと思う。
フィルムにはさみを入れていた時代のことも、随分、わかった。
もちろん、その時代のテクニックをベースに今のアプリケーションも設計されている。
だから、自然とその頃にどんなことをやっていたかもわかっていく。
でも、アナログの時代は良かったなんて言えない。
デジタルの恩恵をたくさん今回は受けてきた。
そして、アナログであろうが、デジタルであろうが、結局、作品の持つ何かとは、関係ないとわかった。
人間が演じる以上、肝心なところはアナログなのだけれど、そういうことだけでもなく。
やはり、どんな作品も、見えている映像、聴こえてくる音声だけではない、何かをまとっている。
それは、製作者や監督の持つ空気だけではない。
たくさんの人の思いが重なって、重層化されて、顕現する。
それが映画だと、心から分かった。
さあ、あともう少し。
日が空ければ、整音作業に出かける。
音がどんどん整っていく。
今頃、どのシーンまで進んだだろう?
ひょっとしたら、ラストシーンまで一度到達しているかもしれない。
それも、明日になればわかる。
クリアになった音声の映像を見た時、そこに更に、何かが重層的に重なっているのではないかと思う。
その時には、このPCにも栄養をもう一度あげられる。
スタジオで作業の合間に、たまった仕事をしなくてはならない。
エンドロールの整理や、印刷物などの準備だ。
今週末も忙しい。
もう、かれこれ、一年半ぐらい。
ずっとずっと、忙しい。
少しだけ、PCには、休んでもらえたかな?