2017年04月06日

Shadow Player

朝起きて熱いシャワーを浴びる。
整音作業に向かう準備をしてから出かけた。

前日に今の時点の音を聞いておいたけれど、それはヘッドフォンでだった。
映画館では当然、スピーカーから音が出る。
それも、スクリーンから出るわけではないから、絵と音が離れている。
ヘッドフォンのイメージだと、映画館で余りの違いに驚くかもしれない。
まぁ、そこまでの大きなスクリーンの上映は中々ないだろうけれど。

モニタスピーカは、エンジニアがもっとも音を感じる方向を向いている。
おいらは、その後ろで音を聞くわけでベストポジションではないのだけれど。
それでも、やはりちゃんとしたモニタースピーカーで聴くと音像がわかる。
ああ、なるほど!こういうことか・・・と、どんどん頭で理解していく。

一つ心配だったのが、アフレコ音声の質感だった。
どうしても、現場の音声と質感が変わってしまう。
イコライジングで、クリアな音声をより現場の音声に近い形まで削っていく作業。
けれど、前日に頂いた音声ではまだアフレコ音声の馴染みが良くなかった。
けれど、ヘッドフォンとは違って、モニタスピーカーだと、思ったよりも馴染んでいた。
・・・とは言え、やはり、そこがアフレコとわかるにはわかった。
でも、その回答はすぐに出た。
まだ、質感を合わせる段階ではなかったのだ。
今は、ガンマイクの音声を中心に、ピンマイクの音声をミックスしていって。
最初のシーンから最後のシーンまでの、レベルの均一化をしている途中だった。
それも、やはり音楽の分野でエンジニアをやっている人だからとても細かい部分まで調整している。

整音初日は、それこそ、一つのセリフ、一つの足音まで徹底的にやっていたらしい。
けれど、一日でそれでは10分も進まなかったらしく、少しずつやり方を変えていったという。
具体的にはそのシーンの登場人物ごとにトラックを作成して、ざっくりとレベルを合わせて、それを一本の音にバウンスする。
イコライジングで、無駄な音を削ってから、そのシーンをまるまる音量をオートメーションで書き込んでいくのだ。
一つずつのセリフだったものを、一本の音声に、バウンスする作業にしてから、一気に早くなったようだ。
実際、本日は、30分近く進んだので、週末にはいわゆる下地ができるようだ。
そこから、今度は、アフレコや効果音の馴染み、パンニングにまで手を入れられるようになる。

音量の、オートメーションと書いてもちょっとわからないかもしれない。
通常、音楽を聴くときに、ボリュームなどは一定だと思う。
けれど、ミックスでは、その音量を微妙に調整していく。
フェーダーというスライド方式のつまみを指先で上下して、それを記録する。
スタジオには、フェーダーコントローラーがあるから、一度記録させると、フェーダーが自動的に動くようになる。
何本ものフェーダーが、自動的に動くのは、まるで創作ダンスのようでとっても美しい。

かつては、このオートメーションが出来なかった。記録させることなんかできなかったのだ。
アナログのミキサーのフェーダーを、リアルタイムで動かしながら録音して、テープに落としていた。
曲を聴きながら、同時にフェーダーを動かして、それがそのまま音源になってしまうのだ。
だから、アーティストとエンジニアにも、相性があったはずだ。
音楽的な方向性が理解できて、かつフェーダー操作が出来ないと、エンジニアは出来ない。
今は、オートメーションが書けるからやり直しが効くのだ。

とは言え、おいらは、そのオートメーションを書き込む作業を見て、しびれていた。
それは、まるっきり、プレイそのものだった。
一度セリフを通して聴く。
そのあと、フェーダーに指を添えて、もう一度流す。
確実に、セリフを指で言っている。微妙に指がセリフと同時にフェーダーを動かしていく。
音量がニュアンスになっていく。
こんなこと、たぶん、普通のMAではここまで追い込まない。
オフマイクになったところを持ち上げるようなことはあっても、セリフにまでオートメーションなんて書かないだろう。

おいらは、音楽のトオルさんを思い出していた。
トオルさんも、舞台音響で、確実にプレイをしていた。
舞台上にいないのに、それはやはり、プレイとしか言いようがない操作だ。
DJと同じ。
音声を、リアルタイムでコントロールするのだから、それは、演奏なのだ。
今回の映画でも、とあるシーンの音楽は、映像を見ながら生で弾いた曲がある。
録りおろしとでも言えばいいのか。トゥーマッチで作った曲。
当然、その曲は、リアルタイムに役者と同時にプレイしているのだ。
だから、その時のキーボードへの指のタッチまで、記録されている。
この曲は、当然、音声のオートメーションなど書かないと言っていた。

それはまるで、魔法のようだ。
既に収録されたものに合わせて、もう一度、プレイする人がいるのだから。
「演じる」とは、何も役者だけのものではないのだ。

おいらは、後ろに座って、PC作業をしながらだったのに。
トラック整理して、イコライジングをして、最後にオートメーションを書く段階になるといつも手を止めてしまった。
それは、神聖な作業だ。
いつだって、プレイに集中している時は、おいらは、動きを止めてしまう。

見事なまでに音量が整っていく。
耳に触るような帯域の音が少なくなって、細かった声が太くなっていく。

ラスト近くになって、データのやり取りでリンクがいつの間にか切れていたデータを発見する。
おいらのPCから、データを移動して、リンクを張りなおしていく。
それはプレイからかけ離れた地道な作業。
とても、一人じゃできない作業だよ、いてくれて良かったよなんて言われる。
それを聞くだけで、いかにオートメーションを書く作業が、一人で集中する作業なのかがわかる。

夜も更けたので辞す。
最寄り駅についたころ連絡があった。
PCの電源をどうやら忘れてしまったようだ。
土曜日に行くまで、電源なしでこのPCを使う。
んー。重い作業をしたら、バッテリーが持たないか・・・。
ちょっと印刷物にとりかかりたいのだけれど。
使用できても、オフィス系とブラウザぐらいだな。

やばいなぁと思ったのに。
それほど、くらっていない。
それぐらい、今日という一日に大きな収穫を感じているからだ。

この映画には影のプレイヤーがいる。
トオルさんも、KORNさんも、げんちゃんさんも。
この映像に向かってプレイしているんだ。

ほんの1mmぐらいまるで痙攣のように上下するフェーダー。
デジタル全盛で、フェーダー操作の技術は年々落ちていくんじゃないだろうか。
ベテランにしかできない技術。
おいらは、何度も何度も繰り返し、見惚れていた。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 01:22| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする