元巨人軍投手の桑田真澄さんがいつだったか言っていた。
先発登板するときは、いつだって、完全試合をするつもりですよ。と。
ビジネスの世界では最悪の想定をしておきなさいなんてよく言われると思う。
それは、とっても大事なことだし、準備しておくことは常に必要なことだと思う。
けれど、最悪の想定を基準に行動することは、とってもよくないことだ。
そんなにネガティブなこともない。
多分、大事なことはそういう事じゃないよねって、おいらなんかは思う。
桑田選手は完全試合をしようと思って、ヒットを打たれたら、すぐに完封を目指す思考回路にしてあるらしい。
そこから、点を入れられたら、完投勝利を目指すのだという。
それすらも難しければ、せめて、責任の取れる回まで、調子が悪いなりに我慢するのだ。
つまり、最高の完全試合を想定しながら、その想定から外れても、パニックにはならずに切り替えていく。
冷静に常に対応していくという事だ。
状況の変化に、戸惑わないで進むという事だ。
そして、実際には、そんな試合の方が圧倒的に多いはずなのに。
明らかに、自分的に調子の悪い日もあるはずなのに。
毎試合毎試合、マウンドに向かう時、完全試合をそれでも目指しているという事に注視するべきだ。
最高の想定も、最悪の想定も、出来ることなら全て、イメージしておくべきことなのだろう。
でも、一番大事なことは、常に成功するイメージで臨むこと。
そして、想定していない状況が起きたところで、すぐに切り替えられる平常心を持つこと。
或いは、もっともっと広い意味での対応力を常に自分の中に持っておくことなのだと思う。
そして、そのためには、目をつぶらないことが大事なのだという事だ。
ヒットを打たれた事実、点数を取られた事実、調子の悪い事実。
そこから目を背けることなく、その出来る範囲内で、最高の結果を目指すことが大事だ。
なあんて言っても、人は弱い生き物で、最悪の結果や、悪いほう悪いほうに意識が向いてしまう日もある。
占いをしてみたり、手相を読んでみたり、ロジックにならないことの裏付けを探してしまう。
それに、最高も最悪も、想定をし始めると結局、キリがない。
上には上があるし、下には下があるのだから。
それでも、なお、確固たる何かを自分の中に持って、最高の場所を見続けることが出来るとしたら。
それが、ベストであるとおいらは思っている。
桑田選手は、根拠なく完全試合に挑んでいたのではない。
自分の中で、完全試合が出来るという自信がつくところまで確固としたものを創ってきたからこそ出来るのだ。
それは、決して上辺だけのものではない。
もし、上辺だけであれば、もっとずっともろくなって、あんなに勝ち星を重ねられたわけがない。
自分の中にある根拠は、上辺ではなく、自己を信頼出来るだけのものなはずだ。
今、おいらが、前に前に進んでいけるのは、確固たる自信を、自分の中に持っているからだ。
18年という歳月で重ねてきた、作品に対する姿勢。スタイル。
監督が今まで書いてきた作品と、セブンガールズという作品の持つパワー。
仲間たちの持っているポテンシャル。
それは、例えば他の映画や他者と比較してという事ではなく。
自分の中で重ねてきた経験と結果と、それとはまた別の道程が、くれている自信だ。
自分たちの作ってきた芝居を映画に出来た。
これ以上もこれ以下もない。
そして、それがおいらの一番の自身であり軸だ。
何のために?誰のために?
毎日毎日、この映画のために何かをしているけれど、時々、自分の中にそんな疑問符が浮かぶ。
今日も、その言葉が浮かんできて、そんな自分が嫌になった。
この劇団で出来ることはあと何があるだろう?
そんなことを毎日のように考えてきて、始めたことなのに。
相変わらず、そんな素朴な疑問が、自分の中に浮かぶ日もある。
そんな時は、立ち返る。
軸はあるのだ。
自分たちの作ってきた、信じてきた、作品であり、芝居なのだ。
人生を懸けて取り組んできた、その歴史そのものだ。
だから、もう一度、最高の想定をする。
完全試合をするつもりで、一歩踏み出す。
マウンドの上には天使がいるのか悪魔がいるのか?
そんなこと、結局、なんの関係もないさ。
自分の中で大事にしてきた軸って何なんだい?
そこで、勝負して来ようぜ。
そう、自分の中の自分がもう一度、話しかけてくる。
だから、弱くなることはない。
なったとしても、それは、一瞬のことで済む。
そしてまた一歩、マウンドに向かって歩くのだ。
その一歩は力強く。
その一歩は自信に満ち溢れている。