MAの連絡を各所に。
監督、音楽監督、そしてエンジニアのKORNさん。
おいらに出来ることは効果音の作業。
ついでに、何人か劇団員も来れないか誘ってみる。
いたらいたで、アフレコしたり、効果音を創ったり、他にも役に立つと思ったから・・・。
でも、誘ったメンバー、皆無理だったか…。
やっぱり最後の仕上げはこの4人になると思う。
どんなムードになるかな?
まぁ、おいらがいることによって、小野寺馬鹿だなぁな立場を作れる。
いつものように、それだけで成立することがたくさんあるはずだ。
いじられ役ぐらいでいいなぁと勝手に想像している。
・・・というのも、たぶん、先日のカラーコレクションの前と同じで。
実は、おいらが、行く必要性って、そんなにないんじゃないかと思っている。
KORNさんがバランスを整えて、音楽監督が、劇伴のオートメーションを書く。
それを確認した監督が、OKを出す。
その流れからすれば、おいらが入り込む余地なんて、たぶん、1ミクロンもない。
あるとすれば、最初の段階でデータを持ち込むことぐらいじゃないだろうか?
そのデータだって、実はネットワークで送れるのだから・・・。
ただ、そこにいるだけになってしまいかねない。
そう思っていても、意外に、カラーコレクションでもいて良かったと思えたことがいくつかあった。
おいらは端っこでただ作業を観ていればいいだけなのに。
気になるところはありますか?と聞かれたら、ここはどうなってますか?と積極的に言った。
まぁ、お前はしゃしゃり出るなと怒られても仕方がないかもしれないんだけれど。
じゃあ、観てみましょうと、観て、あ!ここは直しましょう!という箇所がいくつか出てきた。
ああ、一応、いて良かったんだなぁと思った。
撮影時に書いた監督の仕事。
それは「オッケー」を出すことに尽きると書いた記憶があるけれど。
監督は、カラーコレクションでも、何度も「オッケー」を出さなくてはいけなかった。
撮影監督が納得できるまで作業して、観て、それにオッケーを出せるかどうか。
つまり、最終的には「監督がオッケーって言ったから」というお墨付きがついてしまう。
それは、意識下になくても、無意識レベルで、どんどんストレスになってプレッシャーになっていくと思う。
作品のあらゆる箇所が、自分の責任になっていくから。
多分、監督からすれば、ずけずけと物を言うおいらを、気楽でいいよなぁぐらいに思ってるんじゃないだろうか。
撮影だけじゃない。
編集でもそうだった。
まぁ、編集は、監督とおいらの二人だけだったから、もう少しくだけてはいる。
そうじゃないだろ?
ちょっと、それ、好きじゃない。
ここ、やめたい。
どんどん、監督なりに要望が出てきていたように思う。
もちろん、おいらも、監督がオッケー出しても、好きじゃないなぁとか多少は言ってたけれど。
それは、もう、責任のレベルでいえば、全然、違っているはずだ。
接し方の違いはあれど、オッケーを出す責任のレベルは変わらないという事だ。
MAは、また違った関係性になるだろう。
少なくても、監督と音楽監督は、もう20年の付き合いになる。
KORNさんだって、いつも、舞台で一緒の作業をしている。
だから、おいらとの作業とも、撮影監督との作業とも、関係性も接し方も変わると思う。
でも実際は監督の中ではブレていなくて常に一貫しているものがある。
その中から「オッケー」をどんどん出していかなくちゃいけない。
おいらに出来ることは多分、その中の潤滑油的なことで、笑ったり、すげーって言ったり。
そういうことの連続の中で、全員のイメージが一つになりやすくするだけのことなんじゃないだろうか。
まぁ、そんなのも、想像でしかないのだけれど。
さて。
続きは明日。
効果音ライブラリの一部をもらえるかもしれないから、それでまた作業がはかどるかなぁ・・・。