2017年03月12日

聞こえる音、認識できる音

効果音に少しずつ手を入れていく。
やはり耳に集中する作業はストレスで、余り、長い時間できない。
撮影時に収録できていない音声と、アフレコで失った音声を補充していく作業だ。
SEには2種類の考え方がある。
1つは、あくまでも自然に聞こえるようにする効果音。
もう一つは、演出的な効果を高めるための音声。
演出的な音声はやりすぎると、映像にベクトルをつけすぎてしまう。
だから、あくまでも失った音声を中心にしてしまう。

時代劇を観ると、立ち回りで、刀を振っただけで、ズバッ!って音がしたりする。
あんな音は本来するものではない。
実は、うちの舞台でも、何度かSEを入れた方がいいのじゃないかと言う話は出た。
刀剣の立ち回りを何度もしてきたからだ。
けれど、不思議なほど、SEを入れるほど、立ち回りの迫力がなくなっていった。
確かにSEには、演出効果を高める力があるけれど、リアリティを失う危険性もあるという事だ。
刀剣は、ちゃんと振れている人の場合は、空気を切る音がする。
その音が逆に消えてしまうのだ。

逆にそういうのを面白がって、ギャグにしたこともある。
地響きがするような足音が近づいてきて、登場すると、普通の人間。
そんなギャグだ。
確か、ガンダム的な足音がして、登場するのがアムロ的な人だったと思う。
バカバカしいけれど、面白がってくださった。

目と耳は、2つセンサーを持っている。
それがどういう意味を持つかと言えば、平面ではなく認識しているという事だ。
2つのセンサーは、共に受信する情報だけではなく、お互いの情報の差異も同時に認識している。
右目と左目の視差があるから、奥行きを感じて、立体的な認識が出来るのだ。
耳も全く同じで、普通に聞いているようで実は同時に、差異も認識している。
更に言えば、脳は、2つのセンサーから得た情報を内部処理することが出来る。
よく言われるカクテル効果と言うのがそれで、耳に指向性を持たせる…音にピントを合わせる的なことも出来る。
目をつぶって、集中して音を聞いていれば、部屋の大きさや、音空間がわかる。
その上、外から聞こえてくるわずかな話声に集中すれば自然と他の音が聴こえなくなってくる。
実際、そこまでの立体音声は、まだ、実現できていないはずだ。
音のピントという発想まで、録音技術がやがて発達するのは間違いない。
映像は、ピントと言う発想に至っているのに、不思議な話だけれど。

内部処理が脳内で行われるという事は、すなわち、錯覚も起きるという事だ。
最近なら、白黒のイチゴの画像が、どうしても赤い色に見えてしまうなんて画像が流行っているけれど。
錯視、錯覚の類は、大抵が人間の脳内の内部処理の傾向の問題のはずだ。
人が想像するよりも細かい音まで聞き分けるし、同時に、人が想像するよりも錯覚を起こす。
効果音と言うのは、たぶん、その錯覚を逆手に取った作業なのだと思う。

おいらは効果音全集などを持っているわけではない。
フィールドレコーダーで、音声を集めているわけでもない。
じゃあ、どこから音を持ってくるのかと言えば、今回の収録データから探している。
…とは言え、膨大過ぎるのだけれど…。
なんせ、5日の撮影の中のテストから本番の全テイク、音声があるのだから。
ただ、微かな衣擦れも、足音も、空気音、風の音などは、全て同じ空間の音が残っている。
ここから切り出して、貼り付けるのが一番自然になることは間違いがない。
効果的な音だけがどうしてもないけれど。

演出的に必要な個所は、本当に数か所のはず。
それを地道に繰り返せば、だいぶ変わるのだろうか?
MAの日までは、もう残り少ない。
現時点の2mixを聞いてからと思ったけれど、やはり、そうも言ってられない時期に差し掛かった。

毎日わずかずつの時間だけしかできないかもしれないけれど。
やれるだけやっていくしかないのだ。

さて、稽古に向かおう。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 13:21| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする