香港フィルマートのHPが開催一週間前にして、大きく更新していた。
当日会場で試写できるスケジュールなんかも書かれていて、ドキドキした。
まぁ、パスポートがないので行けるわけがないし。
まぁ、パスカードがないので行っても入れないし。
何をどきどきするのだっていう話なのだけれど。
もちろん、セブンガールズが試写されるわけではない。
まだ、未完成なのだから。
ただ、確実にこのマーケットで、セブンガールズも紹介されてることになる。
HPを観ると、さすがに世界三大と呼ばれるだけあって、とっても、規模が大きい。
試写される作品のリストだけでも、日本のあの映画も!?なリストになっている。
この中の一つになるのだと思うと、とっても、不思議な気分だ。
もちろん、中には、セブンガールズのように自主企画的な映画もある。
何を基準に、どうやって、自分のアンテナに引っかかる作品を探すんだろうなぁ。
そんなことを、たくさん、想像してしまう。
だから、どきどきしてしまうのだ。
日本人には日本人に合っている制度があるっておいらは思っている。
それは、いわゆる子弟制度と言うか、そういう「継」という精神だ。
例えば日本の町工場が世界の最新技術を支えているなんて言うけれど、あれなんか特にだ。
職人の世界は、師匠がいて、技術を研鑽して、独自の発展をしていく。
問題があるとすれば、それは、誰も気づかなければ、埋もれてしまうという事だ。
たまたま世界で評価された技術もあるけれど、廃れていった技術もあるはずだ。
かつての、日本の映画も、大部屋があってそこで映画会社ごとに芝居を競い合ってた。
技術スタッフも映画会社の中にいたから、師匠がいて、関係性があった。
今は、映画会社が俳優を育てることはなくなったし、技術スタッフも多くは学校卒業者になった。
もちろん、それは悪いことじゃないし、裾野を広げることにもなったわけだけど。
でも、実は、劇団っていうのが残ってる。
劇団は、今も、狭い世界で技術の研鑽をしている。
おいらの古い知り合いなんかでも、とんでもなくレヴェルの高い芝居を作っている人たちがいる。
世間に届かないけれど、狭いからこそ、独自の発展をしていく。
劇団出身の俳優が、今の映画やドラマの多くで活躍しているのは、当たり前だと思う。
勉強ではなく、磨くという作業工程を踏んでいるから、独自の色を持っているんだと思う。
けれど、他の技術と同じように、誰も見つけなければ、或いは受け継がなければ、廃れてしまう。
おいらは、ずっと、そういう感覚がある。
最初に芝居を教わった師匠が亡くなった時に、師匠の目指していた芝居はどこに行ってしまうんだろう?と悲しくなった。
だって、絶対に素晴らしい世界に誇れるような劇表現をしていたのを知っていたから。
もちろん、知る人ぞ知るという世界では、高い評価を受けていたけれどさ。
それでも、今、知っている人が余りにもいない。
もちろん、演劇なんて、刹那なのかもしれないし、普遍ではないけれど。
世界は見つけるべきだったよって、今も思っている。
だからこそ、この劇団で磨いてきたもの。
世界から観ればちっぽけすぎるニッチな世界で作り上げたもの。
そういうものを世界に見つけてくださいなんて思わずに、世界に持っていきたいって思った。
いや、そんなこと誰だって考えたりはするのだろうけれど、じゃぁどうやって?で終わってしまうのかもしれない。
色々な偶然と、たくさんの力が集まって、それを進めてきた。
本当にできるのかなぁ?なんて、疑ったこともない。
やるって思ってやってきた。
そんなことを考えていたのに、今、どきどきしている。
会場の雰囲気を観て、上映される作品たちを見て、ブースをみて。
ここにセブンガールズもあるんだと思うと。
もちろん、結局、誰も目にしないのかもしれない。
ただあるだけで、興味を示さない可能性も十分にある。
数百と言う作品の中から見つけてもらうというのだって、大変な確率だ。
試写だってないし、引きがある作品なのかすらわからない。
あるのは、ただ、観たら絶対に伝わるものがあるはずだという思いだけだ。
おいら、一人だけでもいいや。7300人の中の一人。
イタリアのだれだれさんが、セブンガールズをみつけた!とかさ。
それだけでも、なんか、泣いてしまうかもしれないような気持ちになる。
感謝しなくては。
たくさんたくさん、感謝しなくては。
そして、絶対に恩返ししなくては。