2017年03月03日

暗い夜空に

劇団で上演された作品の映画化というのは、今もある。
けれど、やっぱり、キャストが変わったり、監督が別の人だったり。
劇団で公演していたパッケージとは違った形で作品化されていく。
それはまぁ当たり前のことで、いわゆる興行的に、動員が見込めなければ映画化する予算が出ないという事だ。
映画は作品でありながら商品。
商品である以上、資本がどうしても必要。
そして、映画製作は、公開までに必要な資金がどうしても大きい。
その為に動く人数も多い。

ただなんていうか。
いつも、そういうニュースを見て、おいらは違和感を感じていた。
劇団に映画化したいという話が来て、映画化が決まる過程が見えた時に。
なんというか、喜んでいるなぁって感じるたびに、ちょっと、引っかかった。
多分、おいらが芝居を始めたころに触れてきた諸先輩方の感覚と違うからなのだけれど。
おいらが最初に芝居を教わった人たちは、安易にそれを許さなかったなぁと思うのだ。

あなたのこの作品を映画化させてほしいという話があった時に。
例えば、小説家でも、漫画家でも、誰でもいいのだけれど。
簡単に、やったぁ!嬉しい!となる作家って、そんなにいないと思う。
それは、作品世界が壊れてしまう可能性も秘めているし、お金の問題じゃないからだ。
作家は命を削って、作品を作っているのだから、それと同じ覚悟があるのか必ず確認していると思う。
けれど、劇団なんかの舞台作品の映像化が決まった後のコメントは、あまり、そういうのを感じなかった。

それは、当たり前のことだ。
劇団と言う小さな世界では、作品が世に出るだけでもプラスなのだ。
まして、劇団は、どこも経済的に厳しい。
少しでも劇団として名前が出る。
作品が商業に乗る。
それだけでも、やっぱり、嬉しいことなのは当然なのだと思う。
それは、自分もそこに身を置いているから、とてもとても理解できることだ。

でも、同時に、どうしても違和感を感じてしまう。
そんなに軽いもんか?
舞台作品だからこそ、良い作品なのかもしれないじゃないか?
小劇場は、決して、映画の下ではないぜ。規模の違いだけだぜ?
そういう思いが、おいらの頭の中に、こだまする。
それは、自分の声なのか、いつかの諸先輩方の声なのかもわからないけれど。

新聞記者や評論家を劇場の入口で待ち構えて追い払った!なんて話とか。
ヨーロッパでの公演の話を断った。なんて話とか。
そういうことを聞いていたからだけかもしれないけれど。
やっぱり、それだけ、強く濃く、自分たちの作品を大事にしていたことを記憶しているんだ。

売れないバントがライブハウスで、君たちの曲良いから、くれない?とメジャーバンドに言われても。
バンドマンたちのほとんどは、自分の曲を簡単に売り渡すことなんかしない。

もし、何もせずに、舞台を続けていて。
セブンガールズの映画化の話が舞い降りてきていたら、おいらはどんなことを思っただろう?
キャストも変わる、監督も違う、そんな話だった時に、どう感じただろう?
やっぱり、劇団的には、それは大きなニュースだし、喜んだのかもしれないなぁ。
喉の奥に小さな骨を感じながらかもしれないけれど、断ることなんか出来っこないしさ。
まぁ、実際に今までそういう話がなかったわけではない。
動き始めなかっただけで、そういう話はちょこちょこあった。
そして、そのたびに、断るという選択肢はなかったような気がする。

劇団員総出演。
作家がそのまま監督。
劇団をそのままパッケージ化した映画。
これは、たぶん、史上初。
見たことも聞いたこともない。
舞台を多数のカメラで納めて、映画館で上映するっていうのはあっても。
劇団と言うパッケージで、そのまま映画を撮影しちゃうなんて、誰もやってない。
誰かが思いつきそうなものだけれど、誰も実現できなかった。
実現するには壁がたくさんありすぎるから。

多分、おいらがやってきたことは、その壁をぶち抜くことだ。
これがどんな結果になるのか、どんな風を呼ぶのかわからない。
でも、作品を切り売りするのではなく、「俺たちの作品」というプライドを持ったまま製作した。

まるで、音楽で言うならインディーズバンドのメジャー挑戦のようだ。
もちろん、映画の世界にも自主映画と言うインディーはあるのだけれど。
でもあれは、監督やカメラマンなどの製作者のインディーだ。
だから、そのまま有名なキャストを呼んで、メジャー挑戦なんてのはよく見かける。
それとは全く違う。無名な作曲家がメジャー挑戦したって、別に当たり前のことだ。
そうじゃなくて、演者も含めた、作品発表してきた集団なのだ。バンドやシンガーソングライターだ。
誰だこいつ?かっこいいじゃん。
そんな、バンドが、山のように生まれてきた時代を思い出す。
コンプレックスをバネにして、飛び上がってきたアイツラを。

まともにとりあってくれた人の顔を思い出す。
こんなこと、話すら聞いてくれなくて当たり前なんだから。
そもそも、その壁を、例えば制作費や、美術をどうするのかとか、越えられるなんて信じてもらえないんだから。
足りない部分は自分が補いますって言ったって、信じられないのが普通なのだから。
でも。
信じてくれたから、やらかしたんだ。
やっちまったんだ。
もう、後戻りなんかできない。
始まったんだ。

まだ知らない人の方が多いよ。
これを読んでくれている人しか知らない。
ここで、こんな映画が生まれていることを。
史上初めての挑戦が、いよいよ実行されていくことを。

今から、皆様が目にするのは、そういう初めてのことだ。

なんにもない、なんにもない、まったくなんにもない。
うまれた、うまれた、何が生まれた?
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 05:07| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする