明け方まで作業したけれど、朝起きてまた作業を続ける。
出る時間になったから、モバイルスタジオをまとめて、急いでシャワーを浴びる。
稽古場に到着すると鍵を持っている劇団員が一人待っていた。
病んでいるらしいけれど来てくれた。
稽古場に入ってセットアップして、そのまま、作業を続ける。
どう考えても、時間と作業ペースがあっていない。
思っている作業がすべて間に合うかどうか、ギリギリだ。
監督が到着するなり、大幅な改定を続ける。
字幕の業者に提出したら基本的にピクチャーロックになる。
もう、絵は動かせないと思っての編集だ。
字幕は全てタイムコードに乗っかってくるのだ。
字幕が乗ってから、絵をいじったら、全ての字幕を変更しなくてはならなくなる。
字幕はセリフだけではなく、テロップにも乗ることになる。
物語の導入と、物語の納め方。そこを重点的に。
加速度的に、編集は進む。
一端編集を止めて、監督は音楽監督に電話連絡をする。
おいらは舞台の反省会に参加。
公演の反省と次回公演の話と、映画の進捗報告。
今、海外映画祭エントリーに向かっていて、時間がないことも伝える。
冗談で、じゃあ、ドレスを用意しなくちゃな!なんて声も出るけれど。
当たり前だけれど、皆には現実感があまり感じられない。
それはそうだ。
おいらのように、実際に作業をして、実際に打ち合わせをして、具体的な部分も知っているわけではないのだから。
海外の街の名前は、まだ、夢の向こうの話なのかもしれない。
でも、その夢の向こうの話を具体的にしはじめていることを伝えきれないジレンマ。
基本的に撮影が終わった今、待っているだけなのだから、当たり前だけれどさ。
誰かに言われた。
夢を見ることは誰にだってできる。
夢に向かって走ることだって、実はそんなに難しくない。
ほんの一歩前に出れば、それは始まるのだから。
ただ、その夢に向かって、走り続けることだけは、難しい。
お前は、クラウドファンディングの開始から今までずっとずっと続いている。
それはちょっと、普通の感覚だったら考えられないことだよ。
ぜんぜん、普通じゃないんだよ。
一年以上も、BLOGを続けることだって、やったことがないことを平然とやってることだって。
それが出来るっていうのは、まぁ、お前だからだよと。
たくさんのたくさんの。
本当にたくさんのことがあった。
芝居を始めてから今日まで。
その中で、一体、何人の仲間たちが、続けることが出来なくなっただろう?
そう。
継続することが難しいのは、何も、モチベーションの問題だけではないのだ。
家族のことがあったり、生活のことがあったり、病気になったり、亡くなったり。
自分が想像もできないような出来事が起きて、続けること自体が難しくなる場合だってあるんだ。
もちろん、モチベーションを失うことだって、別のことに強い興味を持つことだってある。
肉体も精神も悲鳴をあげてしまう日だって、誰にだって訪れる。
それは、現実という言葉で表現される何かだ。
でも、実は、まったく現実なんかじゃないとおいらは思っている。
それが本当に現実と言えるだけの根拠を見たことがないから。
そんなものがもし現実だとすれば、人生とはなんて味気ないものなんだろう。
本当に自分が生きている瞬間が人生にいくつかあるとすれば、それこそが最大の現実だとおいらは思っている。
家族のことも、生活のことも、病気も、死も、生も。
そこになんらかの意味や言い訳をつけるようなものではない。
それは、おいらの目には、ただの現象に映ってしまう。
そんな時、お前は、どう感じて、どう生きるんだ?
それだけが、おいらの現実だ。
世の全ての人は素晴らしい。
働いて、家族を持って、子供の将来を夢見て。
それが素晴らしいことなんだってことを疑ったことはない。
おいらだって、そういう家庭で育ったし、たくさんの幸せをもらってきたから。
家族を持たなくたって、社会貢献を重ねているんだ。誰だって。
それを素晴らしいと言わずに、何を素晴らしいというのか。
その全てを肯定しながら。
自分を省みると、そこには至らない自分がいる。
なぜなら、おいらは、憧れたのだから。
憧れたおいらが、そこに目をつぶることは、自分に嘘をつくことになるから。
求道者よ。
何かを求め続ける求道者よ。
信じろ。
その道は、いつか、道になる。
初めは足跡しかなかった砂原もやがて、大きな道になる。
信じることが求めることだ。
達成することが求めることではない。
帰宅して、音楽監督に変更点の映像だけを送信する。
細かい注釈を書き忘れていて、意思の疎通がとれていないかもしれないと後から汗をかく。
その時間が惜しくて、送信しながら、音声のLRパンを振り続けた。
LRに振り分けるだけで、音像が明らかに変わるのがわかったから。
提出するまえに、全てのセリフを振り分けようと思っているのだ。
それで、ヘッドフォンに集中するあまり、注釈を書いていなかった。
その後のメールのやり取りをみたら、監督も返信をしていたから、一安心したけれど。
稽古場の皆の顔を思い出す。
海外映画祭の話をした時のあの顔。
別に期待するわけでもなく、とは言え興味がないわけでもなく。
すごい!なんて言葉もない。
ただただ、現実感がないまま、そうなんだと聞いていた。
大きく期待して、エントリーだけで終わったりするのもきっとガッカリするだろうしさ。
可能性はゼロじゃないんだろ?なんて、言葉が出てきたりさ。
漠然とした、本当に、観念的な夢がそこにあった。
おいらが直面している具体的な作業と、大きな大きな隔たりを感じた。
でも。
それは隔たりなんてものではない。
おいらは、その皆の表情を思い出して、もう一度、力を振り絞ったのだ。
こいつら、全員が、もう一度、心の底からの笑顔を作れるようにしなくちゃ。
クラウドファンディングを達成したあの瞬間を、また、何度も迎えなくっちゃ。
もうちょっと、待ってろよ!
おいら、監督と二人で。音楽監督とも、プロデューサーさんとも。
キリキリ舞いしながらでも、着実に進むから。
特別なんてことはない。
継続しているんじゃないんだよ。
たまたま継続出来ているんだよ。
綱渡りさ。
そりゃ、ハラハラドキドキだって、するさ。