節分の日が開けて立春。
季節の分かれ目という事だ。
まるで、そこに合わせたかのように、一つの分かれ目が来たのかもしれないなぁと思う。
映像をMPEG2で書き出してDVDに書き込む。
MPEG2は時間軸でも圧縮をかけるから無音部分などがあると時間軸でずれる場合がある。
わかっていたのだけれど、やはり書き出したデータにずれが出て四苦八苦する。
とは言え、約束の今日、DVDを持っていくことにする。
到着すると、試写室に案内される。
すぐに、再生ができるか確認する。
DVDは時々、同じディスクでも再生できないプレーヤーが存在したりする。
あれは、ちょっと、なんなんだろう?よくわからないままだけれど。
配線が、うまくいっていなくて、いらっしゃった方と、プロジェクタ、スピーカーの配線のチェックなど。
監督が到着する前に、再生できる環境までになった。
HDMI1.0だったのかなぁ?音声部分で、少しだけトラブルがあった。
スクリーンに投影する前に部屋の明かりを落とす。
そう、それが映画とテレビの違いだ。
テレビやPCで確認するうちは、モニターそのものが光源になっている。
だから、基本的に部屋の明かりを落としてはいけない。
直接的に目に光源が入ることになるから、目に負担がかかるのだ。
モニターで何も映っていない状態は黒だ。
対して、スクリーンはその反対になる。
光源はプロジェクター側で、その反射光がスクリーンで観れるようになる。
当然、プロジェクターが光らなければ・・・何も映っていない状態が白なのだ。
そして、光源が直接的じゃないから、電気を落とす。
電気を落とさなければ、うっすら色が付いたスクリーンになるだけだ。
反射光だから、乱反射する微かな光も含んでいて、軽くぼかしのかかった映像になる。
精細感は圧倒的にモニターの方が高いのだ。
その上、編集時はフルHD。
1920×1080ドットだ。
DVDは、規格で決まっているから、720×480ドット。
精細感でいえば、ざっくりと4分の1ぐらい違いがある。
最初のDVDを焼いてから、DVDの試写と聞いて、少しでも画質が落ちない方法を模索していたけれど。
映った瞬間に、ああ、やっぱり、いつもの映像よりもぼけてしまうんだなぁと、少し気落ちした。
ブルーレイプレーヤーだったから、ブルーレイに焼けばよかったと後悔をする。まぁ、知らなかったのだけど。
とにかく、加藤Pに、そのままの映像を観てほしいと思ったから。
もちろん、映画館の映写機は、フルHDのまま投影するけれど、その分、スクリーンも広い。
あのスクリーンは何インチなのだろう?
120インチとかなのかなぁ。
もっとかもしれない。
とにかく、部屋の壁一面に映像が映し出されて、音声が時折ずれたり、映像の精細感が気になったりしつつ。
初めてのスクリーン上映に、一歩ずつ、没入していった。
初めは気になった部分も、物語が動き始めると、移っていく。
気になる部分がスクリーンになって見えてくる場合もあるのだ。
監督もピクっと反応したりしている。
そうやって自分なりに映像を確認しながら、Pの反応も気になる。
笑ったり、少し動いたり、そのたびに。
たった3人でスクリーン試写をしている時間は、なんというか、不思議な空気がずっと流れていた。
時々口にする一口のホットコーヒーに、何度か、首のこわばりをほぐされた。
まだ限られた人数しか観ていないこの映画。
再生が終わると、部屋の電気が付く。
映画館でも劇場でも、明るくなった瞬間はいつも不思議な感じがる。
ふぅっと、別世界から帰ってきたようなあの感覚。
劇場では、大抵、ふわっと、客電がフェードインするから、余計に倒錯感がある。
けれど、今日は試写室だから、パチリとスイッチで蛍光灯が付いた。
倒錯感というよりも、より現実に無理やり切り替えるような感覚。
今、確かに、この世界にもう一人は言ってくれたという感慨。
それでも、脳内はまだ切り替えがおっついていないから、一服だけ時間をもらった。
ニコチンが、少しずつ冷静にさせていく。
カフェインもニコチンもタールも、微かに脳に刺激を与えてくれる。
微かな刺激がきっかけになって、思考を整理するのだ。
夢から醒めたようなふわりとした感覚の中。
作品について話していく。
その話の前提が既に「世界」に向かっていることに、何の違和感もないことが、とんでもないことだって思う。
最初に、「カンヌ」なんて言葉が出た去年の打ち合わせ、監督と二人で噴き出したのを思い出す。
それが、今は、海外映画祭エントリーを前提に話を進めているのだから。
「面白かったです」
そんな言葉からはじまった打ち合わせ。
一体、加藤Pは今まで何度、この瞬間を通り抜けてきたのだろう?
恐らく何本もの映画で、何かを言わなくてはいけない立場であり続けてきたのだから。
手放しで褒めてしまえば、それで終わるだろうけれど、それもまた難しいことなはずだ。
加藤Pの言葉は、確実にそれまで監督とおいらで話していた内容とは角度が違った。
別角度からの、意見は、全て納得できるもので、なるほどと思わせるものだった。
ちょっと感動したのは、
「無駄な部分は、削らないでください」という一言。
一見、物語的には無駄に見えるようなシーンも、その長さまで含めて、そのままが良いという意見。
ああ、こういう意見が出るのかと、驚いた。
冒頭部分や、最終部分についても、まるで、今まで考えていた事とは違う地点からの言葉だった。
映像を納品するまでに、いくつかの編集、シナリオの再完成、そして音声のある程度の修正が必要になった。
〆切が7日だとすれば、もうあと何日もないことにぞっとする。
時間がかかるところもなくはない。
ここ数日が勝負なのは間違いがないだろう。
映画祭のディレクターが、ここをどう思うかですよね・・・なんて言葉に、普通に答えている自分がいた。
ああ、もう、とっくにおいらは、その場所にいるのだ。
考えてみれば、こんなことを経験している俳優がこの世の中にどれだけいるだろう?
完パケ前のラッシュを観る俳優はいても、オフライン試写を見て打ち合わせにいる俳優なんかどこにもいない。
確かにこれからの数日間の作業量を思うと肩に力が入ってしまうけれど。
同時に、自分が今、絶対に今日までのたくさんの壁を乗り越えないとたどり着けなかった場にいることに感謝をしないとと思う。
帰宅すると、日が変わっていた。
節分が終わっているのに、北北西を観て恵方巻をかじる。
テレビでは「山田孝之のカンヌ映画祭」が放送されていて、カンヌにいる日本人映画関係者が喋っていた。
勝手に海外の映画祭のディレクターは、海外の人だと思っていたけれど日本人スタッフも恐らくいるだろう。
そうかぁ・・・なんてぼんやりと考えていたら、急速に眠気が襲ってきた。
昨晩DVDのクオリティを上げようとしていたから、1時間と少ししか眠っていなかった。
目が覚めて、テレビをつけるとウルトラマンが放映されていた。
光の国から僕らのために。
僕らは確かに光の国を創ろうとしているなぁなんて自然と考えていた。
全ての光を落として、そこにセブンガールズという世界が生まれる日がそこに迫っている。
そして、改めて、タイムラインを眺めてから、ようやくBLOGを書いている。
立春。
暦の上では春がやってきた。