朝一からの稽古。
13時間に及ぶ。
通しを繰り返すという、中々の苛酷な内容。
久々のノリウチ公演だから、まず流れを体に叩き込む。
自分の弱い所をみつけたり、良くなるなという場所を見つけて相談したり。
同じクリエイティブな作業でも、自分の肉体がそこに加わるだけで、色々と変わってくる。
PCに向き合うのとは、明らかに、異質な創作だ。
並列で、別の創作に関わるという事は今までもあったけれど、その差異がとても、気持ちいい。
どちらの良さも悪さもあって、どちらも、保管してくれる何かがある。
肉体感覚というものは、やはり、原点なのだろう。
最後の通しが始まるころ。
通しの途中に、音楽監督から連絡あり。
新しい音楽データが届いたことを知る。
通し中だったけれど、出番がまだ先だから、すぐに返信。
帰宅後に、貼り付け作業にする旨を伝える。
さすがに通しを繰り返した稽古からか、体力的にいつもより疲れを感じる。
時間が長かったという事もある。
帰宅して、一瞬にして、眠りそうになった。
なんとか、コーヒーを温めて、すすりながら、作業を開始する。
いつものように、データをダウンロードして展開する。
まとめてある音楽用フォルダに移動して、シーケンサーで読み込む。
音楽台本をエクセルで開いて、それぞれ支持された箇所の音源を差し替えていく。
音量が変わっていないのに、セリフが聴こえてくる。
声とかぶっていた周波数帯を整理したことをBLOGで知る。
いわゆる、マスタリング作業に近い作業だ。
あれは、音の世界により深く入っての作業だから、耳がとても疲れることを思い出す。
同じ楽曲なのに、それだけで、音の表情が変わっていく。
貼り終えて、明日の準備をするか、まず寝るか一考。
このBLOGを書き終えたら、すぐに眠ることにする。
実は、今、とても眠い。
まぶたが重くて重くて、どうにも出来ない。
芝居をすると、夜、そうなってしまう。
頭の疲れとも、体の疲れとも違う。
感情が動いたことによる疲れがあるのだ。
赤ん坊が泣いた後に、寝るのは、頭と体の疲れだけではないのだろうなぁってよく思う。
芝居なんかやっていない人でも思い当たらないだろうか?
泣いたり、笑ったり、起こったりした後に、急激に眠気が来ることを。
恐らく、感情が肉体を支配するとき、脳内のホルモンは過剰にあふれだしている。
脳の疲れが、実は最も、疲れとして残るのだ。
さっきまで芝居をしていたのに。
夜にはシーケンサーを開いて。
今は、BLOGを書いている。
今更ながらマルチだなぁって思う。
とりあえず、書き出しをする。
明日、監督のPCにある映像と差し替える予定だ。
先日送ったものから尺の変更はないからタイムコードもそのままだ。
生あくびが出たから、PCは立ち上げたまま、明日、書き出しの確認にしよう。
明日も稽古。
やっぱり同じように疲れるであろうことは目に見えているのだ。