酉年の初めに、未というタイトルはない。
でも、これは、ヒツジという意味で書いているわけではない。
ミという意味で書いている。
年明け早々、やけにこの「未」の字がおいらの目についている。
まぁ、偶然と言えば偶然なのだけれど。
こういう偏りというのは、必ず起きることで、それは何かの暗示なのだと思っている。
サイコロは6分の1だけれど、必ず偏りが起きる。
1が連続することもあれば、まったく偶数が出なくなったりもする。
つまり、偶然はあらゆるパターンを含んでいて、その中で偏りが生まれるってことだ。
だから、同じ字がやけに目につくのも偶然だし、同時に何かの暗示かもしれないということだ。
未。
スエだとか、マツだとかとも読める。
でもなんというか、この一文字が、ひょっとしたら今年一年のテーマかもなぁって思っている。
未という字で、どんな言葉を思い浮かべるだろうか?
未踏。未知。未開。
未だ知らぬ、世界のイメージ。
終末、末期。世も末。
何かが一つ終わっていくイメージ。
何かの区切りということだろうか?
そういえば、今月の月末は舞台が待っている。
それに、ずっと先だけれど、今年の年末が、一つの山場になるような占いを読んだりもした。
おみくじも、年末に向かって、吉報が増えるような内容だった。
まぁ、おおかた一度意識してしまったから、どうしても目につくというようなことなのだとも思う。
精々そんなもんだ、たいていの場合は。
ただ、おいらは、そういう偶然のメッセージだけは見落とさないようにしている。
偶然はいつかどこかでつながって、意味が付いてくる。
そんな経験は今までだって何度もあるから。
そして、シンプルに自分の中の指針のようなものがあったほうが、肝心の場面で迷わないで済むからだ。
未来。
イマダがキタル。
これまでと、これからが、変わる。
それがこの年になるのかもしれない。
逆に、未達成という悲しい言葉もあるけれど。
あまり、その方向のイメージはわかないみたいだ。
今日は朝から、セリフの切り出しをずっとやっていた。
途中、何度か休憩を挟むたびに、深呼吸をした。
セリフの切り出しも、残すところ、あと数シーンまで進んだはずだ。
明日は稽古。
編集してから稽古だなと思っていたら。
明日の稽古はもう昼からになるのを失念していた。
確かに、年末最終稽古でそんな話をしていたかもしれない。
そして、おいらはそういわれたら、当然、稽古することを賛成したのだろう。
明日の稽古中に、書き出しを実行して、監督のPCに映像データを一度渡したいなぁと思っている。
今の時点の映像にはなってしまうけれど、通して作品を観ないとわからないことがたくさんあるはずだから。
だから、本当は今日中にラストシーンまで、セリフの切り出しだけはしておきたかった。
まぁ、しょうがない。
明日、編集できないとしても、一応PCは持っていくし、明後日は編集がある。
それをいかに円滑に進められるかってことだ。
そういえば未は十二支の八番目。
八は、末広がりで縁起がいいや。よくできてら。
未は未でも、前代未聞でもいいぞ。
どんなふうに転がっていくか、じっくりと、観察しよう。
おいらは、夢中になって、進むだけだ。
まだ知らぬことが多いということは。
冒険が続いているということなんだ。