年が明けて二日連続になる編集。
監督も編集経験があってもここまでの長編の編集は経験がない。
映像と舞台に違いがあるとすれば、情報量だ。
舞台では細かい表情まで見えない。
小劇場なら見えたりする場合があるかもだけれど、それでもカメラのアップには敵わない。
しかも映像はアングルが固定されているから、見せたいカットを見せられる。
舞台ではセリフで説明しなくてはいけない部分も、映像なら絵で見せることが出来る。
だから、繋いで編集して、全てのシーンが揃った今。
通して観ると、ああ、このセリフは蛇足だなあという部分も出てくる。
言葉は強いから、言葉にしてしまえばかなりのことは説明できてしまう。
けれど、絵があるなら、あえて、このセリフは削ったほうがいいかという部分も出てくるのだ。
もちろん、これは実際に撮影して編集してみないとわからないことだ。
実際の映像を観て、十分に伝えようとしているニュアンスが表現されているかどうかなのだから。
撮影時にもしアングルが違ったら。
編集時にもし繋がらなかったら。
逆を言えば、削ることが出来ない場合も実際には多いはずだ。
むしろ、このアングル、このショットがあったら、ここざっくりカットできたかもなぁなんていう箇所もある。
まぁ、別にカットありきというわけではない。
短くなれば良いというわけでもないからだ。
ただシンプルに気持ち良いテンポを目指して、ここという場面で、間が効果的になる。
さらに言えば、観ていて飽きることがないリズム感を目指しているからだ。
だから、ここは切れるけれど、あえて切らないという部分も出てくる。
あくまでも全体を想定しての、映像の完成だ。
間が当たり前になるよりは、間が違和感になったほうがいい。
間には意味があるのだから、違和感があるほうが正しいのだ。
間がたくさん続けば、違和感がなくなって、間があることが日常になってしまう。
もちろん、そういう映画も多いし、その場合は違う形で違和感を表現するしかない。
小さな違和感は必ず心に引っかかるから、その積み重ねで作品を表現していくのだ。
だから、蛇足になっている部分や、不必要な間を削って、整理している。
今日は短い時間だったけど集中した作業だった。
気になっている箇所の直しをしてから、昨日の続きをしたけれど、20分超進んだ。
尺も、おおよそ2分弱縮まった。
ただ、やはり後半に進むと、カットできる部分がどんどん少なくなってくる。
最初のシーン作りで、もう編集ペースをつかんでいるから、すでに削ってある場合も多いのだ。
全体からの比較でわかる部分以外は、かなり追い込んであると思う。
それでも、恐らく、作品にしていくには、リズム感は作っていくのだろうけれど。
いつも舞台初日を終えてから、監督は、あそこ変えたいというのが出てくる。
実は、それは千秋楽まで続いて、舞台が終わった後に、あそこを変えたかったなんて言っていることもある。
けれど、今回はそれはない。
通して俯瞰で何度だって観て確認できるし、直してから完成なのだ。
・・・もちろん、公開してお客様の反応を見てから、変えたくなるなどはあるかもしれないけれど。
とは言え、それは、監督の責任の範疇内だ。
おいらが気になる箇所もどんどん言っていく。
もう二人だけなのだから、言うしかない。
そうか?このままでいいよ。と言われる場合も何度もある。
それでも、気になったらすべて伝えるようにしている。
このセリフを効果的に聞きたいのに、前後の時間でぼやけているような箇所などもおいらなりに伝える。
結果、直す場合もあるし、直さずにアングルだけ変えてみる場合も出てくる。
それでいい。
そうやって完成度は上がっていくのだと思うから。
正月が空けたのに、すぐに三連休がやってくる。
おいらの中では成人式は1月15日のままなんだけれどね。
今は、世間的には第二週の月曜日だ。
連休中も編集を重ねることになる。
その間に、ラストまで直して、更に書き出して、再度監督に渡せたらいいなぁと思っているけれど。
どこまで進むかなぁ。
帰宅して、直しの結果、置き換えなくてはいけない音声などを修正していく。
その日にやった編集の直しはその日のうちに。
記憶が生々しいうちに、直さないとと思っている。
その流れで、セリフの切り出しも、少しだけ手を付ける。
次の編集日までに、更にセリフの切り出しを進めたいと思っている。
大人数のシーンは時間がかかるけれど、ここから先は少人数のシーンも多いからはかどると思っている。
まぁ、やってみなくちゃわからないけれども。
二日連続ということもあって、わりに精神の摩耗を感じた。
今日は、時間を忘れるほど集中していたというのもあるかもしれない。
何度も色々なアングルで試して、確認するというのを根気強く繰り返した。
クリエイティブな作業に、集中・・・熱中と言った方がいいか?・・・するというのは、本能に直結しているのかもしれない。
初見の人の感覚は中々持てないけれど。
それでも、経験に裏打ちされた計算もあるし、感動してきた体験もある。
それを信じていくしかない。
そして、監督の感性を徹底的に信頼することが一番だ。
監督は、きっと、おいらの前だから中々弱ることはない。
本当は、どこか心配になることもあると思う。
これでいいのかなぁ・・・って不安になることが。
でも、監督が、おいらに、その顔を見せることは、ほとんどない。
18年過ぎた今までだって、ほんの数回しかない。
それは、男の子特有のツッパリっていうやつだ。
本能的に、自分が弱い言葉を口にすることは、ブレることに繋がると理解しているのだ。
まして、おいらは劇団の中では監督に対して、厳しい部分を持っている数少ない一人だ。
だから、簡単に弱気な顔は見せない。
それが、とても良い方向に出ているなぁと思っている。
なぜなら、それが、確定を生んでいっているからだ。
そして、監督が決めていく確定を、おいらはとても信頼しているのだ。
もちろん、そこまですべて、監督もおいらのことを読んでいるのだろうけれど。
この作品。
どんな人が評価してくれるだろう。
どんな人が批判してくるのだろう。
今からそれが楽しみだ。
既に、おいらは、どんな批判も鼻で笑えるぐらい、ブレない作品への自信を持っている。
クラウドファンディングに書いたことだけど。
本当に、この18年の集大成的な作品なのだから。