今年もわざわざ遠めの駅で降りて、去年と同じ神社に向かう。
色々な偶然が重なって、映画の撮影が終わったけれど、その中にこの神社の力が働いたって思うようなことがあった。
去年はクラウドファンディングの真っ最中で、まだ映画化決定もしていなかったけれど。
おいらはクラウドファンディングの達成だけではなくて、映画を世界に持っていきたいと願った。
あれから一年。
去年と同じ道を歩く。
離れた駅から、観光がてら、歩くことにした。
街並みを数えながら、観光客の外国人と多くすれ違う。
神社につくともう昼過ぎなのに列が続いていた。
最後尾について、心を整える。
二礼二拍一礼。
2016年のお礼と、2017年のお願いをする。
去年と同じお神籤をひき、去年と同じ絵馬を書く。
絵馬にはもちろん、セブンガールズの映画の大成功を願った。
ここで買ったお守りは、一年を通しておいらの首からかけられた。
「声はきこえているか」の舞台でも衣装の下に、お守りを付けていた。
映画の中でも、おいらが演じた登場人物のお守りとしてつけている。
そのお守りはお焚きあげに返納して、真新しい同じお守りを買った。
買ってすぐに、また、首からかけた。
寅さんと同じだ。
去年と同じように、神社から歩く。
何か美味しいものを食べようと店を探したけれど、お目当てのお店は全てしまっていた。
結局、何を食べていいのかもわからないまま、スマートフォンの充電が切れたので充電できる喫茶店に入る。
スマフォを覗いてみると、昨日書き出した映画のデータのアップロードが完了していたので、すぐに監督に送った。
次の編集日の連絡と、送ったデータの内容のを知らせる。
監督からすぐに返信が来た。
帰宅して、ドラマを観る。
今朝起きて、今まで、編集作業には手を付けないようにしている。
今日は神頼みの日。一年の始まり。
通常営業の方がらしいかもと思ったけれど。
毎日、ヘッドフォンで、耳も疲れている。
耳を休ませて、また、作業に入るには区切りが良いと思った。
たった一日でも、回復するし、もう一度新鮮に映像を観ることが出来るだろう。
そういえば、初夢は観なかった。
これから観る夢を覚えていたら、それが本当の初夢なんだろうなぁ。
初夢は、無意識からのメッセージだと思っている。
おいらは、神様なんて信じていない。
おいらは、幽霊だって信じていない。
だから、祈りも、呪いも、実はさして重要と思っていない。
信じていないのに、神頼みする。
信じていないのに、おみくじを引く。
そして、一年を通して、お守りを首にかけた。
それは、何というか、自分に対する強い願掛けのようなものだと思っている。
神様なんているわけがないと思いながら。
それでも、自分の内なるものを、刺激できるのは、そういう儀礼的な何かだと思っている。
自分の内側にある大いなる精神の淀みは、深く深く、簡単に刺激できるものではない。
儀式や儀礼は、視覚も嗅覚も聴覚も触覚も、その五感全てを刺激して、一歩ずつ精神の中に浸透するように出来ている。
そして、それは、確固たる自己を形成してくれる。
大事なことは、その儀礼を通過して、自らを浄めていくことだ。
日本の神社は、神様というよりも、とても信じられないような力を発揮したかつての人を祭っている場合が多い。
大国主だって、天照だって、実在した人物ではないかと言われている。
明治神宮は明治天皇だし、神田明神の平将門や、天満宮の菅原道真や、歴史上の人物を神としているのだ。
もちろん、風や雷や山や川などの自然現象を祭っている場合も多いけれど。
おいらが今日行った神社も、祭っているのはかつての学者と言われるような方だ。
とても人間とは思えないほどの働きをしたその人地震を、或いは、その人の力を讃えている。
去年よりも、より深く、その人のことを知ってのお参りだった。
心の底から尊敬して、あやかりたいなぁと思った。
かつて、宗教と学問と芸術は、同じものだった。
数学も理科も国語も歴史も、天文学や化学や政治や医学さえ、お寺や神社や教会で、深められていったのだ。
神がいるとしたら、それは、知性そのものだと思っている。
そういう場所に行くことにはきっと意味がある。
目が覚めたら、編集を再開する。
あと数回で、おいらと監督以外の誰かに見せられる状態まで持っていかなくちゃいけない。
まず一歩、この映画が外に出る。
監督の脳みそから出てきた映画作品が、更に一歩外に出る。
その時、どんな評価をもらえるだろう?
その評価一つで、この映画の行き先が決まってしまう。
音楽監督の心を打たなければ、より素晴らしい音楽がおりてこない。
宣伝プロデューサーの心を打たなければ、より広い世界に広がらない。
プロモーターや、世界の人の心を打たなければ、さらに遠くまでは広がらない。
そして、お客様の心に響かなければ。
おいらは、素晴らしい作品だと信じている。
監督のこの作品を信じているし、実際に感動もしている。
自分の中にある内なるものまで全て動員して、この作品を更に素晴らしいものへと昇華させたい。
ふわりとした気分。
神との交信とは言わないけれど。
自分の中にある無意識層に、手を突っ込んで、掻き混ぜたような気配。
もう一度、神社に頂いた力を、充電させていただいた。
きっと、どこかで、また力を貸していただいたと思う時が来る。
2017年も。
同じ場所から始まった。