2016年12月22日

こだわるときは立ち止まる

編集日。もう何日目の編集日かもわからなくなった。
今日は編集始まって以来だと思う難しい編集だった。
ここでこれが欲しい!という素材がみつからなかったり。
ここで繋ぎたいのに、微妙に動きが合わなかったり。
或いは、ここの間を強調したい!と思ってもうまくいかない。
そういう迷宮に入る日だった。

編集初日のようなスピード感で編集が進んだように思うぐらいだ。
もちろん、もう終盤だから、重要なシーンだというのもある。
届けたいニュアンスの全てを表現したいということもある。
そもそも登場人物が多いシーンということもある。
要するに拘りがあればあるほど、時間がかかる。
結局、今日はこのシーンの途中で終了した。
1日の編集で1シーンというのは初だった。

帰宅して整理だけはしておこうとする。
とにかく、最後に言っていた編集部分だけは整理しておく。
もちろん、これも正解ではない。
一応、最後に言っていたやつにしておいて次回、すぐに見れるようにしているだけだ。
このシーンはやはりまだ終わっていない。

どこかで潔さも必要だ。
ここで終わり!と自分の中で決める日がいずれ来る。
こだわってしまうと、もう、ゴールなんかどこにもない。
どこまでもどこまでも、こだわることが出来る。
ありとあらゆることが出来るのだ。
カット編集だけで、これだけこだわれるのだから、それ以外もやりはじめたら無限のようにも思える。
これでいいのだ!と自分の中で落とし込める。
その瞬間を待つしかない。
もちろん、監督は、ダラダラと決めきれずにこだわり続けるようなタイプでもない。
決めるときは、いや、これで行こう!と、思ってるよりもはっきりと決めることが出来る。
今の段階だから、これが出来るのだ。

ふとタイムコードを観ると、まもなく120分を越えそうな感じだ。
どこかからテンポが落ちているのか。
シナリオを読む限り、ここで120分なわけがない。
全体を見れば、きっと、この辺がかったるいなどなど出てくるだろう。

攻める気持ちと守る気持ちが交錯する。
徹底的に攻めることもできなくはないけれど。
やはり、物語のわかりやすさを維持する守りも最低限必要な作品だ。

編集の繋ぎには、ルールはない。
一応、セオリーはある。
セオリーがあるからこそ、そこを外した時の違和感もでる。

1つのシーンで何時間もかけるのは小さくないストレスがかかるけれど。
どう考えても、ここから先は全て、こういうシーンが続くことになる。
どのシーンもこだわりが必要で、そして、他のシーンよりもたくさんの素材が用意されている。
それはそうだ。
これまでの全てのシーンは、ここからのシーンに辿り着くためにあったのだから。

整理が終わって、少しだけ、音の貼り付けも進めておく。
とにかく、一歩でも前に進むのだ。
仮で作ったタイトル部分も、作りこむ時間が欲しいのだ。

歌の録音についても少し話した。
ブースに入ってのちゃんとしたレコーディングなんて、初体験の女優ばかりだ。
当たり前だ。歌手ではなくて、女優なのだから。
やっぱり、最初だけでも顔を出せるか考えようという話をした。
最初だけでも監督がいるのといないのとでは、精神的にも大きく違うようにも思う。
そのままスタジオで映像編集できるなら・・・しばらくは、滞在できる。
その方向でも調整してみよう。
もちろん、まだまだ未定だけれど。
次の編集しだいだ。

ああ。明日、データづくりをしてくれるんだなぁ。
トオルさんのBLOGを読んで、何とも言えない気持ちになる。
音楽と映像とは言え、同じように、シーケンサーに向かい合っているのが、なんだか、面白い。

2016年も10日を切った。
いつの間にか少しだけ太っていた。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:17| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする