朝から、今、大ヒット中の「君の名は。」のプロデューサー、川村元気さんがテレビに出演していた。
電車男や、告白、悪人と、ヒットメイカーの一人だ。
企画段階から、脚本、撮影、編集、宣伝に至るまで、関与していくのだという。
まるで、おいらが辿ってきた道じゃないかと、面白がってみていたのだけれど・・・。
冒頭の話で驚き始める。
違和感を探しているというコメント。
あれ?
これは、いつもおいらと監督で話していることなんじゃないか・・・?
なんだろう、この感じ。
その上、アメリカのドラマの名をあげて、そのドラマのテンポを考えて、「君の名は。」の冒頭は通常の映画の1.5倍にしようと話したのだという。
実は、その会話も監督とおいらの二人で、山手線の某駅の喫煙所で立ち話した内容そのままだったのだ。
驚くのは、そのアメリカのドラマのタイトルまで同じだったこと。
今、映像のテンポって、もっと速いんじゃないか?という違和感を川村さんも感じていたのか・・・。
ちょっと驚いて、家を出なくちゃいけない時間だったから、続きは録画にしておいた。
・・・まぁ、1.5倍どころじゃないのだけれど・・・
これは、ほんの少しだけだけれど、自信になった。
小さな違和感をキャッチしていくような作業と、常々監督と話しているけれど。
実際に活躍されているプロデューサーも同じようなことを考えている。
それは、たぶん、偶然じゃなくて、きっと他にもいるんだなぁって思う。
旧態依然の何かに、違和感を感じていくタイミングというのは、シンクロしていくのだから。
今日の編集は、この映画の中盤の核になるような部分だ。
登場人物の誰もが抱えているような痛みをすっと前に出すようなシーン。
細かく神経を使いながら、役者の芝居に注目していった。
ちょっと驚いたのは、こういうシーンでは、余り、カット割りを動かさなかったこと。
細かく刻んで、完全な流れを構築することもできたと思う。
でも、どこか不完全な人間的なブレを残すことも、一つの流れになっていく。
もちろん、最低限手を加えていくことはしたけれど、最低限だった。
そして、逆にその方が強い印象を残すだろうなって、感じた。
編集が終わり、軽く話す。
前述の話をしたら、へえと監督も驚いていた。
じゃあ、やられちゃってるじゃん。なんて、監督は言う。
いやいや、やられてはないですよと言う。
だからと言って、その違和感をどうやって表現していくのかの方法論がまるで違うのだ。
そこまで同じだったら、ちょっと気持ち悪くなる。
それにそもそも「君の名は。」とは、余りにも違いすぎるじゃないか。
スタートの規模も知名度も、違うのだから。
そもそも、アニメーションだ。
セブンガールズが持っているのは、舞台上演で感じた、お客様の反応だけなのだ。
あとは、なんにも持っていない。
繰り返し演じてきた作品だからこそ、作品の肝が編集前から分かっている。
どこか大事で、何がテーマなのかぶれることもない。
これが、この映画の最大の武器だ。
そんなもの、社会的に見たら何の武器にもならないかもしれないけれど。
それしか持っていないのだから仕方がない。
でも、おいらには、これ以上ない宝物のようなものに思えている。
きっと、どこかが同じで、どこかが違う。
同じ場所は、観てくださるお客様の視点を強く意識しているのことなのだと思う。
ヒットメイカーは当たる映画を作らなくてはいけない。
小劇場のおいらたちは、目の前のお客様への責任がある。
その二つが、同じようなことを口にする。
なかなか、面白いシンクロじゃないかって思った。
帰宅してから録画した続きを見る。
集団無意識の話までしはじめて、苦笑した。
いつか、このブログで書いたようなことまで話している。
監督が話すようなこと、おいらが話すようなこと、色々重なってる。
重なりながらも、やっぱり、少しずつ違うんだなぁと思った。
十億二十億なんて景気の良い話をしていたけれど。
そういうヒットメイカーが見たら、この企画はどんな企画に映るだろう。
この映画は、どんな映画に見えるのだろう。
美術監督の杉本さんは川村さんの映画の多くで美術を担当しているけれど。
クリエイター同士の会話は、どんなふうに展開するだろう。
きっと、日本中に、世界中に、シンクロしているクリエイターたちがいる。
今はまだ監督と二人だけで、その感覚を信じて進んでいる。
これでいい。
強く自分に言い聞かせて進むしかない。
さあ、明日も編集だ。