2016年12月05日

稽古場で二人で編集をしている

稽古がはじまる前に監督と待ち合わせ。
稽古場に入り、昨日の編集の続き。
まずは、昨日の編集を観て、直していく。
昨日はかなり進んだので、その作業も長くかかる。
けれど、これも大事な作業。
熱くなって作業している時のモノと、翌日冷静に見た時の感覚では、全く違うからだ。
違うテンションで2度確認することは大事なことだ。

確認作業が終わるなり一服入れてから編集を進める。
先週は3日編集に入り、連日になっている。
おかげで、編集作業にも慣れてきて、こうして欲しいと言われてすぐに対応できるようになってきている。
本当は、今日の編集で60分まで行きたいなぁと思っていたけれど。
56分ぐらいになる。
まずまずといったところなんだろうか。
この最初の編集でラストシーンまで行ったときに、実際に、どのぐらいの尺になっているか。
1ページ1分で進んできたけれど、ここにきて、少しそのペースをオーヴァーしている。
表現することが多いからなのか、当初の時間間隔からずれてきているのかはわからない。
そればっかりは、最後まで行ってから、頭から見てになる。
全体感をチェックしないとわからないことも多いのだ。

本来、シナリオは、冊子になっている。
1ページと言えば、冊子の片側になる。本と同じだ。
見開きで2ページ。
でも、今回の作品は、冊子にしていないから、通常のシナリオの2ページ分が1ページになる。
その上、通常の映画であれば1ページ2分で計算するという。
つまり、通常の映画の4分の情報が1分に入っていることになる。
これは、前にも書いたことだけれど。
でも、逆を言えば、8時間の映画と変わらないだけの編集時間がかかるということかもしれない。
かなりスピードは上がってきているけれど、編集点がとても多い。
それこそ、アメリカのテレビドラマや、ハリウッドのように、瞬間的なカットだってある。
リアルタイムなスイッチングでも、専門のハードウェアでもなく、PCでマウス作業。
その上、複数人数でのマルチエディットでもない。
この分量、並べるだけでも大変な作業なのに。
それでも、間もなく編集開始から60分が見えてきたことは勇気になる。
少しずつの積み重ねだけれど、ここまで来た。
まだまだやることはあるけれど、確実に前進していることもまた確かだ。

ぼちぼち、メンバーがそろってきたから作業を終える。
稽古が待っている。
ああ、今日はあと2時間ぐらいやりたかったなぁという思いもあるけれど。
なぜか、今日は、想像以上に疲れていた。

稽古が終わり、週に一度の酒を入れる。
稽古場の鍵を開けてくれたメンバーは、来週もあるならと鍵を渡しに来た。
3時間以上、何もすることが出来ないのはつらいという。
おいらには、その感覚がわからない。
監督の音楽のレコーディングでも、スタジオでもミックスでも。
なんにもやることがなくても、何時間でもそれを見学してきた。
まぁ、あんまり見てほしいとも思わないけれど。
おいらなら、ずっと遠くから見てるけどなぁ。
でも、そういうものなんだとも思う。それが普通なのかもしれない。
見方によっては、ただの作業なのだから。

帰宅して、今日の編集作業の整理をした。
どうしても、音声データがずれたり、切ってないままの部分が残っている。
とにかく、映像として確認できるだけの状態にしてあるのだ。
更にシーケンスもトラック数が増えているから、ABトラックにまとめていく。
ガイド音声のずれも、修正を加えていく。
すっかり、この整理や直しの作業にも慣れてきた。
監督がいなくても出来ることは、監督がいない時間に全てやっておきたい。

監督は、恐らく最後まで編集してから、もう一度頭からチェックする。
そのあとからしか、他のスタッフさんにも見せたくないのだろうなぁと思う。
もちろん、劇団員にももう気楽に見せられるような長さではなくなった。
いつかのように、観たい!と言われても、もう、ごめんというしかできない。
つまり、もう監督とエディターしか、この映像は確認できない日々になるということだ。

果たして今週は何回ぐらい編集できるだろうか?
予定しているスケジュールでいえば、1~2週間押しているように思う。
年内に形にしてまとめたいという思いがある。
だからこそ、今週来週の20日前にどこまで行けるかが、その後の流れを明らかにすると思う。

もちろん、他のやり方だってある。
ある程度、やっておいて、監督が直すというのが一番早いのもわかっている。
でも、それはあえて、やらないでいる。
おいらは、監督の思う通りの映像にしたい。
おいらが選んで並べて、OKが出たら、それはもう、監督のチョイスが入らなくなる。
監督がこうなるといいんだけどなぁと言った時に、応えられる準備だけはするけれど。

ある意味では、おいらは、監督にひどく強いている。
監督の持てる力を、感覚を、100%以上出してくれるように、追い込んでいると言ってもいい。
意外に、監督の周りにはそういう人がいない。
そして、監督は、人からの提案を、基本的に受け入れる。
全然違ったり、意味が変わったりしない以上は、どんな提案でも引き受けて、その上で自分の物にもできる人だ。
結果的に、ここはお任せするよという部分を、いくらでも持てるような人なのだ。
だから、様々な仕事で、監督の周りには優秀なクリエイターが集まる。
そして、監督は、信頼して任せるのだ。
でも、おいらだけは違う。
劇団の制作も含めて、任せようとしても、お願いする。
おいらは、常に、監督の120%を要求し続けている。
だから、監督にとって、小野寺隆一は、ひどく疲れる存在のはずだ。
18年間、常に、それを要求してきたのだから。

舞台なら、演出の仕事を。
映画なら、監督の仕事を。
そこに集中できるように他の細かいことは全部引き受けてもいい。
その代わり、その仕事だけは、それでいいんですか?と、何度も繰り返し確認をしてきた。
・・・酷い奴だなぁと思う。

ただ。
この監督の持てる感覚が映画になった時。
映像感覚が結実した時。
それは、新しい何かが生まれる時だと、おいらは信じているだけだ。
酷いし、つらいだろうし、大変だけど、それでも、強いる。
そして、その手助けを全力でしていく。
全て、いいですね!とは、絶対に言わない。
これ、良くないですねも、もう18年間、言い続けてきた。

そして、近くやってくるであろう日が待ち遠しい。
よし、これをまず、プロデューサーに持っていこう。
そんな粗編集版の完成の日だ。

2016年のうちに。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:59| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする