2016年12月19日

響く歌声

四日連続の編集。
今日は稽古場に。
いつもは、稽古場に二人きりなのがメンバーが集まる。
次回公演のDM作成があるからだ。
いつもは、耳に負担がかかるから、スピーカー出力だけれど。
思ったよりも、賑やかだから、ヘッドフォンでの編集になる。

昨日から終盤に突入した。
物語が大きく動き出している。
やはり数時間とは言え、編集は進む。
確実に、ここから先を目指している。

編集作業を止めて、稽古。
やはり中々、役者モードに切り替えが難しい。
一つの作品世界の中に没入してから、もう一つの作品世界の住人になることに体が違和感を感じる。
大丈夫。もう少し。
まずは最後まで編集が済んでから、もう一度、全体を見る。
その段階になれば、きっと、集中できる段階がやってくる。

稽古終盤。
急きょ、歌の練習に入る。
実は来週、スタジオにて、歌録りを予定している。
今日、一応、その段取りや集合時間まで詰めていったのだけれど。
エンジニアのKORNさんから、10時間見込みと届いてそれを知らせると、皆、すごくびっくりしていた。
考えてみれば、スタジオでのRECの経験がある女優なんて何人もいないのだ。
同じ曲とは言え、アレンジの違う形で、2曲分をうたう。
それを10人の女優が繰り返すのだから、当然、10時間はかかるだろう。
通常、1曲のRECでも、歌録りは、1日かかることもよくあることだ。
でも、経験がないから、まさかそんなにかかると思っていなかったみたいだ。
1分の歌を10回歌っても10分なのに、なぜ、そんなに時間がかかるのか・・・。
言われてみれば、劇場で、舞台用にさっとRECしたこともあるけれど、それだって2時間で終わる。
ほぼ経験がないのだから、驚くのも無理はなかった。

ブースに入って、ヘッドフォンをして、マイクに向かって一人ずつ歌う。
同じ曲なのに2曲は、リズムが違う。
ユニゾンで全員が同じメロディで歌うから、どのぐらい伸ばすかだけでも、統一させていくことになる。
それも、舞台で生で歌うバックミュージックに、なじませるためのRECではない。
映画になれば、当然、製品化されるという想定もしなくてはいけない。
サントラ発売なんて、早々ないのだろうけれど、とは言え、DVDになれば、繰り返し聴けるようになるのだ。
だとすれば、自然、製品クオリティのRECになる。

だから、ちょっと時間あるし、歌のレッスンしたほうがいいんじゃないですか?となった。
そして、その歌の練習をしておいて、結果的にとっても良かったと思う。
それぞれが、舞台のたびに何度も歌ってきた曲だけど、メロディライン一つとっても、ズレがあった。
或いは、ハネて歌う・・・ちょっとスイングする・・・そんなことを言われてもすぐにできない。
歌手ではないのだ。
だから、監督がデモで歌って、それを確認して歌うということも出来た。

編集の進行次第では、RECにも顔を出せればいいのですが・・・と話はしている。
もちろん、現段階の編集の状況を見る限り、相当厳しいのだけれど。
もし行けるなら、ガイドぐらいは歌うと監督も言っている。
ディレクションは音楽監督に任せる予定だけれど、様子ぐらい本当は覗きに行きたいのだ。
とりあえず、現時点での予定は2回編集に入れる。
その2回で、どこまで進むかだけれど。
一応、暗黙の了解で、頑張ろうとは思っている。

歌の入っていないデモで、映像の編集をしている。
だから、娼婦たちの歌を聞いて、もう一度、イメージが膨らんだ。
どんな楽器よりも、声の持つ響きには勝てないなぁと改めて思う。
人という骨格をすり抜けた音は、当然、人の体にもっとも響く。
その豊かな情報量の多さに、歌の持つ力を知る。
セブンガールズとは、この歌なのだ。
もっとも重要な作品の鍵なのだ。

ついに音素材の作業にまで入ってきたことになる。
撮影データ、録音データに続いて、劇伴と効果音が入ってくる。
編集の材料が、また増えていくのだ。
すごいなぁ。
すごいことだなぁ。
ありとあらゆる材料が、一つの作品に集まってくるんだ。

まだ少し、耳の奥に、あの歌が響いている。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:35| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月18日

そして終盤へ。

朝からコワーキングスペースに向かう。
連日の編集に、脳が披露しているのを感じて甘いものを口にする。
監督が来るまでに映像データに音声データが乗っていなかったシーンに音を当てておく。
ガイド音声がないと編集にならないから、やっておこうと思ったけれど、昨晩間に合わなかった。
監督合流と同時に、編集がはじまる。

映画の中で起きる事件。
ここから、起承転結の「転」にシフトする。
物語の「それまで」の関係性が、全て変化し変わっていくのだ。
長い「承」が終わったことに感慨を覚える暇もなく、どんどん編集に突入していく。
確実に大きく物語が動いている。
シナリオのページ数でいえば、既に3分の2を経過した。

編集のテンポも確実に上がる。
素材の意図を見抜くのも当初より早くなっているし、EDITも早くなっている。
もちろん、繋ぎで悩むことはあるけれど、アイデアもすぐに出てくる。
脳も、編集モードになっているようで、普段から無意識に映像のつなぎ方を想定しているのだ。

すごい映像も出てくる。
普通の現場でいえば、確実に長回しと言われるような映像だ。
クレーンを駆使して、ローからパンしてと、どんどん動いて、一つの映像にまとめ上げている。
これ、このまま使いたいですね・・・なんて思うような映像。
そして、動的な映像も出てくる。
それはもう、すごい臨場感で、今までの映像と全然違う。
自然、編集方法も違ってきて、短くテンポを気にして繋いでいく。
これを大画面で見たら、どれだけ迫力が出るだろう。
スピード感あふれる編集になっていく。

編集をしていると全てのシーンがつながっていることが良くわかる。
別のシーンでも前のシーンに掛かっている。
だから、芝居が繋がっていないと成立しなくなる。
線になっているかいないか。
編集で、繋げる場合もあるし、そのまま芝居に任せる場合もある。
着地点を持っているのか、次のシーン、前のシーンを気にしているのか。
俳優にとって、どれほど大事なことか、編集をしているだけでよくわかる。

なんとなくだけれど、編集後のタイムも想定できそうだ。
恐らく、粗編集完成後で2時間20分前後か。
ただ、そのあとに、監督はソリッドにしたいようだから、かなり削れていくだろう。
やっぱこのセリフいらない。ここカットでいいや。
粗編集の時点ですでに出ているのだから、仕上げ段階ではもっと出てくる。
言葉で説明しているセリフ部分も、表情一発の方が説得力がある場合がある。
そうなったら、もう、セリフ部分なんて切ったほうが、結果的に良くなるのだ。

長い時間取り組んだだけあって、今日は大きく進んだ。
物語の転換点を越えたことで、編集に勢いがついてきたこともある。
ここから先は、それぞれの出演者のラストシーンがやってくる。

帰り道、監督が言った。
・・・結構、俺たち、頑張ってるよなぁ。
監督だって、長編の編集を主導することなんて初めてなのだ。
例え短時間でも編集をした日は、すごく疲れている。
五感のほとんどを集中させて、更に、様々なアイデアを出しながらの作業だ。
精神の摩耗は当然ある。
残念ながら、この疲れや頑張りは、中々、理解されないですねなんて笑いながら話す。

コワーキングスペースで、VR技術に触れる。
凄い未来がやってきているものだ。
あの世界の中で撮影だってできるのだ。
アニメーションの世界なんかは、あっという間に変わってしまうかもしれない。
撮影の練習をヴァーチャルの中ですることだって可能になっていっている。

ノートPCで、モバイルなスタジオなんて、かなり先進的だなぁとも思うけれど。
デジタルエフェクトなどを使っていない、いわゆるアナログなカット編集のみで進めている。
そこには、監督の観念が一つ一つ入っている。
タイトルやエンドロール以外で、デジタルエフェクトが最終的に入るかはわからない。
けれど、この粗編集では可能な限り、エフェクトもフェーディングすら使わないカット編集で進もうと話す。
映像技術を見せるのではなく、物語や芝居を見せるのだから。
同じ場所でVR技術なんて触っているから、少しそのギャップに苦笑した。

明日の編集はどこまで進むだろう。
なんとなく、ここまでは行くなと思っている場所はある。

ゴールの影ぐらいは見えてきた。

帰り道。
監督と話したように。
今日も脳内がシュワシュワしていた。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:03| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月17日

シンクロニティ センス

朝から、今、大ヒット中の「君の名は。」のプロデューサー、川村元気さんがテレビに出演していた。
電車男や、告白、悪人と、ヒットメイカーの一人だ。
企画段階から、脚本、撮影、編集、宣伝に至るまで、関与していくのだという。
まるで、おいらが辿ってきた道じゃないかと、面白がってみていたのだけれど・・・。
冒頭の話で驚き始める。

違和感を探しているというコメント。
あれ?
これは、いつもおいらと監督で話していることなんじゃないか・・・?
なんだろう、この感じ。
その上、アメリカのドラマの名をあげて、そのドラマのテンポを考えて、「君の名は。」の冒頭は通常の映画の1.5倍にしようと話したのだという。
実は、その会話も監督とおいらの二人で、山手線の某駅の喫煙所で立ち話した内容そのままだったのだ。
驚くのは、そのアメリカのドラマのタイトルまで同じだったこと。
今、映像のテンポって、もっと速いんじゃないか?という違和感を川村さんも感じていたのか・・・。
ちょっと驚いて、家を出なくちゃいけない時間だったから、続きは録画にしておいた。

・・・まぁ、1.5倍どころじゃないのだけれど・・・

これは、ほんの少しだけだけれど、自信になった。
小さな違和感をキャッチしていくような作業と、常々監督と話しているけれど。
実際に活躍されているプロデューサーも同じようなことを考えている。
それは、たぶん、偶然じゃなくて、きっと他にもいるんだなぁって思う。
旧態依然の何かに、違和感を感じていくタイミングというのは、シンクロしていくのだから。

今日の編集は、この映画の中盤の核になるような部分だ。
登場人物の誰もが抱えているような痛みをすっと前に出すようなシーン。
細かく神経を使いながら、役者の芝居に注目していった。
ちょっと驚いたのは、こういうシーンでは、余り、カット割りを動かさなかったこと。
細かく刻んで、完全な流れを構築することもできたと思う。
でも、どこか不完全な人間的なブレを残すことも、一つの流れになっていく。
もちろん、最低限手を加えていくことはしたけれど、最低限だった。
そして、逆にその方が強い印象を残すだろうなって、感じた。

編集が終わり、軽く話す。
前述の話をしたら、へえと監督も驚いていた。
じゃあ、やられちゃってるじゃん。なんて、監督は言う。
いやいや、やられてはないですよと言う。
だからと言って、その違和感をどうやって表現していくのかの方法論がまるで違うのだ。
そこまで同じだったら、ちょっと気持ち悪くなる。
それにそもそも「君の名は。」とは、余りにも違いすぎるじゃないか。
スタートの規模も知名度も、違うのだから。
そもそも、アニメーションだ。

セブンガールズが持っているのは、舞台上演で感じた、お客様の反応だけなのだ。
あとは、なんにも持っていない。
繰り返し演じてきた作品だからこそ、作品の肝が編集前から分かっている。
どこか大事で、何がテーマなのかぶれることもない。
これが、この映画の最大の武器だ。
そんなもの、社会的に見たら何の武器にもならないかもしれないけれど。
それしか持っていないのだから仕方がない。
でも、おいらには、これ以上ない宝物のようなものに思えている。

きっと、どこかが同じで、どこかが違う。
同じ場所は、観てくださるお客様の視点を強く意識しているのことなのだと思う。
ヒットメイカーは当たる映画を作らなくてはいけない。
小劇場のおいらたちは、目の前のお客様への責任がある。
その二つが、同じようなことを口にする。
なかなか、面白いシンクロじゃないかって思った。

帰宅してから録画した続きを見る。
集団無意識の話までしはじめて、苦笑した。
いつか、このブログで書いたようなことまで話している。
監督が話すようなこと、おいらが話すようなこと、色々重なってる。
重なりながらも、やっぱり、少しずつ違うんだなぁと思った。

十億二十億なんて景気の良い話をしていたけれど。
そういうヒットメイカーが見たら、この企画はどんな企画に映るだろう。
この映画は、どんな映画に見えるのだろう。
美術監督の杉本さんは川村さんの映画の多くで美術を担当しているけれど。
クリエイター同士の会話は、どんなふうに展開するだろう。

きっと、日本中に、世界中に、シンクロしているクリエイターたちがいる。
今はまだ監督と二人だけで、その感覚を信じて進んでいる。
これでいい。
強く自分に言い聞かせて進むしかない。

さあ、明日も編集だ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:22| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする