2016年12月28日

誰も見ていない

午前中から編集に入る。
前回の直しを終えて、いよいよ、クライマックスに突入。
14時過ぎに音楽監督が顔を出してくれるかもとのことでそこまで集中。
一つ、集中が途切れて、時計を見ると2時間以上経過していて、一服しようと外に出ると。
そこに音楽監督がちょうど到着していた。
集中しすぎていて、携帯への連絡に全く気付いていなかったのだ。

そのまま休憩場所の公園に移動する。
先日のレコーディングの話や、気になっている箇所の話をする。
一服後、音楽監督の希望と、だとすれば・・・の監督のアイデアが矢継ぎ早に。
その場で、どんどんEDITしていく。
二人の頭の中で出てくるアイデアと、おいらの作業が全然オッつかない。
映像クリップを大胆に動かして、結果、ずれたりもする。
え?なんで、こうなってるの?と聞かれても、中々、説明が難しい。
なぜなら、すべて作業中だから。
その作業中の映像も全て、モニタには出てしまう。
そして、作業中の映像を観ながら、そうじゃないそうじゃないと指摘が来る。
指がつるわ!!とツッコミたい衝動を抑えつつ、間に合わないおいらが悪い。
エディターがやれることは、要望に即座に応えること。
二人でリズムの話を始めた隙にサササと作業をしていると、でも会話を止めて映像を観てしまう。
それでも、なんとかかんとか、三人で課題だったシーンをまとめていった。
もちろん、そこでは完成しない。
デモ音源を、本物の音に差し替えて、本物のリズムに合わせて、クリップの作成がある。
全てが交わった時に、いつものテンポのシーンになれば、いいなぁ・・・。

課題のシーンがまとまったから、一服に行く。
その間に、音楽監督に編集仕立ての後半のシーンを観ておいてもらう。
そこは、舞台でも音楽が流れていた個所だから、いまのうちにイメージだけでも伝われば。
粗編集後の、尺の固まった映像を渡してからが、音楽の仕事の開始になるけれど。
それは出来上がった曲の当て込みなわけで、その前に作曲という作業がある。
すでに20曲以上作曲しているのを聞いているから必要ないと言えば必要ないけれど。
映像を観て、想像とのギャップに、別の音源を用意する可能性もあると思っていた。
一服から戻ると、監督指示で、ここも見せておけば・・・というシーンをいくつか。
あ、ここ、こうなんだ!というシーンもチラホラ。
ああ、ここ、いいシーンだなぁ。舞台では出来ないなぁなんていうシーンも。
あそこは、舞台で音がなかったけど、つけたくなった。
そんな言葉も落ちてきた。
それだけで、今日、音楽監督が来てくださったことは大きな意味があるとおいらは思った。
実際、音楽が組みあがってから、編集の直しをする可能性だってある。
行って戻って、渡して帰って。
その繰り返しで、映画における音楽効果が、何倍にもなっていくだろう。

編集を再開する。
音楽監督はただ見ているだけ。
ちょっとそれが心配だったけれど、意外に、すぐに帰るわけでもなく作業を観ていた。
おいらは、実はそういう作業を後ろからずっと観ているのが大好きなのだけれど。
最近、劇団員の何人かと話したら、観ていられない人の方が多いと知ったばかりだ。
何をやってるかわからないし、出来上がりを観れたら、その途中経過はわからないから良いのだという。
おいらは、その逆で、実際に並べ替えたり、移動したり切り刻んだりしていく作業に、意思を観てしまう。
監督が何を見せたいか。監督がどんな違和感を気にしているのか。
そういうのが楽しくて、ただただ後ろで見学してしまう。
監督とトオルさんとエンジニアでレコーディングをしていた時も何度も何度も後ろから見ていた。
何かを言うわけでもなく、ただ観ていたのだけど、ずっと楽しくてドキドキしていた。
でも、それはそんなにたくさんの人が共有できることじゃないと、ようやく最近知ったのだ。
ふと、音楽監督を観たら、モニタを凝視していた。
トオルさんは、自分の出来ることがないただ観ているだけの編集同伴だったけれど。
やっぱり、エディットしていく、変化していくダイナミックな変化を、観ているのがわかった。
もちろん、それが楽しいかどうかまでは、本心はわからないけれど。
クリエイティブな・・・創造的な時間を共有してくれていることだけはとても伝わった。

音楽監督が帰り、編集を詰めていったところでタイムアップ。
時間的な余裕はあったけれど、監督がそのあと用事もあるし、夜になる前に切り上げた。
残すところ、クライマックスからラストシーンのみ。
そこまで頑張れば今日やれただろうとは思う。
でも、今日は今日で、大きな進展があった。
少なくても、監督と音楽監督が、映像を目の前にして、簡単にでも話が出来たのだ。
頭の中にあったイメージがついに統合されたのだ。
そこから起こる化学変化をおいらは何度も目にしてきている。
だから、今日、最後まで無理に進むよりも、きっとずっと有意義な進展をしたなぁと感じていた。
これでいいのだ。

帰宅して、音声の貼り付けの続き。
明日の編集までに、貼り付けだけは最後まで進めて、切り出しはそのあとに出来たらと思っていた。

ヘッドフォンをつけたまま、だらりと眠っていた。
ワイヤレスマウスも握りしめたままだったから、変なところをクリックしてやしないか心配だった。

あと少し。
この年末に、映像がまとまっていく。

明日、クライマックスだけになるのか。
ラストシーンまで一気に行くのか。
それはもちろん、やってみてだ。

そう。
まだ、この物語を通しで、誰も見ていないのだ。
それがついに出来るようになるのだ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 04:40| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月27日

ムシロココカラ

最終稽古も終わりクリスマスも特に何もなく編集で過ぎた。
クリスマスを越えれば1年は一週間を切る。
大晦日も正月も目の前だ。
年内にどこまで編集で追い込めるのか。
どんどん進んでいるけれど、ここからが、クリエイティブな作業になっていく。

日がな一日中、セリフの切り出しをしていた。
録音データも面白い。
それがガンマイクなのかピンマイクなのか、エアなのかまで、もうなんとなくわかるようになった。
ガンマイクで追い切れていないセリフもいくつか出てきているけれど、持ち上げれば何とかなるのかなぁ。
とは言え、監督が納得いかなければ、アフレコもどんどん出てくる。
アフレコについては、もうKORNさんにお願いをしてある。
ピンマイクも衣擦れで、使えないセリフが出てくるだろうと予測しているのだけれど。
意外に、簡単なノイズリダクションで行けそうなセリフばかりで今のところは安心だ。

明日の編集前にここまでやりたいと思っていたことの3分の2ぐらいしか進まなかった。
音声データの貼り付け自体はそれほど大変じゃなくなったんだけど、整音しやすいように整理するのが意外に大変。
もちろん、貼り付けるだけにして、KORNさんに渡しちゃってもいいかもなとも思っているけれど。
ただ、これからの編集作業で、なるべくクリアな音声にしておきたい。
その方がより、クリエイティブな編集が可能なはずだからだ。
カットごと変えたら、そこはやり直しになっちゃうけどさ。
別にそんなことぐらいなんてことはない。

音楽監督の吉田トオルさんが歌録りのレポートをBLOGにしていた。
なんというか、そのクリエイティブな内容に、おいらはドキドキする。
監督、トオルさん、KORNさん、3人と、クリエイティブな作業をするのがおいらはたまらなくドキドキする。
次々にアイデアが沸いて、ほんの少しの違和感も見逃さない。
いつだったか、稽古場で舞台の通し稽古を観ていたら、落雷があった。
そしたら、そのままそのシーンは落雷だ!と、曲を創ってきたことがある。
なんというか、そういう偶然もたくさん重なって、創作活動になっていく。

セブンガールズの舞台作品では、毎公演、ここのタイミング!という場面がある。
つまり、音を切り、音を出すタイミングが、非常に微妙なシーンだ。
そこの編集は多分、明日やることになると思っているのだけれど。
そんな明日、都合が合えば、音楽監督が顔を出すとのこと。
その時、どこまで編集が進んでいるのかはまったくわからないけれど。
恐らく、映像のイメージは更に広がり、あるいは深まっていく。
作品は、縦にも横にも、奥行きにも広がっていくのだ。

最初は、文学だ。
戯曲と呼ばれる文学。
それが、シナリオであったり、上演台本であったりする。
文字が俳優の肉体を通って、芝居になっていく。
その芝居に、演出が入っていく。
より、芝居が面白くなるように。
そして出来上がった芝居を、照明効果が広げて、音楽が深めていく。
文字だったものが、立体になり、広がっていく。
お客様は出来上がった作品しか知ることは出来ないけれど。
作品が出来るまでの過程には、多くの、本当にたくさんの、創作が重なっていくのだ。

同じセリフでも、別の俳優が口にすれば違う芝居になる。
同じように、同じ音楽でも、全く変わってしまう。
つまりは、創作という表現活動は、全てが個人に由来しているということだ。
だから、そもそも個性派俳優なんて言葉はおかしい。
全ての俳優は、いや、全ての人は、個性的なのだ。
作品は、一つのものだけれど、たくさんの個性が集まって、複雑に組重なって出来上がるのだ。

さて。
明日はラストシーンまで編集が進むのだろうか?
やってみなくちゃわからないけれど。
シナリオのページ的にも、ノリ的にも、今日までの慣れ的にも。
なんとなく、ラストまで行っちゃうんじゃないかという予感がしている。
行ったところで、そこからなんだけどさ。
編集なんて、ここで終わろうというまでは続くから。

明日の準備だけしておこう。
それから、睡眠をとっておかないとだ。

むしろ、ここからなのだ。
創作と呼べる作業は。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 03:41| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月26日

稽古納め

録音組がRECを始めたころ、監督と二人で編集が始まった。
録音組の様子が気になりつつも、編集も佳境を迎えている。
人によっては起承転結の「結」と言ってもいいシーン。
おいらの中では、映画全体では「転」の終わりだと思っているシーンまで一気に進んだ。
残すところ「結」だけになったのである。

編集中、監督の判断もとても早くなっている。
ここは、これ。ここはこう。こんな映像なかったか?
あっという間に指示が出て、どんどん並べ替えていく。
編集中に来た劇団員に言われたけれど、二人ともとても集中していて話しかけられなかったらしい。
自分たちではそんなつもりはないのだけれど、そういう状況に見えるのかもしれない。
おいらのPCの画面をのぞき込んで、作業を見てみたけれど、作業内容なんて何もわからなかったらしい。
そんなものかもしれない。

編集を一区切りさせて、年内最終稽古に入る。
とは言え、録音組がいないから、人数は限られている。
それぞれのスポットで、練習できる個所を見つけては、色々、やってみるという稽古をした。
これが、意外とはまって、面白い稽古になった。
うちの劇団の原点は、実はこういう稽古なんだよなと思う。
本番中に、喫煙所や楽屋で、あそこのリアクションどうする?なんて言って、ネタ出しをする。
楽屋で、爆笑をとると、もうそのまんま舞台上でやっちゃう。
これ、銀河系レベルの爆笑だろ!なんて言って、そのまま舞台でやったことが何度あるか。
どうやったら面白いのか、何がはまるのか、皆でアイデアを出し合っていく。
あれは、一見、遊んでいるように見えるのだろうけれど、実はとてもクリエイティブだ。
全員が、それをイメージして、それの何が面白いのか想像しながら、チャレンジしているのだから。
なんというか、人数が少ないからこそできる、そして、改めて発見のある稽古だった。
もちろん、それを全て、一人で家で出来れば一番いいのだけれど。
ネタ出しのような、イメージの膨らみ方は、団体しか持たない強い強い武器だ。
そして、イメージはそれぞれが持ち帰って、更に熟成していくのだ。

なんだか、頭の中がぐわんとしながら、飲み屋に向かう。
年内最後だからと、いつもとは少しだけメンツも変わる。
録音組の一部も合流して、酒を飲む。
録音の様子を聞き、編集の段階を聞かれ、今日の稽古を話す。
その全てが、つまりは、劇表現の一部なのが面白い。

そのどれも、社会的に見れば、なんの貢献にもならないのかもしれない。
けれど、それは、本当にそうなのだろうか?
仕事をしていれば社会的貢献なのだと考える方が本当は危ういのではないかと、ふと、思う。
そんなに単純な仕組みではないし、意味がないと思えるようなところに、大事な何かが落ちているものだ。
編集という、ひとつの世界観を構築する作業をしていると、何度も思う。
一見、関係ないようなことこそ、世界を構築しているのだと何度も何度も確信するのだ。

帰宅して、PCを開いたところでギブアップ。
いつの間にか眠っていた。
夜中に目覚めて、布団にもぐる。
稽古は納めても、編集は続くのだ。

さあ。
このBLOGを更新したら、音の整理だ。
その前に、熱いコーヒーでも淹れよう。
今日は、監督が撮影監督と会うと言っていたけれど。
どんな話をするかなぁ。
まぁ、くだらないどうでもいい話をして、笑ってくれるだけでもおいらはいいのだけれど。
何か面白い話が生まれるかもしれないなぁとも思う。
明日の朝からの編集の活力になったらそれが一番いいなぁ。

昨日のRECデータのミックスが終わるのは、もうちょっと先かな?
なんせ、仕事が早い二人だから、今日来てもおかしくないけれど。
そこはじっくりとやってくれているような気もしている。

ささ。
先に進もう。
コーヒーを片手に。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 09:30| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする