2016年11月21日

編集中でも稽古日は来る

稽古だった。
稽古場にモバイルバッグを持ち込む。
稽古前に少し時間があるかもしれないし、たまたま早く終わることもあり得る。
それなら、監督もいるのだから編集を少しでも進められる。
仮に、出来なくても、前日までの編集の直した部分の確認ぐらいは出来る。

少ない時間は有効に。
かつ、作業効率を高めていくことで、よりクリエイティブになっていく。
仮に何も作業できなかったとしても、作業できる空き時間が生まれて公開する何倍も良い。

せっかく、稽古場に端末があるから、撮影中のスチールを皆に見せる。
・・・とは言え、2500枚もあるから、全部は不可能。
仕込み~リハの写真は飛ばして、撮影初日と二日目の写真を皆で見た。
いちいち、写真に突っ込みが入る。
写真を見ただけで、ちょっとした大騒ぎだ。
編集の終わった映像を見たら、どうなっちゃうんだろう?
まったくもって賑やかな連中だ。
三日目以降は時間もなかった。
来週以降に時間があるとも思えず、このまま見れないかもなぁ・・・。

編集の直しを入れた部分まで監督に見せられる話をすると、役者の一人が見たいと言う。
そう、本来、役者が編集中の映像を観ることなんか、絶対にありえない。
撮影が終われば、一号試写や、よくてもアフレコまで、映像の確認は出来ない。
それが出来るという非常に珍しい機会でもある。
もちろん、まだ色の調整も、音楽も、効果音も、整音もしていない編集状態だ。
それでも、やっぱり勉強にはなる。
いいよぉ~。どうせ、後半とか監督に見せるしねえぐらいの乗り。

でも、スチールと違って、俳優の大半は、出来上がりまで観ないと端末のそばを離れた。
監督も当然ながら、途中段階を見せたくない。
でも、同時に、見ている人の反応は、ちょっと気になっている。
そんな状態で、数人だけが編集された部分まで確認した。
映像が切り替わると、おお!と声が上がる。
わ!すごい!なんて、声も出る。
先に観ちゃうと、実際の公開で楽しみが半減しちゃうなんてことは、実はない。
編集しているおいらでさえ、公開されたスクリーンで見れば、確実に感激するだろう。
そういうのは、音楽で、さんざん味わってきた。
レコーディングしたり、MIXしたり、マスタリングしても、出来上がったCDを聞けばやっぱり感動するし、何度も聴いた。
でも、まぁ、今、観るのは勿体ないという気持ちもわからなくはない。
微妙なラインなのかもしれない。

観た人間が、はっきりと言ったことがある。
前方公演墳のテンポじゃん!いいじゃん!と。
同時に、勉強になった。と言っている俳優もいた。
芝居中での繋ぎや、カット割り、自分が思っていた画角との差。
まだ撮影時の記憶が生々しいだけに、色々と見て分かったことが多いという。
そういう感想は、これからの編集の活力に変わっていく。
何度も編集を繰り返していれば、何が良くて何が悪いか、感覚が麻痺する。
けれど、初めて見た人の感想は、何が良いのか、すぐにリターンがある。

もちろん、シナリオを熟知して、芝居を知っている俳優の言葉だ。
実際のオーディエンスの言葉は、また違ったものになるかもしれない。
身内びいきもあるし、完全に信用できるわけじゃない。
だから、これでいいのか?という疑問は、やっぱり常に抱えた進むしかないのだけれど。

監督も映像をチェックしながら、同時に観ている俳優の反応を確認していたように思う。
このままラストまで編集をし続けて、その途中で絶対に来るであろう、壁を乗り越える前に。
とても良い機会になったなぁと、終わってから思った。
これ以降の編集状態は、再生する時間も長くなるから、そうそう見せられることもないだろう。
流石に、30分もの鑑賞会なんて、稽古中に出来ないだろうから。
だから、よほどの機会がない限り、次に観れるのは、かなり先になるかもしれない。
いつか、また。機会があればだ。

帰り、稽古場の外で、少し話をする。
編集中の映像だけで、監督にすごいと話している俳優がいた。
うん。
そうやって進んでいく。
恐らく、今日の段階の映像は、次の編集の日には違うものになるだろう。

時間はいくらあっても足りないけれど。
それを補うものはたくさん持っているな。
改めて、そんな風に思った。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 02:56| Comment(0) | 編集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする