アメリカの大統領選が、世論調査を覆した。
日本の株価は乱高下を繰り返した。
実際に選挙演説で言っていたようなことが本当に起きるのかはまだ誰も知らない。
やっぱり2016年は何が起きるかわからないんだなぁ。
トランプの兵隊さんは、不思議の国に帰るのかな?
アリスのように、日米同盟の夢から醒めるのかな?
起きてもいないことに一喜一憂しても仕方がないか・・・。
お隣の大統領も、辞任が近いのかな。
日本と関係性の近い国も、どんどん変化していっている。
アラブの春から、中国の変化、イギリスのEU離脱と、少しずつ世界は変わっている。
それが、ついに近づいてきたって感じだ。
日本も変化の兆しが、ここ数年続いていて、いよいよ差し迫ってくるんだろうなぁ。
日本人には日本人の特性がある。
文化という場所にいるおいらたちは、今こそ、文化の力を強く意識するべきなのかもなぁなんて思う。
東京五輪を控えているのもあるし、そういう面こそ、今、一番力を持つと思う。
あらかた、スチールの整理は終わった。
とりあえず、ロケ地オーナー様の承認を待つばかりだ。
ちょっと、この写真は・・・というやつは、本人にも確認してもらった。
この現場スチールは、実際の公開が近づいた時にWEBや宣伝媒体で使用する正式なものだ。
簡単に共有したりしないように、扱いには注意を払いたい。
こうなると、あとは残りの撮影と編集だ。
以前、劇団でショートフィルムの企画を立てたことがある。
10分の作品を4本製作して、VHSで劇団公演会場での販売をした。
もう、倉庫にも1~2本しか残っていない貴重品だ。
あの時の編集を思い出す。
あの時も、上映会はやった。
大きなスクリーンで見た映像に感動したことを覚えている。
テレビとスクリーンは、根本的に違うものだ。正反対と言ってもいい。
テレビは、自身が光っている。
スクリーンは、光を投影されるわけだから、鏡像と言ってもいい。
だから、OFFにすると、テレビは黒くなり、スクリーンは白くなる。
光の量で、映像を映すにしても、お互いは正反対の方式ということだ。
PCのモニタは、テレビのように発光するから、実際のスクリーンの映像とは違ってくる。
黒の階調や、白の階調の得意不得意が逆になるからだ。
印刷物なんかもそうで、モニタの画像と、実際に印刷されたものには差が出てくる。
スクリーンにはスクリーンにしかない色味や味が出てくる。
同じように、実際の映像方式も違う。
テレビは電気信号だから、発光させる映像の情報が常に送られている。
1秒間に60コマが通常で、これを走査線上に絶えず半分ずつ送る。
だから、テレビ画面をビデオで写すと、走査線に投影しているリズムとずれが出て、黒帯が出たりする。
一時停止を押すと、なんか微妙に痙攣しているような動きがあるのもそのせいだ。
半分ずつの情報を送る形式をインタレースと言って、60iなんて書かれたりする。
アニメなんかは1秒間に30コマが通常らしい。
映画は、35mmフィルムを投影機で回して、スクリーンに映す。
従来の映画は、1秒間に24コマで、タイムコードが時間軸なのだから12進数なのは納得できる。
各コマは、半分の情報などではなくて、フィルムに描かれた1枚の写真情報の全てだ。
1コマごとに全ての情報が書かれている場合は、プログレッシブと呼ばれる。
つまり、映画は24Pと称される。
デジタルでの撮影が始まった当初は、編集された映像を、最後に24Pに変換するという作業があった。
テレビ用のデータと、映画用のデータでは、まったく形式が違うのだ。
今は、映画の投影機もデジタル化されて、ハードディスクやデータから投影できるようになっているけれど・・・。
それにしても、投影機用のデータに変換が必要になってくる。
おいらたちがショートフィルム企画をやった直後ぐらいから、撮影機器での24P撮影が出来るようになった。
編集後の変換ではなくて、撮影時にすでに、1秒24コマでプログレッシブでの記録が出来るようになったのだ。
秒間60コマの方が数が多いんだから綺麗なんじゃないかと思うかもしれない。
そういう意味でいえば、精細感はそっちの方が高いのかもしれない。
オリンピックの放映がやけに高精細に見えるのは、そんな意味がある。
ただ高精細かどうかじゃなくて、質感が変わってくる。
秒間24コマだと、なんというか、しっとりとした映像になってくる。
人間の目にはそのぐらいのスピードになると、違いを質感として感じるのかなぁ。
実際に見比べればすぐにわかるけれど、24Pを見ると、ああフィルム感が凄いと感じる。
だからこそ、24P撮影機器が発売されたし、今も、映画館は24Pなのだと思う。
ぱっと見ただけで、ああ、映画の映像だなと感じる映像は、そんなフィルムの感じだ。
映画の本当のマニアになってくると、更にはどのメーカーのフィルムを使用しているとか、すぐにわかる人もいる。
だから、出来上がった映像に、その時代に合ったフィルムの特徴を乗せるエフェクトも存在している。
わざわざデジタルで撮影しているのに、アナログのフィルムに近づけていくという作業工程があるのだ。
不思議な感じがするかもしれないけれど、それだけで、映像の感じが変わってくるのだから不思議だ。
この辺は、映像データがなくデータ量の軽い音楽業界の方が先に、行われてきたことで、何度も感じたことだ。
全てデジタルでレコーディングして、最後のマスタリングの工程で、アナログなコンプレッサーを通すなんてことがある。
考えてみれば、視聴者が人間である以上、デジタルよりも、よりアナログの方が受け入れやすいのかもしれない。
人間はアナログで、世界はアナログなのだ。
映画は情報ではなくて、物語だ。
デジタルは、そもそも作業工程を単純化するところから始まった技術なのだ。
撮影中。
何回か液晶モニタで映像を確認した。
あそこに映っていた映像は、まぎれもなく、映画の質感だった。
24Pで撮影されて、リアルタイムで見えていたからだ。
24Pの編集というのはまだやったことがない。
大した違いはないかもしれないけれど。
きっと、今までやったどんな編集よりも、質感に圧倒されるんだろうなぁ。
それが今から、楽しみで仕方がない。