このロケ地で撮影する分の全てを撮影し終えた。
その全てが規格外。
信じられない奇跡のような撮影だった。
スタッフさんの誰もが、シナリオの分量・・・厚みに絶句した。
そのシナリオのページ数を見るだけで、通常の倍のページ数があると口にした。
さらにその1ページ当たりの行数が通常の映画の倍あるから、結果的に4倍ということだ。
それを1か月とか2か月とか撮影期間があるわけではなく。
たったの5日で撮影するというのだから、本来はありえないだろうといわれる内容だ。
・・・というか、ほぼ全てのスタッフさんが、たぶん、無理なんだろうなと思っていた。
それをほぼほぼ完走した。
5日で、撮れ高が150分以上。シーン数にして100シーン以上。
そうカット数に関してはもう、まったくわからないほどの数。
これを映像の世界の人に話せば、ほとんどの人が信じないのではないだろうか。
そもそも、誰もが無理だろうと思っていた撮影だ。
それをするためのオーガナイズをしていったおいらは、本当にドキドキしていた。
こうすれば出来ないはずはないという、予測のもとに計画を進めていった。
監督から撮影方法のアイデアが出て、それでも不可能な分量をどうこなしていくのか。
総力戦で挑むしかない。
その中でも、自分が先頭をきって、やれることをやっていくしかない。
走り回って、確認して、チェックして、伝達して。
そして、芝居がぶれないように、今、この人には何も頼まないというのを決めて。
それでも、このスケジュールの完走をするのは厳しいと予測されていたはずだ。
それがなぜ出来たのか。
やっぱり、スタッフさんたちのチームワークだと思う。
縦横無尽に走り、きびきびとセッティングしては撮影していく。
映像の現場には職人がたくさんいた。
職人たちが仕事をしやすいように・・・それが今回おいらが目指したことだ。
ラストカット。
OKの言葉が出て、スタッフさんにありがとうございました!と自然に出てきた。
そして、涙ぐんでしまった。
あのパンパン小屋の裏を走り回る日々が終わった瞬間だった。
この予算、この期間、この登場人物の数、このシナリオの分量。
それなのに、クオリティを下げることはしない。
そういう戦いだった。
加藤Pが撮影現場に来ていて、泣けたなんていう。
役者が布団に入って撮影本番をしていたら。
カット、OKの言葉と同時に自分で布団をたたみ始める。
同時に、次の俳優がスタンバイを初めて、手の空いている俳優が次のシーンの美術の化粧を始める。
そんな光景を見たことがない、ありえないと口にした。
しかも、それが連続していくのだ。
次から次へとシーンが進んでいく。
スタッフさんのセッティングの間に、出来ることを全てやっていく。
おいらは、でもそれは、出来上がった映画には映らない裏ですもんね・・・と言うと。
いや、映画は絶対に現場の雰囲気が出ますから。
そう、言ってくださった。
この映画は、情熱で出来ている。
いよいよあのパンパン小屋を解体する日がやってきた。
なんにもないただのスペースに戻ってしまう。
少しだけ寂しいけれど、あのパンパン小屋は映画の中にだけ残ればいい。
プロデューサーはもったいないから、なんとか残せないかと言ってくださったけれど。
残す場所なんかない。
あの鏡台も、あの茶箪笥も、あの暖簾も、あの畳も。
まるでうたかたの夢のように消えていく。
今まで何度も感じてきたことだ。
劇場にセットを組んでは、壊していく。捨てていく。
それでも、この短いながらも濃い日々をすごしたパンパン小屋を壊すのは、感慨深いだろうなぁ。
絵空事。
そうさ。
こんなのは、絵空事さ。
楽しい楽しい絵空事さ。
夢みたいな妄想さ。
それを、実現しただけのことさ。