2016年10月29日

撮影5日目

このロケ地で撮影する分の全てを撮影し終えた。
その全てが規格外。
信じられない奇跡のような撮影だった。

スタッフさんの誰もが、シナリオの分量・・・厚みに絶句した。
そのシナリオのページ数を見るだけで、通常の倍のページ数があると口にした。
さらにその1ページ当たりの行数が通常の映画の倍あるから、結果的に4倍ということだ。
それを1か月とか2か月とか撮影期間があるわけではなく。
たったの5日で撮影するというのだから、本来はありえないだろうといわれる内容だ。
・・・というか、ほぼ全てのスタッフさんが、たぶん、無理なんだろうなと思っていた。

それをほぼほぼ完走した。
5日で、撮れ高が150分以上。シーン数にして100シーン以上。
そうカット数に関してはもう、まったくわからないほどの数。
これを映像の世界の人に話せば、ほとんどの人が信じないのではないだろうか。
そもそも、誰もが無理だろうと思っていた撮影だ。

それをするためのオーガナイズをしていったおいらは、本当にドキドキしていた。
こうすれば出来ないはずはないという、予測のもとに計画を進めていった。
監督から撮影方法のアイデアが出て、それでも不可能な分量をどうこなしていくのか。
総力戦で挑むしかない。
その中でも、自分が先頭をきって、やれることをやっていくしかない。
走り回って、確認して、チェックして、伝達して。
そして、芝居がぶれないように、今、この人には何も頼まないというのを決めて。
それでも、このスケジュールの完走をするのは厳しいと予測されていたはずだ。

それがなぜ出来たのか。
やっぱり、スタッフさんたちのチームワークだと思う。
縦横無尽に走り、きびきびとセッティングしては撮影していく。
映像の現場には職人がたくさんいた。
職人たちが仕事をしやすいように・・・それが今回おいらが目指したことだ。

ラストカット。
OKの言葉が出て、スタッフさんにありがとうございました!と自然に出てきた。
そして、涙ぐんでしまった。
あのパンパン小屋の裏を走り回る日々が終わった瞬間だった。
この予算、この期間、この登場人物の数、このシナリオの分量。
それなのに、クオリティを下げることはしない。
そういう戦いだった。

加藤Pが撮影現場に来ていて、泣けたなんていう。
役者が布団に入って撮影本番をしていたら。
カット、OKの言葉と同時に自分で布団をたたみ始める。
同時に、次の俳優がスタンバイを初めて、手の空いている俳優が次のシーンの美術の化粧を始める。
そんな光景を見たことがない、ありえないと口にした。
しかも、それが連続していくのだ。
次から次へとシーンが進んでいく。
スタッフさんのセッティングの間に、出来ることを全てやっていく。
おいらは、でもそれは、出来上がった映画には映らない裏ですもんね・・・と言うと。
いや、映画は絶対に現場の雰囲気が出ますから。
そう、言ってくださった。

この映画は、情熱で出来ている。

いよいよあのパンパン小屋を解体する日がやってきた。
なんにもないただのスペースに戻ってしまう。
少しだけ寂しいけれど、あのパンパン小屋は映画の中にだけ残ればいい。
プロデューサーはもったいないから、なんとか残せないかと言ってくださったけれど。
残す場所なんかない。
あの鏡台も、あの茶箪笥も、あの暖簾も、あの畳も。
まるでうたかたの夢のように消えていく。

今まで何度も感じてきたことだ。
劇場にセットを組んでは、壊していく。捨てていく。
それでも、この短いながらも濃い日々をすごしたパンパン小屋を壊すのは、感慨深いだろうなぁ。

絵空事。

そうさ。
こんなのは、絵空事さ。

楽しい楽しい絵空事さ。
夢みたいな妄想さ。

それを、実現しただけのことさ。
posted by セブンガールズ映画化実行委員長 at 08:31| Comment(0) | 撮影 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする